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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2011/11/15
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カテゴリ:生活

 雨の夜だった。
 コンクリートの地面が濡れ、ぬらぬらと光っている。なんだか物悲しい。が、それが夜行にふさわしくも思える。
 深夜バスの発車時刻を告げる幾通りかの声を聞き分けようと、うろうろしかけたとき、ぺたんと尻餅をついた。こういう事態に陥ったときの常として、一瞬、何が起きたかわからなくなる。
 ——え、何?
 というふうに。まるで、時空の穴に落ちこんだようだ。が、その一瞬が過ぎると、こんどは事態が飲みこめて、ああ、尻餅をついたのだなと自覚する。このときの感覚が、もっともひとによってちがいがでるところだ。
 さあ、どう感じるか……。
 わたしは、こんなふうに感じた。
 ——尻餅。なんだか、すとんとついたな。正調尻餅。
 そして、着地地点は、ここだ。
 ——これでよし。この旅は、うまくゆく。



 デニムのお尻をさすりさすり立ち上がると、まわりの驚いた顔、心配して、声をかけようかそうしないでおこうか迷うような顔に囲まれているのに気がついた。これもいつものこと。わたしは、自分の尻餅や転びに馴れっこになっていて、どうとも思わないけれど、いつもここで、反省する。まわりを驚かせてしまったことに対して。
「あ、大丈夫です。すみません」



 学生時代(中学、高校、短大と8年間)の同級生の個展が奈良で開かれる案内をもらって、とつぜん出かけることにした。行動力があるとはとても云えないわたしには、めずらしい冒険だ。しかも、行き帰りの交通手段を、深夜バスと決めた。
 冒険を前に、片づけておかなくてはならないことを片端から片づけ、仕事の約束も守ろうと(また、帰宅した日に焦って仕事をしなくてよいように)、それはもう大忙しであった。自分にめずらしい冒険への緊張からか、かなり切羽詰まっていた。ただし、切羽詰まったのは3日間のことだ。行こう、と決めたのが出かける3日前だったから。
 冒険への緊張。それは端(はた)にも伝わったらしく、「お母さん、緊張してるね」と長女に云われる。
「うん。深夜バスも初めてだしね。ちょっと、き、緊張してる」
 深夜バスに乗ることも、度重なる地方への取材も、ものともしない勇敢な長女(雑誌の編集部に勤めている)は、「大丈夫。いまの深夜バスは進化しているからね。早朝到着して、深夜出発でしょう? スーパー銭湯を調べておくといいよ。時間がつぶせるから」と云う。
 そして、首枕(息を吹きこんでふくらませ、首に巻きつける枕)と、アロマオイルを染みこませたアイマスクを手渡してくれた。うれしかったが、これで、また緊張が募る。



 深夜バスの集合場所で尻餅をついたところにはなしを戻すけれど、そのとき、やっと緊張がほどけたのである。尻餅でどうして緊張がほどけるかと尋ねられても困るけれど、ほどける。ああ、この尻餅が、この旅のあいだの困ること全部を引き受けてくれたなあと思うからである。
 そして、ほんとうにいい旅になった。
 まず、深夜バスがわるくなかった。首枕とアイマスクが威力を発揮した。かなたの長女に向かって、「ありがとう、ありがとう」と云いながら眠りにつく。
 さがしておいたスーパー銭湯もいい塩梅だった(到着の朝と、出発前の夜と、つまり同じ日に2度同じスーパー銭湯の客になった)。
 そうして。友人の個展、「樫本素子 展」がすばらしかった。
 およそ20年ぶりの再会だというのに、とつぜん出かけていったので、たいそうおどろかせてしまったが、絵は大作も小さな作品もみな、こころに響いた。20年会わないあいだ、わたしの知らないいろいろのことが起こったのにちがいなくても、作品から、素子さんがずっと明るい気持ちで過ごしてきたことが伝わった。
 個展会場でばったり会った、2人の級友(こちらは30年ぶり)と、近くの店で目がとび出るほどおいしい天ぷらを食べる。
 べつの友人と近鉄奈良駅の行基(ぎょうき)さんの銅像前で待ち合わせをし、ふたりで「磯江毅=グスタボ・イソエ 展」(見ることができて幸いであった/奈良県立美術館)と「正倉院 展」を見、釜飯を食べた(このとり釜飯がまた、おいしい)。
 仕事を終えた友人のだんな様が車で来てくれ、若草山に上がる。頂上から眺めた奈良盆地の夜景。それをこころに刻みながら、死ぬ間際この光景を思いだすかもしれないなあと、ふと考える。暗がりのなか、鹿が鳴く声を聞いた。鹿を2頭ばかりバスに乗せ、連れ帰りたいようだ。
 という奈良での1日。すばらし過ぎる1日。
 出がけ、バスに乗りこむ前についた尻餅のおかげで、無事冒険ができたのだ。友人夫妻と別れたあと、足のかかとに靴擦れができているのに気づく。夜、その日2度めのスーパー銭湯に入ったとき、見ると、皮が剥けてそうとうにひどい靴擦れであることがわかった。どうりで、痛いはずである。
 いつも履いているスニーカーで、これほどの靴擦れができるとは。
 ——ああ、そうか。
 と、こころづく。
 この旅のよろこびと無事がもたらせるのに、尻餅という災難だけでは足りず、靴擦れも加わったのだなあ。と、こころづく。



Photo



靴下(三女の)のかかとがすり切れたので、
あたらしいのを買いました。
左の靴下、3回は繕いました。

尻餅、転び、靴擦れのようなのも、
わたしには「お守り」に思えますが、繕いも、
そうとうに「お守り」になると信じています。







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最終更新日  2011/11/15 10:00:00 AM
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