先週、静岡県藤枝市に出かけた。
「大井川の木で家をつくる会」(ハイホームス)のひとたちとお会いするのが目的だった。
講演の依頼があったとき、気がつくと、ふたつ返事で「はい、行きます」と答えていた。
わたしは、話が下手くそだし、日ごろ、講演という話からは逃げよう、と考えているというのに。
なぜだろう……。
依頼のお手紙と、わざわざ会いに来てくださった会の方たちから、ゆらゆらとたちのぼっていた何かが、作用したのか。
何だろう、これ。
静岡に降り立つや車に積みこまれ、川根の山をめざした。
途中、茶畑や大井川と縁を結んだ川を褒めながら、ゆっくり、日ごろ身につけている鎧(よろい)をはずしにかかる。その鎧は、たやすくこころを許さない、簡単には感動しない、という自分との約束、ま、警戒心だ。
雨上がりの川根の山には、もやがかかり、幻想的な佇まいを見せている。
山をしばらく歩くうち、胸がしん、とするのがわかる。
杉が、ある間隔をおいて立っている。
案内してくださる「大井川の木で家をつくる会」の代表の三浦さんが、「ここは、理想的な状態ですが、ほら、あそこ。あそこは、もう少し、木同士、間隔をあけなければなりません」と、言う。
杉は、欲望もなく、ただあるがままにすっくと立っている。
ああ、1本の木のように生きたい。
ひと同士も、いい具合の間隔をとって暮らしたい。礼儀知らずにならぬよう、また、ひとりの胸でしん、と感じたり、考えたりできるように。
そんなことを、感じていた。
この2日間、山を、木を、川を守りたいと希ってやまない人びとのなかで過した。山、木、川を守るため、手に技もとうとしている彼らには、詩ごころが宿っていた。
わたしが、最初に感じたあれ——会の方たちからゆらゆらとたちのぼっていた——は、詩ごころ……。
川根の山に向かう途中、この町の人びとの手になる工芸品、食べものを売る小さな店に立ち寄る。
ここで、買いものかごをみつけた。
長いあいだ、探していた買いものかごを、とうとう、みつけた。
町の女性たちが編み上げたという、竹のかごだ。
これを持つたび、わたし自身の、手に技をもつ目当てをたしかめるとしよう、と誓う。
エコロジーの意味も、そこから探ることにしよう。
いつしか、暮らしに詩ごころが湧く日をめざして。
探しつづけるものは、
ある不思議な縁のなかでみつかるものかもしれません。
この買いものかごも、そうでした。
気がついて、よかった……。
ここで合えて、よかった、です。
大事にします。