目には見えないはずのものが、見えるような気のすることがある。
と云っても、わたしに超能力があるわけではない。見えないものは見えないものとして、不思議なものは不思議なものとして、ただ、感じるだけだ。
ごく最近もこんなことがあった。
見えないもののあたまと、尻尾が追いかけっこをしている。わたしは、追いかけっこを眺めるところに位置しているのだが、それは……、そうだ、あれに似ている。虎たちの様子を、やしの木のかげに隠れて、「いったい、どういうことに なるのかしらと おもいながら、そっと のぞいてみている」さんぼに似ている。
『ちびくろ・さんぼ』の主人公のさんぼである。
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おかあさんのまんぼがつくってくれた赤いきれいな上着と青いずぼん、おとうさんのじゃんぼが買ってくれた緑色の傘と、底が真っ赤で内側も真っ赤な紫色の靴を、4頭の虎にとられてしまったさんぼです。泣きながら歩いていると、「ぐる・る・る」という恐ろしい声が聞こえてきました。
それはなんと、4頭の虎が「おれが、いちばん立派な虎だ」と云って、けんかをしている声でした。しまいに虎たちは、けんかのきっかけになった、さんぼからとり上げた上着、ずぼん、傘、靴をほうり出して、自分のとなりの虎のしっぽに食いついて、ぐるぐるかけまわりました。すると、木のまわりに虎の輪ができました。
そのすきにさんぼは、虎たちがほうりだした上着とずぼんを身につけ、靴を履き、傘をさして帰りました。
あんまりぐるぐる、ぐるぐるまわっているうちに、とうとう虎たちは溶けてバタになってしまいました。そこへ、さんぼのおとうさんが大きなつぼを持って通りかかります。バタをつぼにいっぱい入れて、うちに帰りました。
おかあさんはバタを使って、おいしい「ほっとけーき」(※)を山のようにつくってくれました。
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わたしに見えた(ような気のする)、見えないはずのものとは、時間のあたまと尻尾だった。時間の尻尾が、自らのあたまを追いかけている。それをこっそり見ているわたしは、むなしさとおかしみの混ざる気持ちを抱いている。
ふと、忙しさから逃れたくて、ぐる・る・る・る・る・る・る・る・る・る・ると、自分の時間に追いかけっこをさせてしまったなあと、思ったら、むなしさとおかしみが同時に湧き上がってきたものらしい。
——むなしさやおかしみなんかより、バタのほうがよかったなあ。
半年ほど前のことだ。
朝の家事の時間にゆとりをもたせるため、洗濯を夜のうちにすることを思いついた。長年、洗濯は朝してきたのだったけれど。朝にしようと、夜にしようと、洗濯には変わりがないし、その変化も決して大きいものではない。それなのに、なんだかものすごいことを思いついたような気持ちになるのだった。これこそが家のしごとの特質だと、わたしには思える。そして、些細なことを掻き抱きながらすすんでゆくのは、一種の醍醐味とも云える。
そのことはうまくいった。
とくに初めは快調だった。
ところがそのうち、洗濯かご(洗濯したいモノを入れておくかご)に衣類がたまっているのを見ると、朝であってもつい、洗濯したくなってきた。ことに夜、洗濯をすませたあとに帰宅した者たちが大物の洗濯ものを出したときなど、そんなことになるのだった。
おかしなことに、いつしか、夜の家事の時間にゆとりをもたせたくなってくる。朝の家事の時間にゆとりをもたせるためにはじめた、夜の洗濯だというのに。このあたりで、時間の追いかけっこがはじまったのだ。時間の尻尾が自らのあたまを追いかけている……? いや、時間の頭が尻尾を……? 何にしても、ぐる・る・る・る・る・る・る・る・る・る・ると、やっている。
忙しさから逃れたい気持ちが、あたらしい忙しさを生むというわけだった。
ほんとうは、朝生まれたゆとりのなかで、「ほっとけーき」を焼いて、みんなでたーくさん食べたりするはずだったのに。
※ 「ほっとけーき」
ものがたりのさいごに、おとうさん、おかあさん、さんぼの3人が「ほっとけーき」をたくさん食べる場面が出てくる。さて、それぞれが食べた枚数は?
(答えはキャプションのおしまいに)。
洗濯と云えば、先週初めてこういうものを洗いました。
三女が、中学の授業で使わせていただいた柔道着です。
干しているときも、たたむときも、どきどきしました。
柔道着、小さくたたんで帯でしばり、その帯を肩にかけて
(かついで)運ぶのですね。
そのことにも、どきどきしました。
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「ほっとけーき」の答えです。
おかあさんのまんぼ、27。
おとうさんのじゃんぼ、55。
ちびくろ・さんぼ、169。
※お知らせ
2012年6月1日 13:00 - 15:00
新宿の朝日カルチャーセンターにて、
「エッセイを書いてみよう」という講座(1回)の講師を
つとめることになりました。
ご興味のある方は、朝日カルチャーセンター
(03-3344-1945)に
お問い合わせください。