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それぞれ別の講演者なのだが、その一方の話し手は「阿波忌部氏」の直系とされる三木家の当主ということであった。 忌部姓が本姓である三木家は、歴代天皇の代替の重要な儀式である「大嘗祭(だいじょうさい=おほにえまつり)」に、御殿人(みあらかんど)として「麁服(あらたえ)」を貢進している家柄である。 この「麁服(あらたえ)」とは、その阿波忌部の氏人が調製・供納する「麻織物」のことで、同じ発音の「荒妙」と表記されることもあるそうだ。 奇しくも同じ時期に、「麻」にまつわる二つの講演会の誘いを受けたことから、衣服の原料という観点から、この「麻」について少し調べてみることにした。すると興味深いことが分かってきたので、以下に列記してみよう。 ◎日本で利用されてきた麻類は、クワ科の「タイマ(大麻・ヘンプ)」とイラクサ科の「カラムシ(苧麻・ラミー)」の大きく二つに分けることができ、麻織物の原料は「タイマ」の20%に対し、「カラムシ」は80%を占める。 ◎江戸時代になり、各地で木綿栽培が盛んになるまで、衣類の原料は麻類が中心だった。 ◎奈良時代には、高級織物として「絹」が、庶民の衣料には「麻(主としてカラムシ)」が用いられ、用途による織物の分化が固まっていた。奈良の「正倉院」に伝わる麻の衣服や、調庸として納められた麻布を調べてみると、その原料は「カラムシ」であり、「タイマ」と思われるものはごく少ない。 ◎日本最古の縄文の布とも言われる「編布(あんぎん)」は、列島各地の縄文遺跡から出土する「編布」の例からすれば、主に「カラムシ」が原料として利用されているとのこと。(※このカラムシの他に古代の衣服の原料として、楮(こうぞ)・葛(くず)・藤などが挙げられる。) 近年、衣服の原料等として「タイマ」の復活と普及が取りざたされているが、いわゆる「大麻取締法」の関係もあって、なかなか国内では栽培許可がおりないとされている。知人の服飾デザイナーの話では、「タイマ」のために国外の「タイ」まで行って、そこに活動の拠点を構えることにしたそうだ。 ところが、「タイマ」と同じ麻類の「カラムシ」は、日本列島のどこでも(まるで野草のように)自生しているということだ。国土に根付いた縄文系譜の衣服の素材として、あるいはその他の用途も含めて、改めて問い直されてもよいのではないか・・・などと考えはじめた今日この頃である。 ちなみに、あの雪の寒晒しで有名な「越後上布」は「カラムシ」を原料としており、生地が丈夫で腰があり、雅な味わいをふくむところから珍重され、1200年の歴史を経て今に伝わるその製織等の技術は、国の重要無形文化財に指定されているとのことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年11月27日 00時19分20秒
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