雑巾を縫うのが好きだ。
仕事で調子が出ないようなとき、雑巾を縫いに縫ったりする。
最近、雑巾縫いのやり方が少し、かわった。ミシンでおおざっぱに縫って、ためておくのだ。そうして佳き日、ここに手縫いを重ねる。
きょうは、その佳き日。
子どもたちと喋りながら、ちくちくやる。白っぽい古タオルをミシンの白糸で縫った上から、色とりどりの糸で縫う。雑巾が、ちょっと風変わりなものになっていく。一枚の雑巾に、雑巾以上の力をこめるまじないかな。自分の掃除下手を、雑巾に補ってもらおうという下心、と言ったほうがいいかもしれない。
わたしのそばには、いつも小さな針箱がある。
チョコレートのうつくしい空き箱を、もう十年以上使っている。針をさした針刺し。糸。針通し。指ぬき。糸切りばさみ。ゴム通し。ロウソク。
器用とは決していえないわたしが、糸と針と親しいのには、わけがある。
さて。
場面は小学校六年の教室。
登場人物は、わたしたち生徒と、あのころのわたしの目からは、うんと年とってみえた女の先生。教室には、男の子たちもいたはずだ
家庭科の授業だった。来る日も来る日も、運針の練習。
先生は「運針」と呼んだが、それは、針に糸を通し、まっすぐちくちく縫う並縫い。すっかりあきあきし、わざと「ウンシン、ウンシン、タノシイナ〜」という歌までつくって、陰でうたった。運針という手仕事の値打ちを知ろうともせず、浅はかな上に生意気だった……。
そんなわたしたちだったが、手が慣れてきたある日、「時間をはかりましょう」と、先生が言う。
「ようい、どん」を合図に、運針の競争。長いさらしの布に、10分間に何本縫えるかを競う。競うといっても、友だち同士勝った負けたというのではなかった。いつも、それぞれ自分の記録をたのしんでいた。
針に何本も糸を通し、玉結びをし、針刺しにさしておく。聞き手の中指に指ぬきをはめる。そして、目の前にさらしの布を置いて「ようい、どん」を待つ。
先生は細い腕に巻いた時計をじっと見て、10分後に「はい、そこまで」と声をかける。
あのときには気づかなかったが、みんな運針が好きになっていた。わたしがそれに気づいたのは、大人になってからだった。ミシンもきらいではないが、小さいものは、たいてい手でちくちくやろうとする。ぜんぜん苦にならないのだ。
縫いはじめに、かの日の先生の「ようい、どん」が聞こえるような気がして、わたしは指ぬきを忘れたことはないし、なんといってもわき目もふらずに縫う。
まんなかの子どもが、洋裁の勉強をしている。
高校生のとき服飾の授業をとり、その道の短期大学にすすんで、今し方、スーツを縫い上げた。
最近は、この子にいろいろおしえてもらう。
「このダーツ(からだに合わせて立体化させるため、部分的に縫いこむこと)は、どっちにたおしたらいいの?」とか。
「ボタンつけの糸足には、糸を上から下へまくんだよね」とか。
子どものころ、小刀でのえんぴつ削りをおしえても、なかなかできなかったこの子が、スーツを縫うなんて……。
これも昔、来る日も来る日も運針をさせてくださった先生の影響の余韻かもしれないな、と思うことがある。
古タオルのは末娘が、手ぬぐいの2枚はわたしが、縫いました。
裁縫小箱。これは、わたしの机の横の文庫の棚で、出番を待っています。
大元の裁縫箱は、別にあります(あんまり使わないけど)。
裁縫小箱のなかみ。ろうそくは、糸がからまらないように、
縫う前に糸に塗るためのもの。
「こすりつけ過ぎると、糸に白いあとがつくから気をつけて。
糸にアイロンをかけておくという方法もあるよ」とは、
二女のアドバイスです。