000513 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

梶原和義のブログです。

梶原和義のブログです。

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

oota200432

oota200432

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

コメントに書き込みはありません。

Freepage List

Headline News

2011.06.19
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
ユダヤ人が覚醒すれば歴史が全く新しくなる

キリスト教が聖書を明確に伝えていないのは事実です。イエスは新しく生まれよと言っていますが、キリスト教の人々は新しく生まれていません。生まれたと信じますと言っているのです。
現在の世の中は、罪人ばかりが集まっている世の中です。イエスがこの世の人は聖霊が分からないと繰り返し言っているように、現世は罪人が集まって、罪の世を造っているのです。従って、罪の世に生きている自分を自分として認めている間は、聖書を信じていないことになるのです。
キリスト教は、言葉の上ではイエス・キリストを信じると言っていますけれど、その事実はありません。
新約聖書のヨハネの第一の手紙に、イエスがキリストであることを信じる者は、神から生まれたものであると書いています。これが分からないのです。イエスがキリストであると口先だけで信じても、神から生まれたことにならないのです。
パウロは古き人を脱ぎ捨てると言っています。イエスは、私についてきたいと思うなら、自分を捨てて、自分の十字架を負ってきなさいと言っている。これを実行していないのです。古き人を脱ぎ捨てて、心の深みまで新にされる。精神の霊を新しくして、新しい人を着よと言っているのです。キリスト教はこれを実行せずに、ただ信じたつもりでいる。これではだめです。
精神の霊を新しくする。心の深みまで新しくするということは、キリスト教で考えている悔い改めとは全く違うのです。精神構造の根底が新しくなってしまわなければ、イエス・キリストを主とすることは絶対できないのです。
この世に生まれた人間が、自分を義としているままの状態では、イエスが主であることを信じることは、決してできません。この世に生まれた人間は、すでに死んだ者であるとパウロは言っているのです。この世に生まれたことが、死んだことなのです。
あなたがたは死んだものであって、その命はキリストと共に、神の内に隠れているとパウロは言っているのです。
人の命は、キリストと共に、神の内に隠れているのです。これが本当に経験できなければ、聖書を説く資格はありません。
現在のキリスト教は、皆間違っています。宗教だからです。現世の人間を認めているのです。聖書は現世の人間を相手にしていません。古き人を脱ぎ捨てなさいと、はっきり言っているのです。
永遠の命は、簡単なものではないのです。世々限り無く王となると書いています。皆様の魂が本当に神に帰れば、皆様の魂は、無限無窮に王になるのです。
イエスはキング・オブ・キングスであって、王の王なのですが、皆様は王になるのです。天国で昼寝をするのとは違うのです。世々限り無く王となるのです。
このような、彪大な、宇宙的な責任を、魂は担当しなければならないのです。イエス・キリストと共に、天に座すのです。世々限り無く王として、神の仕事のお手伝いをするのです。
皆様の人生は、まだ始まっていないのです。現世にちょっと顔を出して、罪人としての人間性を、ちょっと経験しているだけです。そんなものを自分だと思うことは、間違っているのです。
神の前に、宗教は絶対に通用しません。自分の認識とか、自分の信仰は通用しません。
イエスは弟子に、神の信仰を持てと言っています。神の前に歩みて全かれと言っているのです。天の父の全きがごとく、汝らも全かれとイエスは言っているのです。人間であることをやめるのです。人間は必ず死にます。死んでしまう古き人を脱ぎ捨てることが、聖書の命令です。
水と霊とから新しく生まれなければだめです。人間は、歴史的に死んでしまわなければいけないのです。これが、イエス・キリストの十字架の処置です。十字架とは、死ぬべき古き人、即ち肉の人間が、はっきり死んでしまったことを意味するのです。肉の人間が死んでしまって神の命である霊によって生かされるのです。
肉にて殺され、霊にて生かされる。これは難しいことではありせん。自分の理屈を捨てればいいのです。キリスト教の理屈は、いくら学んでも、神の前には要用しないのです。神の前に通用するためには、わが前に歩みて全かれという命令を、実行するしかないのです。神の前に歩むのです。
キリスト教は、人間の前でキリストを信じるのです。そうではなくて、現在、瞬間、瞬間に存在している人、つまりプレゼンスを知るのです。人間自身のプレゼンスとは、今生きておいでになる事実です。
四十年、五十年生きてきたと思っているのは、自分自身の記憶です。記憶を棚上げして、生きていること、人間のプレゼンスを見るのです。これが、そのまま、イエスになるのです。信じるも信じないもない。自分の主観論を撤廃してしまえば、生きている事実がそのまま人の子になるのです。イエスはこれを証明しただけなのです。
イエスは、生ける神を、父と呼びました。皆様は、信じても信じなくても、命の真ん中にいるのです。これが、父の内にあることです。これを自覚すればいいのです。父の内にいても、自覚しなければ信仰にはなりません。自覚すれば信仰になるのです。
皆様は現世に生まれてくる前に、エデンの園という前世にいたのです。ところが、前世で善悪の実を食べるという罪を犯したのです。エデンの園で罪を犯した人間は、死なねばならない者になってしまったのです。
旧約聖書の創世記三章二十二節に、見よ人は我々の一人のようになり、善悪を知る者となった。彼は手をのべて、命の木から取って食べ、永久に生きるかもしれない。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人を造られたその土を耕させた。神は人を追い出して、エデンの園の東に、ケルビムと回る炎の剣を置いて、命の木の道を守らせたとあります。キリスト教はこの箇所を、厳重に、正確に読んでいません。この箇所を神話伝説だと思っているからです。
ですから、キリスト教の人々は、イエス・キリストの心情が分かるはずがないのです。イエス・キリストの発言は、旧約聖書、特に創世記に基づいてなされているのです。
皆様が、本当に永遠の生命を得たいと思われるのでしたら、聖書を真剣に勉強する気持ちになって頂きたいのです。
現在の文明が間違っています。ユダヤ人の考え方が、根本から間違っているからです。これを、どうしても是正しなければならないのです。私がしていることは、日本人を救うためではないのです。ユダヤ人の覚醒を促して、ユダヤ人を救うことなのです。
世界の文明は、根底から間違っています。ユダヤ人を中心とする、歴史のあり方が聞達っています。文明の指導原理を握っているユダヤ人に、悔い改めてほしいと願っているのです。
文明は行き詰まっています。やがて自滅するでしょう。こういう状態から逃れて、本当の命を発見しなければならないのです。
現在、日本は世界第二位の経済大国になりました。経済的に繁栄していますけれど、これは小さな問題です。文明が根底から間違っていることに気づいて、日本人の若干の人々が心を一つにして、イエスの復活の命、死なない命、永遠の生命の実物があることを、世界に向かって発言しなければならないのです。
永遠の生命が現れてから、二千年以上にもなっていて、未だに、イエス・キリストの復活が、まともに信じられていない。人類はこれほど愚かな集団なのです。
宗教は文明の一翼です。現代文明を助けているのです。神は現代文明を認めていません。やがて、キリストは再臨するのです。キリストの再臨によって、今のキリスト教はつぶされるでしょう。そして新しい命、神の御名と、イエス・キリストの御名が、世界を治めるでしょう。
人間中心の世界から、神を中心とする王国が、地球上に現れるに決まっています。これを実現することが、人類全体の本当の幸福なのです。もし皆様に、心からの誠意があるのなら、文明の間違い、宗教の間違いをはっきり認識して、世界に向かって発言して頂きたいのです。神の国の実現のために、協力して頂きたいのです。
「私はすぐに来る」とイエスは黙示録で言っていますけれど、キリストが再臨するためには、今のキリスト教が頑張っていたのではだめです。ユダヤ人が覚醒することです。中枢の若干のユダヤ人が、「イエス来たりませ」と言わなければ、キリストは再臨できないのです。中枢のユダヤ人に働きかけができるのは日本人だけです。日本人以外の誰が言っても、ユダヤ人は決して聞かないからです。日本人の言うことなら、ユダヤ人はしぶしぶながら聞くことになるでしょう。その意味で、日本人は世界の将来に対して、重大な責任を持っているのです。
現在の人間は、イエス・キリストの復活によって、すでに死ななくなっているのです。死ぬ必要がなくなっているのです。ところが、死ななければならない自分を自分だと思っている。
イエス・キリストの復活の命が、現実に、皆様の中にあるのに、それを捉えようとしないで、死ぬべき古き自分にしがみついている。古き自分が、新しい命を捉えようとしている。これが間違っているのです。だから、エデンの園から追い出されたのです。現世は、死人ばかりが集まっているエデンの東です。これは一種の強制収容所みたいなものです。なぜなら死ぬべき人間ばかりがいる所だからです。
現世に皆様がお生まれになったということは、死ぬに決まっている人間として生まれたのです。
この世に生まれた自分は、死ぬべき肉の自分だということを、はっきり認めていただきたい。そして、死なない霊の自分に目を開いて頂きたいのです。死んでいく固有名詞の人間をやめて、死なない霊の人間である魂に目を開いていただきたいのです。
私は何も特殊なことを述べているのではありません。人間としての本来あるべき正統な考えに立って頂きたいと、言っているだけなのです。固有名詞の人間、自我意識に基づく人間は、皆、必ず地獄へ行く運命にありますから、地獄行きはご免だと言っているのです。
永遠の命は現実にあるのです。皆様の魂はそれを待望しているのです。魂の目を開きさえすれば、命の木の実が見えてくるのです。魂の目を開くとは、魂について目を開くのです。そうすれば、魂が死なない命だということが分かるのです。これをぜひして頂きたいのです。
これは宗教ではありせん。世界歴史の実体なのです。神は世界の将来を日本人に託そうとしているらしいのです。もう世界はあてにはなりません。欧米人も、アフリカ、アラブの人々もあてになりません。神は日本人に、般若心経と聖書の真髄を教えようとしているのです。これをはっきり理解できるのは、日本人だけです。白人はとても文明を新しくする力を、持っていません。白人の時代は、過ぎたのです。
東洋人の代表である日本人が、東から西に向かって、呼びかけるべきなのです。イエス・キリストの再臨は、東から西に稲妻が閃くようにやってくると聖書にあります。日出ずる国の人々がまじめになれば、聖書の真髄をつかまえることは、十分にできるのです。世界の政治をリードすることはできるのです。
エデンの園は生まれる前の無意識の世界です。皆様がこの世にお生まれになる前の、無意識の世界があったのです。五官の本質、理性、良心、人格は前世で造られた。これが魂です。
そのように、皆様は、エデンの園から来たのです。前世で、皆様の五官の根底が準備されたのです。皆様の人格の根底は、エデンの園で準備されたのです。エデンの園において、命の息を吹き込まれたのです。それは無意識の世界でした。
人間は、無意識の世界から有意識の世界へ移された。皆様は現在五官によって生きておいでになります。人格によって生きておいでになります。理性と良心も前世からきているのです。これが魂です。魂は肉体を持つ前からのものですから、死なないのです。死に関係がないのです。人間は現代文明によって造られた人です。これは死ぬに決まっている人です。これを自分だと思うから死ぬのです。
人間をやめて、魂を主体とすればいいのです。そうすれば死ななくなるのです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.06.19 08:59:14
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.