来年のカレンダー、手帖が出まわる季節になった。
それはもちろん、こういうものは、早めに出てくるものだろうけれど、かなり、あせる。ついこのあいだ、2006年から2007年のカレンダーにかけかえたばかりだというのに。
わたしね、じつは手帖は持っていない。
カレンダーを、持ち歩いている。
「つぎの打ち合わせの日にちですけど……」という話になるとき。
「つぎの予約、いつおとりしましょう」という話になるとき。
相手は、へえっという顔になる。まさかカレンダーが出てくるとは、思わなかった、という表情。
そうだ。
革製のシステム手帖なんかを広げて、「そうですねえ」なんて首をかしげて見せたりすれば、いかにもキャリアを積んだウーマン風だ。
格好だけ、そんな風だったことは、ある。
手帖に仕事の予定を書きこみ、台所のカレンダーに家の予定——子どもの学校行事。レッスン。山歩き。水道工事で、午後1時から断水。など——を書きこみ、自分の部屋のカレンダーに、友だちとの約束、観劇の予定を書きこんでいた。
これを、いつどこでつき合わせるか、だ。
すぐつき合わせても、予定が1日の枠のなかで、重複する。
・家に編集者が来てくれる日に、ガス工事があって火が使えない。
・仕事と、学校行事が重なる。
・打ち合わせの時間と、美容院の時間が重なる。
という具合に。
進歩なく、こんなことをしばらくつづけていた。ある日、とうとう、すべての予定を同じところに書きださなくちゃ、と気づく。
思いつくのが、おそい。
たしかに。
でも、どこに集約するか、というところで、迷っていた。手帖ではない、という気がした。それだと、きっと家の関係の予定が、こぼれる。
1つのカレンダーという結論に達したとき、やれやれ、と思った。
格好よくない、とね。
でも、まあ、わたしらしいか、と思いなおす。
それから5年、カレンダーを持ち歩いている。大きな声では言えないが、いまでもときどき、ダブルブッキングのポカをやる。これは、カレンダーのせいではなく、自分の……、言いにくいがわたしの、そそっかしさが原因だ。
とはいえ、以前よりずっと、そんな失敗は減っている。
カレンダーの寸法は、左右20×天地18cm。
家にいるときの居場所は、2箇所。
仕事ちゅうは、仕事部屋・机横の書棚にかけています。
もうひとつの居場所は、台所・冷蔵庫の扉。
朝と夕方は、ここにいます。