昨年の秋のこと。
英文翻訳の課題で、「Christmas Every Day」※を訳した。アメリカでは知らないひとはないというくらい、有名なものがたりだという。毎日がクリスマスになりますように、というひとりの女の子の希いがかなってしまう……、ちょっと怖いものがたり。怖くはあるけれども、アメリカのクリスマスの様子が伝わってきてたのしくもある。
ものがたりのおしまい近く、
“What’re your shoes made of?”
という問いかけが出てくる。「あなたの靴は何でできてるの?」という問いかけである。靴のはなしなど、どこにも出てこないというのに、いきなり“What’re your shoes made of?”と。いきなり問われた相手(クリスマスの妖精)は、あわてず騒がず、“Leather.”(革で)と答える。
何? 何? 何? とこちらは、思いきりこんがらかる。何かの暗号だろうか、と考える。
このくだりがグリム童話の「こびとの靴屋」のものがたりをさしているというのは、授業のとき、高橋茅香子せんせいの説明によって初めてわかった。わたしにしたら、「へええええ」である。
もしもわたしが、たとえばブログに脈絡もなくとつぜん、「あなたの靴は何でできているの?」と書いたなら、編集のNさんが、すぐさま電話をかけてきて、「山本さん、いくら有名なおはなしでも、『グリム童話の「こびとの靴屋」のものがたりより』と註をつけるか、文中で説明したほうが、親切ではないでしょうか」と云うだろう。と、そんなことを想像して、アメリカの文学の謎めいた一面を噛みしめた。
“What’re your shoes made of?”が「こびとの靴屋」縁(ゆかり)の一文だと知って「へええええ」となったのには、もうひとつわけがある。それは、このものがたりを大好きだったからで、再会は唐突ではあったものの、なつかしさうれしさに包まれたのだった。
「こびとの靴屋」のものがたりは、ある靴屋の家がだんだん貧しくなり、とうとう靴1足分の革しかなくなってしまったところから、はじまる。
*
靴屋は革を裁つと、明日それを縫うことにして寝床に入りました。翌朝、しごとにかかろうと思って机に向かうと、そこには靴ができあがっているではありませんか。見事な出来映えの靴でした。その靴は高く売れ、そのお金で靴屋は靴2足分の革を仕入れることができました。
その夜も、靴屋は革を裁って寝床に入りました。ところが。朝になると、また靴ができていたのです。そんなことがつづいた、クリスマスも近いある晩、靴屋とおかみさんは、いったい誰が靴を縫ってくれるのか、隠れて見ていることにしました。真夜中に、裸のこびとがふたりあらわれて、驚く速さで靴を縫い上げ、いなくなりました。
あくる日、おかみさんはこびとたちに下着と上着とズボンとチョッキを、靴屋は小さな靴をつくりました。
*
というものがたりである。
お礼の洋服と靴をもらったこびとは、大喜びしてそれを身につけると、家を出てゆく。そのあと、こびとはもうやってこなかったけれど、靴屋の店は大きくなり、しあわせにしごとをつづけるのだった。
誰もが幼い日、幾度か目にしたり耳にしたものがたりだろう。
わたしは、「こびとの靴屋」のおはなしを知るや、朝起きたら、宿題の答えが書かれた帖面が机の上に置いてあるところやら、縫いかけのワンピースが縫い上がっているところやらを想像するようになった。いまでも、忙しい日がつづくようなとき、朝、弁当ができて置いてあるとか、おいしそうなおかずができているとか、そういうことはないかなあ……と、ふと考えたりする。
そんな夢のようなことは起こらないと、相場は決まっているのだけれど、想像するだけで、忙(せわ)しなさでいっぱいになったこころがほぐれる。
ところが。きのうの朝のことだ。
うちにもこびとがやってきた。
この冬、金柑(きんかん)の甘煮がほしいけれども、どうにもそれをつくる余裕がないなあ、どうしよう、がんばって煮るかなあ、あきらめるかなあ、と揺れつづけていた。つねづね、弁当の隙間に詰めるちっちゃくておいしいものを、心づもりしていて(弁当の隙間に詰めるちっちゃなものがないばかりに、そこらにある小さな置きものや、箸置きなんかを詰めそうになる。弁当の隙間を埋めることというのは、切実)、弁当の隙間に詰めるちっちゃくておいしいもののなかでも、金柑の甘煮は最たるものだからだ。しかし、どうやらことしは手がつきそうになく、あきらめかけていたのだった。
朝、寝床から出て2階の台所に上がってきて驚く。鍋のなかに何かできていて、それが金柑の甘煮のように見える。まさかね。きっとわたしは寝ぼけているのだ。目をこする。
ガス台のほうを見ないようにして、顔も洗う。おそるおそる、ガス台の上に目をやる。そこにあるのは、やっぱりつややかにふっくらと煮えた金柑だった。食べてみたかったけれど、そんなことをしてはいけないような気がして、そっとしておく。
頭の隅で、考えている。
——もしも、もしもこれがこびとがしてくれたしごとなら、わたしは、お礼に何をしよう。
※ 「Christmas Every Day」(毎日がクリスマス)
William Dean Howells(ウィリアム・ディーン・ハウエルズ/米国の作家、
編集者。1837−1920)作
鍋のなかの金柑の甘煮は、
金柑には包丁を入れず、まるのまま煮てありました。
起きだしてきた長女が、
「金柑をたくさんいただいたから、夜中に煮たの」
と云います。
(なんだ、そうか。でも、ありがとさん)。
①金柑にぷすぷすと竹串をさす。
②①を茹でて、ざるにあげ、水にさらす(15分ほど)。
③②を鍋に入れて、金柑がかぶるくらい水を注ぎ、
砂糖(金柑の6割ほど)を加えて中火で煮る。
④沸いたら弱火にして、煮汁がとろっとするまで煮る。
⑤さいごに醤油(少し)を加える。
※煮汁がなくならないようにする。途中差し水をしてもよい。
というふうにつくったそうです。
*
先週お知らせした『不便のねうち』が発売になりました。
刊行を記念して、3月14日に、小さなおはなしの会をひらきます(応募締め切りは2月28日午前10時)。
どちらも、よろしくお願い申し上げます。
山本ふみこ