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小渡樹の日記 [全587件]
漫才コンビ・浅草キッドの片割れ 玉袋筋太郎初の自伝的小説 「新宿スペ-スインベ-ダ-」読了。 サブタイトルが「昭和少年凸凹伝」。 著者の玉袋筋太郎が、生まれ育った新宿を舞台に 小学校5年生の頃の思い出が生き生きと 楽しい思いでもあれば、 時に過激な、時に切なくほろ苦いエピソ-ドがいくつも描かれる タイトルにあるように主人公も含めた 彼ら悪ガキどものたまり場の一つが インベ-ダ-ゲ-ムがあるゲ-ムセンタ-。 第1章で描かれる インベ-ダ-ゲ-ムのエピソ-ドがいい。 主人公の友人でありゲ-ム名人のカッチャンが みんなのリクエストに答えて 『流星』をやるシ-ンがある。 『流星』とは、 後方の30点、20点のインベ-ダ-を先に倒して、 10点のインベ-ダ-を残し、 動きの速くなった10点インベ-ダ-を模様を残しながら 移動させるテクニック。 その際の10点インベ-ダ-の模様が流星のように見えるので 彼らの間では『流星』と呼ばれていた。 同じくスペ-スインベ-ダ-は 私の地元・沖縄でも同時期流行っていた。 彼らの間での『流星』は 我々の間では「スカイライン」と呼ばれていた。 その地域ごとの呼び名の違いを知っただけでも実に楽しい。 スペ-スインベ-ダ-が流行っていたのは 1978年頃なので、当時私は高校一年生。 当時、沖縄の離島の子供がインベ-ダ-ゲ-ムをやるために 家から数十万円の金を持ち逃げして 本島にやってきて保護されたという事件が新聞に載った。 当時の女子プロレスラ-・ビュ-ティ-ペアの片割れ マキ上田が「インベ-ダ-」という歌をリリ-スしたという記事を 新聞で見た事があった。 ゲ-ムセンタ-ばかりでなく、 公園、デパ-ト、水道局、駄菓子屋、銭湯etc 様々な場所を彼らは遊びの舞台に変えていく。 公園に住み着いているホ-ムレスとの出会い・友情・そして・・・。 災厄の塊のような1学年上のガキ大将の存在。 プロモ-タ-もどきをやったり、サラ金のまねごとをしたり。 彼らの小学生ライフは、自分の同じ時代と照らし合わせながら、 時に感情移入、時に爆笑しながら読んだ。 舞台の新宿は、 私には大学時代に東京在住の友人と一緒に数回飲みに行った事、 紀伊国屋書店で足が痛くなる位長時間立ち読みをした事、 ヤングマガジンに連載されていたタイムスリップヤクザ漫画「代紋TAKE2」の主人公阿久津丈二が 「俺は新宿の阿久津丈二だ!」と啖呵をきった事、 石原都知事が浄化作戦を実行している事 その程度の知識と思い出位しかない。 でも今回、そこで生まれ育った作者の本が読めて 今までとは違った新宿像を知ったのは面白かったし良かった。 今度は、作者の中学高校時代を描いて欲しい。 すごく興味がある。 というのは、20年位前、本屋で女装雑誌を立ち読みした時 玉袋筋太郎インタビュ-が掲載されていたのだ。 (裏表紙に女装した浅草キッドの二人が写っていた記憶がある) (記憶はあいまいだが)それによると、高校からグレ始めた。 中学まで全くグレる要素は無かった。 高校一年の頃ある時、 雀荘をやっていた父親が店をタタみ、飲み屋をやると宣言した。 父親がオ-プンした店に 友人と一緒に入ると 女装した父親が「いらっしゃいませ~」と出迎えた。 思わぬ対面にお互い驚愕する親子。 それ以来「あいつのお父さんはオカマなんだぜ」と いじめられるようになりグレはじめた。 その後お姉さんと父親がセ-ラ-服の奪い合いを演じたエピソ-ドが語られる。 そんな頃に「たけしのオ-ルナイトニッポン」で癒され、 ビ-トたけしに傾倒していった。 以上、こんな感じの内容だった。 玉袋筋太郎が、中高時代の自伝的小説を書くとしたら このエピソ-ドが描かれるのかどうか すごく興味がある。 (ちなみに「新宿スペ-スインベ-ダ-」では、 父親との距離が縮まる心温まるエピソ-ドがある) いろいろ書いてきたけど、 この本はオススメです!
(※この文章は10数年前、仲間内で作っていた会報誌「えー小のマ-ス煮」に掲載されたものです。その時のタイトルは「手塚治虫の後継者になれなかった男、小室孝太郎の悲劇」。その後「漫パラ」というサイトに投稿したら、そこに掲載頂きました。掲載の数年後「漫パラ」は突然閉鎖されました。当時管理人にメ-ルを何度か送りましたが返事はありませんでした。月日は流れ・・・去年部屋を掃除していたら、原稿が出てきたので、このまま埋もれさせるのも残念な気がしたので、新たに加筆訂正の上、ここに発表します) 前回紹介した「ドリ-ム仮面」作者・中本繁の場合、週刊連載向きでないために起きた悲劇だった。http://tokyo.cool.ne.jp/denno_ono/otacky.html だが、今回は違う。あの過酷な週刊少年ジャンプの連載で常に人気投票の上位をキ-プし続け、現在でも古くならない評価の高い作品を発表しながら、編集部の思惑により、漫画界の表舞台から消えていかざるをえなかった漫画家を紹介する。 彼の名は小室孝太郎、手塚治虫のアシスタント出身で、69年に週刊少年ジャンプで代表作「ワ-スト」というSF漫画を連載していた漫画家である。彼の作品は、少年ジャンプとの確執(この件については後述)が背景にあるせいか、ほとんどが絶版で入手困難である。 代表作「ワースト」が朝日ソノラマで復刻されたとの情報を入手した私は、早速沖縄本島中部一帯の本屋をしらみつぶしに探し回り、目的のブツを入手、読みふけったのであった。 「ワースト」、今読むと時代設定や描写に古さを感じるものの、テ-マの斬新さや読者を引きつけるスト-リ-展開は今でも十分通用する名作である。 時は1960年代、地球全土で約1週間にわたり降り続いた雨。その雨に濡れた人々は苦しみ始め次々と死んでいく。その死体はワ-ストマンと呼ばれる化け物に変身し、生き残った人間に襲いかかる。人間たちも力を合わせて、ワ-ストマンに立ち向かうのだが、このワ-ストマン恐ろしく生命力が強い。刃物でぶった斬っても、銃で撃っても、爆弾でふっ飛ばしても、傷口はすぐ再生するわ、バラバラになった体は引っ付いて生き返るわ、定期的に体を分裂させて繁殖するわ、ワ-ストマンにかまれた人間はワ-ストマンになってしまうわ、燃やして灰にするしか息の根を止めるすべはない。さらにタチが悪いのが、こいつらは徐々にではあるが、知能が発達していくのである。 “そんなワ-ストマンに対して、なすすべはあるのか?人類”という内容なのだが、当時この作品を読んで衝撃だったのが2点。 まず1点目は主人公の死。この作品は3部構成になっていて、第1部の主人公エイジが次の主人公タクに希望を託して、ワ-ストマンを道連れに自爆するシ-ンは、小学生時代“主人公はどんな苦難や危機にあっても絶対に死なないもの”と思っていた私には衝撃だった。 続いて2点目は、物語に流れる一貫したメッセ-ジ“勉強して、知識を蓄えろ”。正体不明の敵ワ-ストマンに対し、生き残った人々の多くが子供たちで、最初の主人公エイジにしても少年院を出たばかりの元不良。そんな極限状況のためとはいえ、このメッセ-ジはドリフタ-ズの人気番組「8時だよ全員集合」エンディんぐにおける加藤茶のセリフ「ババンババンバンバン勉強しろよ」以上に私の心に響いた。もし、この時一念発起して勉学に勤しみ継続していたら、もっと違った人生を歩んでいただろうに・・・。つくづく自分の持続性のなさを思い知らされる。 第2部の主人公タクは、圧倒的優勢なワ-ストマンの脅威の前に、東京から南方の島への撤退を決意する。移動中、片腕・遠崎の死という悲劇をはさみ、島へ向かう船出で第2部終了。地球上での生き残りをかけた戦いは、第3部でタクの孫リキに引き継がれる。そして、読者の予想を裏切る結末。 この作品は古典SFの名作「トリフィドの日(映画化作品「人類SOS」)」をベ-スにしているが、単なる模倣に終わらず、それ以上の独自のもにしている点に作者の並々ならぬ力量を感じる。後のゾンビシリ-ズのヒットを考えると、時代を先取りした作品である。 72年の作品「ミステリオス」は後の「うしおととら」や「地獄先生ぬーベー」に先駆けた学園心霊漫画だった。続く73年の作品「アウタ-レック」はコンピュ-タ-に管理された独裁社会と、それに反旗を翻す人々を描いた意欲作だったし人気もあった。それなのにこのアウタ-レック、尻切れトンボのような納得行かないラストで突如終わってしまった。連載回数もわずか21回。アウタ-レック終了後、小室孝太郎は漫画界から一時姿を消す。子供心に納得のいかないものを抱えたまま5年後の78年、小室は突然週刊少年ジャンプに復活。「命(みこと)」を約2ヵ月半連載するが、連載終了後今度は完全に漫画の表舞台から姿を消した。連載回数わずか11回。内容的には、約10年後にヤングジャンプでの「孔雀王」のヒットを考えると、早すぎた作品だ。命(みこと)が連載されていた頃、私は高校生。漫画界の情報も入手しやすくなっていたので、業界の状況も徐々に分かり始めていた。私は思った。“小室孝太郎とジャンプ編集部との間にトラブルがあったのでは?” 洋泉社発行の「つっぱりアナ-キ-王」という本がある。これは小室孝太郎へのインタビュ-が掲載されているという点だけでも貴重な本である。それによると、アウタ-レック終了はやはり編集部とのトラブルだった。 人気投票はずっと上位をキ-プしていて、打ち切られるような要素はまったくない。なのになぜ? それは、当時同誌連載の永井豪「マジンガ-Z」と川元コウ&梶原一騎「侍ジャイアンツ」が背景にあった。マジンガ-Zは人気投票の上位と下位を行ったり来たりしていたが、アニメ化が決定したため打ち切られずにすみ連載は続行となった。一方の侍ジャイアンツは人気投票は下位。しかし原作はあの天下の梶原一騎である。彼の強力なプッシュにより、この漫画もアニメ化が決定し、これもまた打ち切られずにすんだ。 そこで当時の編集部の方針としてSFは1本でいいとなり、アウタ-レック打ち切りとなった。 小室としては、この決定が面白いはずがない。ケンカに近い状態でジャンプを離れ、その後他誌で連載を試みるが、ジャンプの圧力により中々描かせてもらえなかったという。 彼もまた悪名高き少年ジャンプの専属契約制度の犠牲者だった。 私は、他に小室が切られた原因の一つとして、当時の出版業界にあったSF蔑視があると思う。70年代当時、SFはあれほど人気があったにも関わらず、活字の世界では低く見られていた。現在SF界の大御所とされる方々の当時について書かれた文章を読むと、時折苦渋に満ちた記述を発見する事がある。(一例として筒井康隆「大いなる助走」)ちなみに中学時代、私もSFが好きだと公言したら同級生・先生の一部・親からバッシングを受けた経験がある。 当時、活字の世界で最下層の立場にあったSF。活字からは低く見られていた漫画。そして、漫画業界内では打ち切られてもいい存在だったSF漫画。差別の多重構造だ。 だが、70~80年代にかけて、台頭する漫画に対し活字は押されぎみだった。そんな中、漫画としのぎを削りあった活字がSFだ。SFの影響を受けた漫画も多いし、その逆もあった。両者の間には交流があった。 小室孝太郎の名作「ワ-スト」もその交流の賜物の一つだろう。 小室だけではなく、もう一方の意見も取り上げたい。週刊少年ジャンプ3代目編集長西村繁男氏の著作に「まんが編集術」がある。その118ペ-ジに小室に関するコメントが掲載されている。紹介しよう。 「(小室さんは)手塚さんの後半のアシスタントから出てきた人です。だから絵はそれ以上に行かないんですけどね」 西村氏は、漫画界の歴史に残る週刊少年ジャンプの売上部数653万部という偉業を成し遂げ、ジャンプを業界NO1にした立役者である。 それほどの方と承知の上で私は反論させて頂く。 漫画家は、描き続けていれば、大なり小なり絵はうまくなっていくものである。 小室は、間違いなく漫画界の歴史に残る作品を次々と生み出す能力をもった漫画家だった。手塚漫画のキャラクタ-の愛らしい部分は、故・藤子F富士夫や鳥山明に受け継がれている。小室は手塚のスト-リ-テラ-の部分を受け継ぐ資質を持った貴重な漫画家だった。 歴史にIFは禁物というが、もしあんな形で連載を打ち切られなかったら?他誌でも活躍出来ていたら?もし小学館移籍できたら?あるいは壁村編集長の頃の週刊少年チャンピオンに移籍していたら?もしあの悪名高き専属契約制度がなかったら・・・? 運も才能の内と言われるが、小室を襲ったものが不慮の事故や病や災害という不可抗力ではなく、編集部の方針という点に私は納得のいかないものを感じる。当時の編集部に度量があれば・・・。 小室孝太郎は週刊少年ジャンプに最後の連載「命(みこと)」を連載した後、活躍の場を宗教漫画や歴史漫画に移し、漫画の表舞台からは遠ざかっている。新作の構想は今でも持っていて、チャンスがあれば描きたいという(「つっぱりアナ-キ-王」のインタビュ-より)。どこか奇特な出版社があれば、やってくれないだろうか。 小室孝太郎、21世紀になった今だからこそ、再評価されるべき漫画家である。 参考文献:「ワ-スト」(朝日ソノラマ)「つっぱりアナ-キ-王」(洋泉社)「まんが編集術」(白夜書房)「大いなる助走」(新潮文庫)
昨日夕方、北谷のミハマで 映画「英国王のスピ-チ」を観た。 時代設定は1930年代。 ドイツではヒトラ-が率いるナチスが台頭し ヨ-ロッパは不穏な状況になり始めていた。 主人公はジョ-ジ6世。 父親である前国王が亡くなり、 兄が王位を継いだが、年上の×2のアメリカ女性と 一緒になる方を選び、王位を放棄。 そこで主人公である弟ジョ-ジ6世が王位を継承する事に。 彼は、幼い頃から悩み苦しみ続けている 吃音障害を抱えていた。 王位を継承したら、 国民に向かってスピ-チをしなければならない。 色んな医者を試してみるがダメで、 最後に妻が探してきた オ-ストラリア人のスピーチ矯正専門家 に望みをかける。 望んでいなかった高い地位を継承した事で のしかかるプレッシャ-に苦しみ そして克服というコンセプトは 新田たつおの80年代不良ギャグ漫画 「ザ・ドン兵衛」 ス-パ-ジャンプ連載漫画 「王様の仕立て屋」で去年掲載されていた シチリア・マフィアの跡目継承エピソ-ド と共通するものがある。 一方、お互いの身分&立場を超えた友情という部分で観ると 「ドライビング・ミス・デイジ-」 にも通じる。 いい映画だったけど、 気になったのをいくつか。 主人公・ジョ-ジョ6世には 可愛らしい幼い娘が二人いる。 姉エリザベスと妹マ-ガレット。 この可愛らしい二人が 後に、姉は現・エリザベス女王になり、 妹のマ-ガレットの方は次々とスキャンダルを 起こすなんて・・・ この時点(1930年代)では誰も予想出来まい。 人生いろいろ。 話は飛ぶが、 2008年上映のイギリス映画「バンク・ジョブ」という作品がある。 1971年にロンドンで実際に起こった銀行強盗を元にした映画で、 マ-ガレット王女のスキャンダル写真が、 物語の重要な小道具として登場する。
一昨日夜、北谷のミハマで ボクシング映画「ザ・ファイタ-」を観てきた。 いい映画だった。 亀田ファミリ-との共通点について語る 方々もいるが、 (その日聴いたラジオ番組で、そんな事を 言う奴がいたんだ。未熟者めが!) それは、この映画に対する冒涜だと思う。 個人的には花沢健吾のボクシング漫画 「ボ-イズ・オン・ザ・ラン」 バロン吉元のボクシング漫画 「海の拳」 とダブった。 「ボ-イズ・オン・ザ・ラン」のダメ人間キャラの部分と 「海の拳」の一癖も二癖もある大家族の面々の要素を 混ぜ合わせたら、 こんな映画になるのでは? とか思ってしまった。 細かく書いていくとキリがないので 最後に一つ。 映画の中盤あたり、 主人公が再起をかけた練習の末に 試合を重ねていく映像で、 エアロスミスの 「バック・イン・ザ・サドル」 が流れているのが、 なんかグっと来た。
数日前、本屋に行った時に 一冊の本の表紙が目に止まった。 タイトルは【わが輩は「男の娘」である】 著者名は、いがらし奈波。 表紙に書かれているコピ-には 【こんな立派な「男の娘」になってくれて・・・ 母はうれしいです!】。 このコピ-の主は、いがらしゆみこ。 70年代に月刊なかよし連載漫画「キャンディキャンディ」で ヒットを飛ばした少女漫画家である。 その彼女の子供が出した本なのだ。 タイトルの「男の娘」とは? 表紙には、ヒラヒラのロリ-タ系ファッションに身を包んだ 可愛らしい著者のお姿が。 本をパラパラと立ち読みした範囲では、 どうも著者は女装が好きな男の子らしい。 巻頭カラ-ペ-ジには 著者の友人のニュ-ハ-フ・ミヤちゃんと開催しているイベント 「東京化粧男子宣言」 の模様が掲載されている。 (ニュ-ハ-フや女装の若い男性たちの群れは壮観である) 本の中では、著者の女装ライフが漫画形式で描かれる。 最初のペ-ジには母・いがらしゆみこによる 著者を描いた画も掲載されている。 96ペ-ジには、 メイク講座も掲載されている。 30数年前、「キャンディキャンディ」がヒットした頃、 いがらしゆみこはアニメ版でヒロインの彼氏アンソニ-役の 声優と結婚した。 その間に生まれたのが、 今回紹介した本の著者である。 その後、原作者の水木杏子氏との 著作権をめぐるトラブル、 さらに別の原作者と組んだ漫画作品でも 同じようなトラブルを起こしたりと、 波乱万丈情報以来 名前を聞かないなと思ったら・・・。 2年位前、岡山県の倉敷に行った時、 いがらしゆみこ記念館を発見した事がある。 中には入らなかったが。 今回、息子さんの著作で、彼女の名前を久しぶりに発見した。 かつてキャンディキャンディを夢中になって読んでいた (登場キャラのステアのファンでした) 人間からすると、 時の移ろい&人生いろいろを 感じてしまった。
今、ヤ-ル-(ヤモリ)同士の縄張り争いを 数十年ぶりに見た。 唸り声をあげ、互いに威嚇&牽制しながらも 隙を見て飛びかかる姿に ふと恐竜時代を想像してしまった。 両者ともに 約10cm近くの大物で、 遠巻きに見ても かなり迫力があった。 普段のヤ-ル-の鳴き声とは違って かなり鬼気迫るものがあった。 もし撮影機材があれば 撮影して youtubeにupしていたのに・・・ 残念だ。
FM沖縄 月~金の朝6時半の番組 「LOVE in Action」 のパ-ソナリティ・山本シュウさんが 昼NHKに出演していた。 毎朝聴くテンションの高い喋りに いつもどんな方なのか興味があった。 テレビで観た印象は、 角度によっては 浅草キッドの玉袋筋太郎に似ている。 |一覧| |