「そやな。それに、あんたって、自分が思ってるんとは全然違うしな」
田村さんはそう言いながら、けたけた笑った。
「どういう意味ですか?」
「あんた、自分のこと繊細やとか、気が弱いとか言うとるけど、えらい率直やし、適当にわがままやし、ほんま気楽な人やで」
「何ですか、それ」
私は顔をしかめた。
「ほめてるんやで。あんたみたいな人は、長生きするわ」
そうなのだろうか。自分ではそんなことわからない。だけど、確かに今は長生きできそうな気がする。もっともっと生きていけそうな気がする。
ここで過ごしたのはたった一ヶ月足らずの時間だけど、その間に自分の中の何かが溶けて、違う何かが息づいたように感じる。 映画「天国はまだ遠く」より(※)
書斎に夫が入ってきて、真っ黒い本をくっとつき出すようにする。「これ。できました」と云う。受けとった本のカヴァには、『ミニシアター巡礼』と書いてある。夫がこの数年、旅しながら書きためたミニシアター探訪記が、とうとうできたということらしかった。
「おめでとう。ほんとうによかった。よかった」
さいごの「よかった」は、自分に。
本を書くのが本業であるわたしから見て、こんなに時間をかけて大丈夫なのかとはらはらさせられ通しの数年だった。大月書店の西浩孝さんという編集者は、とても若いが優秀で、そしてそして並外れて我慢強いと思う。ありがとう、西さん。わたしは脇から眺めていただけだったが、はらはらしたから「よかったね」と自分にも云うのである。
この本の帯に、大きな字で「人間には“あの暗闇”が必要なんだよ」とある。わわっ、と声が洩れる。“あの暗闇”とは、映画館の(この本では、ミニシアターの)闇のことだが、“闇なし自室上映のひとり観客”をつづけている(1年に100本観る)わたしが、わわっとなるのも無理はない。おもに“あの暗闇”のなかで観てもらう映像をつくるのが本業の夫に対してうしろめたさを抱きながら、きょうも午前中「劔岳 点の記」を観たところだ。
“闇なし自室上映のひとり観客”のいいのは、気に入った作品を何度も何度もくり返し観ることができるところだ。先に劇中の台詞を引用させてもらった「しあわせのかおり」(「向き合うもの」)も、DVDを購入して、何度も何度も観た。DVDを観るのは、なんと仕事ちゅうである。たしか、「原稿を書くとき、たいてい右方で映画を上映している。読むとき音は困るけれど、書く(描く)ときには、あったほうがいい」と書いたと思う。あれは、わたしにはちょっとした告白だった。
告白から数日後、テレビをつけたら、ミュージシャンでアーティストの槇原敬之さんが話をしていた。槙原さんは鳥のようなヘアスタイルをしていて、鳥好きのわたしは、うれしくなる。頭のてっぺんのほうをしゅっと立てているヘアスタイルで、槙原さん本人は、べつに鳥などイメージしていないだろうが。よく似合っている。そういうきっかけで観はじめたのだったが、お話がまたおもしろい。そうして……。
音楽(歌詞かもしれない)をつくっているとき、テレビとかDVDをかけているという話になる。驚く。聞き手のアナウンサーも、「お仕事の妨げにはならないのですか?」と訊いている。「いえ、なんだか、このへんでひとやものが動いていたり、音が鳴っていたりするのがいいんですね」と槙原さん。わたしは、鳥につづいてすっかりうれしくなった。自分が告白したことを、わるくないんじゃない? 僕もそうです、と云ってもらいでもしたかのような気持ちだ。
「天国はまだ遠く」も好きでたまらない映画だ(原作は「瀬尾まいこ」)。DVDがすり減るのではないかと思うほど、観ている。溌剌(はつらつ)としたひとが観ても、元気を失いかけたひとが観ても、等しく「いいなあ」と思えるはずだけれど、元気を失いかけたひとにより効果がある映画である。
主演の「徳井義実」と「加藤ローサ」がいい。「加藤ローサ」という俳優がいいというのは知っていたが、「徳井義実」がこれほどの存在感をもっているとは。彼は、「チュートリアル」で「福田充徳」とコンビを組むお笑い芸人である。表向きを超えたひとの存在の奥深さだなあ、と感心しないではいられない。
「加藤ローサ」演じる女性が死に場所をもとめて、山間(やまあい)の集落にやってきたところからものがたりは、はじまる。胸に迫るのは、人格に問題をもっているわけでもない、かわいらしい若い女(ひと)が、心身ともに疲れきってしまい、そんな状態から一刻も早く解放されたいと思いこんでしまうところ。ひとは、たいしたことではなさそうなことに悩んで、「困難」という名の坂道を「深刻」という名の谷底に向かってころがり落ちてゆくものなのだ、とあらためておしえられた。
けれどまた、何かの拍子にすっくと立ち上がって、べつの方向へと歩きだすことができるのも、ひとというものなのだな。
引用したふたりのやりとりが、こころに染みる。
ああ、自分が知っている、自分というのも大事だが、自分が知らない、自分というのも在るのだという認識も大事だなあと思う。その認識の上であらゆる人間関係が深まり、それはまた、ひとに対して何ができるかということの道しるべにもなる。
※ 『天国はまだ遠く』(瀬尾まいこ/新潮社)がある。掲出のくだりは、ここから引用しました。
![Photo Photo](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/134a2923a44488a56461a7d6a44a9ed9e2ca929a.39.2.9.2.jpeg)
「天国はまだ遠く」には、
「いいなあ……」と思えるものがたくさん出てきます。
そのなかに、讃美歌があります。
讃美歌をうたう、讃美歌を口ずさむ……。
いいなあ、素敵だなあと思います。
朝の礼拝から1日がはじまる、という学校に14年間も
通ったわたしも、讃美歌をとても好きです。
わたしの讃美歌には、母が当時凝っていた革細工で
つくってくれたカヴァがかかっています。
![Photo_2 Photo_2](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/806e11bac8c316fb251a417f2e482b6c28c2b06e.39.2.9.2.jpeg)
若いころ、初めてカラオケに誘われて行ったとき、
讃美歌がうたえたらいいなあ、と思ったものです。