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真理探究と歴史探訪

真理探究と歴史探訪

2024年04月26日
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さて加計呂麻島の生間港から、時間通りに海上タクシーへ乗船でき、無事に奄美大島の古仁屋港へ到着。

その古仁屋港の売店で加計呂麻産の塩や黒糖などの各種珍品を購入後、懸案でもあった「御嶽(オダキ/標高196m)」の山頂部に鎮座する「今井大権現神社」(龍郷町安木屋場)を目指し、いわば島の南端から北端に向かって車を走らせた。(その走行距離は約65Kmであった。)​

そこで冒頭画像は、この​連載の(上)​でも同様の画像を掲載したが、奄美空港に着陸する前の上空の機内から西方に見えた「御嶽」(画像中央の遠方にある半島に突き出た山岳)を、意識的に撮影したものである。

この今井大権現神社の鎮座する「安木屋場(あんきゃば)」は、「安徳天皇」(以降は「安徳帝」と表記)にまつわる伝説が、色濃く残る地域とされている。まずは以下、この地域の伝承を抜粋して記しておこう。

〈今井大権現のみなもとは、壇ノ浦の合戦に破れて〔喜界島〕へ落ちのびた平家の遺臣と「安徳帝」にさかのぼる。三位中将「平資盛」を征夷大将軍とする一族郎党三百余人が、まず〔喜界島〕に上陸した。続いて「資盛」の後を追ってきた「有盛」、「行盛」の二将が合流し、壇ノ浦の合戦から17年後の1202年、すぐ近くの〔奄美大島〕を平定した。


・〔奄美大島〕
の北部で現在の笠利町あたりは、源氏の追手が九州より来襲するとのことから”魔西”と呼ばれるようになった。そのため、この地の守備をまかされた「平有盛」は、現在の〈今井大権現〉の辺りに”船見の砦(とりで)”を築き、源氏の来襲にそなえたという。


・そして「安徳帝」の件については、通常の伝説によれば「三種の神器」とともに壇ノ浦の海底に身を投じたことになっている。しかし、安木屋場の「ユタ(西南諸島の霊能力者)」が語る伝説は、全く異なっている。「安徳帝」は平家の落人とともに奄美に辿り着き、龍郷の貴人〈龍家〉の姫とされる「安久里加那(あくりかな)」を妃(きさき)とした。二人が住むことになった龍郷の一角は、〈安ら木屋の場所〉という意味から「安木屋場(あんきゃば)」と呼ばれるようになった。その「安徳帝」と
「安久里加那」との間に産まれた一子は「今井権太夫」と名乗り、若大将として逞しく育てられた後、今井大権現のある山頂部に館を築いて〔奄美大島〕の守備に一生を捧げた。


・その後の「安徳帝」は、平家再興の旗頭として〔硫黄島〕へ上陸した直後に永眠。「三種の神器」のうち「八咫鏡」が、父の「安徳帝」から子の「権太夫」に継承された。しかし「権太夫」は父の死を悲しみ、「八咫鏡」を今井崎に埋めたという。「安徳帝」の落胤でもある「今井権太夫」は死して〈大権現〉と崇められ、平家が信仰した〈厳島弁財天〉も、奄美各地に根付くことになった。




当日の午後7時に予定された”ある会合”(※)への参加を前提とし、視界のきく”夕暮れ”までの限られた時間内に、果たして参拝できるかどうか正直のところ不安だったのだが、これは…やはり試されている…と感じつつ、山上の「今井大権現神社」への参拝を決行することにした。

そこで上の画像は、山頂部に鎮座する当社へ続く石段の、その入口を撮影したものである。この鳥居から神社の本殿まで、全部で159段からなる段差が高く歩幅も広い石段が続くことは、実は事前情報として予め承知していた。

が…しかし、イザその急勾配の参道に踏み込んでみると、その”ゆらぎ”が大きくランダムな石段に足腰は翻弄されてしまうのだが、何故かしばらくすると”ランナーズハイ”の状況に入ったのであろう・・・次第に足の運びも慣れスイスイと難なく登っていけたのには、自分でも驚いたことを憶えている。

(※上記の”ある会合”の内容等ついては、諸事象があり今回の連載記事では割愛することにした。)

そして以下に並べた画像の数々は、当社への参拝過程を簡単な解説付きで掲載したものである。



まず上の画像は、あと少しで山上の当社に到着する参道の、急勾配に配置された石段を撮影したものだ。




この二枚については、上の画像は辿り着いた「今井大権現神社」の社殿を正面から撮影したもので、続く下の画像は下方の神額には紺地金文字の「今井大権現」、そして上方の波風板には”日月紋”と思われる紋章や二つの”菊花紋”、そして数々の”雲紋”を確認することができる。

そこで上記の各種紋章に加え、当社の年に一度の大祭日が「旧暦9月9日」ということから推察すると、この月日は「重陽の節句」であり「菊の節句」とも称されることから、陽の極数である「9」を二つ重ねて自乗した9×9=〈81〉が、当社と奥深い関係(冒頭に記述した伝承)にあると思われる〔安徳帝〕を特定する天皇の代数〈81〉と、また歴代の〔天皇〕を象徴する「菊花紋章」とも絶妙に重なってくるのであった。

この奄美大島の当地に来臨された〔 第81代  安徳天皇 〕は、正に「締めククリ(〆九九理)」の御役として、第81代の《スメラミコト》として光り輝かれ、それまでの”公家社会”から”武家社会”への大転換という大役を担われた天皇陛下ではなかったかと、恐れ多くも今はそのように感じるところである。





上の画像の二枚は、当社の神前から参道を降りていく際に撮影したものである。159段の石段とはいえ、なかなかの険しさを漂わせていることを、この画像から汲み取っていただけるであろう。



当社入口の鳥居付近に駐車していた車に乗り、少し降ったところにある広場に停車、振り返って「御嶽(オダキ/標高196m)」の山頂方面を撮影した画像が上である。

そして下の画像は、同じ広場から西方に沈みゆく雲間に陽光を放つ夕日を、奄美の高原地帯や海原の大自然とともに撮影したものである。

この度はじめて訪問した奄美大島は、2泊3日と滞在した時間こそ短かったのではあるが、今まで感じたことのない大自然の営みに心身を委ねることができ、有り難き幸せを噛み締めることのできた時空であった。



実は奄美大島から帰宅してからも、”ただならぬ余韻”が続くことになり、つづく「後日談」では、地元の山口県で新たに入手した「安徳帝」にまつわる歴史物語を展開する予定である。乞うご期待!

(最下段の画像は、奄美空港から近い「あやまる岬」より、東方に輝く”美ら海”を撮影したものである。)





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最終更新日  2024年04月26日 23時01分06秒


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