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「上の画像」の岩石は、元は一つの巨石を二つに割って、意図的にV字状にした可能性があるもので、そのV字状に開いた方向に「冬至の日の入」を観測することができるとのことだ。 「冬至の日の入」が観測できるのであれば、その反対からは「夏至の日の出」が観測できるわけだが、その夏至と冬至を結ぶ軸線を想定して巨石群のある周辺地域を俯瞰してみると、高位置の谷間から「夏至の朝日」が昇り、そして低位置の谷間に「冬至の夕日」が沈む配置になっていて、陰陽二種類の太陽光を観測する施設としての巨石群でもあることが、自分なりに明確に分かったのは嬉しかった。 さて「春分の日」の現地では、ボランティアで巨石群を案内される方々がいて、ある天文研究家とお話しする機会を得た。その御方は、この金山巨石群を詳しく調査され、コンピュターシュミレーション等を駆使して、わかりやすく独自の見解を教えて下さり、とても参考になったことを覚えている。 ☆天文研究家のURLをご紹介⇒http://www.hoshitabi.com/ (⇒リンク) また別のボランティアの御方との出会いで、この巨石群から少し離れた秘密の場所を案内していただくことになり、現地を訪れた時の写真が「中の画像」である。 山の傾斜面に「一面に広がる岩石の海」という表現が妥当であろうか、私はその石の海原を見ているうちに、どうしても上方に登りたい衝動に駆られ、その御方と共に足場に気を付けて登ることに・・・。 すると中央部の上方に一際「目立つ岩」が目視でき、そこで「ここだ!」という予感めいたものがあり、その岩を目指してさらに登って、何故かその岩の裏に回って反対側を展望してみたいと思うのだった。 そして、その目立つ岩の裏から見渡して最初に目に入ったのが、山と山の谷間に見えた山頂であった。その時に映した写真が「下の画像」である。 この一枚の画像では分かりにくいかもしれないが、その目立つ岩の上部から映した木々の狭間に、向かって左側の高い山と右側の低い山が合わさった谷間に、さらに遠くの山頂の「尖り」(画像の中央部)が確認できるかと思う。 これは方位を示していると直感して、すぐに方位磁石を出して確認してみると、磁針は真南から東に約20度の南南東を示していた。 そこで「シリウスが冬至に昇る方位」と分かった私は、感動してかなりの興奮状態にあったと同時に、思い出したのは童謡「かごめ歌」の最後の歌詞・・・後ろの正面だあれ・・・であった。 その時の私の心には、天空に輝く「シリウス」たる「六芒星」が浮かぶのだった。その「六芒星」とは、十七日に伊勢神宮の参道で奄美の御方と共に確認した、かの灯篭に刻まれた形状である。 もしかすると・・・後ろの正面とは、「シリウス(六芒星)」のことかもしれない・・・。 ここで、この記事を書いている最中に、ネットサーフィンで得られた情報を以下に掲載。 ・・・世界中のピラミット遺跡の信仰の対象は、「太陽」であったと言われていた。エジプトでは太陽神「ラー」が信仰されていたとされるが、実は太陽神は、わかりやすく大衆のために、後に造られたものであって、それ以前は全て「シリウス信仰」であったという説がある。 紀元前3000年~2000年にかけてメソポタミヤやエジプトにおいては、「シリウス信仰」から「太陽信仰」への大掛かりなシフトが行われた形跡があるらしいのです。 なぜ、その信仰の対象を転換しなければならないような理由があったのでしょうか?それが大いなる謎です。・・・ その後、その日の最後まで残った調査員と上記の二人のボランティアの御方と私の四人で、お互いに情報交換を含めた会話を楽しみ、翌日の「位山」への登山を考えていた私は、少し早めに切り上げて宿泊地の「飛騨高山」へ向かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年04月10日 09時11分18秒
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