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7度目の「岩戸開き」の後は、その国津系(縄文系)と天津系(弥生系)とが和合した祭政なり生活がよみがえるというのであろうか・・・。 それを示唆するかのように、今回の旅路の最後に参拝した神社は、秋田県の唐松神社(からまつ)であった。主祭神は、ニギハヤヒ命である。日暮れが近いなか、私たちは「天日宮(あまつひのみや)」を参拝した。当日は、なぜか「十種神宝(とくさのかんだから)祝詞」を持参していた私は、先達として祝詞を奏上させていただく運びとなり、神妙な面持ちのなか清清しい気持ちで奏上できたことは、喜ばしくも貴重な体験となった。 その祝詞は、冒頭の「高天原」を正しく「たかあまはら」と読むようにルビを振った祝詞で、この点についても日舞新作の作者と意見が合致するところである。(一般的な祝詞では、「高天原」は「たかまのはら」とか「たかまがはら」と発音している。) 果たして岩戸が開いた後に始まる世の中とは、どんなものであろうか・・・。それを暗示する象徴言語として、「アマテル」と「ニギハヤヒ」をとらえているが、具体的にはこれらは何を意味しているのであろうか・・・。 今の私の心中には、岩戸から出てくるもの・・・それは「旧暦(太陰太陽暦)」では・・・と浮かんでいる。7度目の岩戸開きで、太陽暦から「太陰太陽暦(旧暦)」に変わると・・・。 人々が神々の御心に沿う生活を営むためには、宇宙のリズムと「ひとつ」になれるように編み出された「旧暦」を規範として生活することが基本となり、その日々の「旧暦」を意識した営みが、ゆくゆくは世界人類が平和に暮らせるようになる土台となっていくのではないか・・・。 そのように感じる今日この頃である。さて、今回の旅路の集大成となる公演も近い。その準備に向けて、本日の夜行バスにて上京する予定。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022年02月02日 23時44分43秒
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