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カテゴリ:小樽
![]() 新生姜の季節となり、ガリを漬けました。自分で漬けると甘みがしつこくなくて美味い。 新生姜は酢にあわさると、キレイなピンク色に。これからまだまだ色が濃くなります。 ![]() 鯖の味噌煮のお弁当。 田辺聖子の昔の小説を読んでいて、今は携帯があるから便利になったと思う。 田辺聖子の小説の中ではハイミスのOLのスミレの部屋には電話がなく、電話が掛かってく ると呼び出しのベルが鳴るのであるが、わたしの若い頃もそうであった。 「ブー」と鳴る。それは電話だよ~の知らせだ。 わたしは息せき切って外の電話へと走るのである。 ある時から、わたしは部屋に電話を引いた。冬の寒い時期、外で電話するのがかわいそうだ からと、その当時付き合っていた人が電話を引いてくれたのだ。 昔は部屋に電話を引くのに、たいそうお金がかかり、部屋に電話があるのは夢であった。 電話が部屋にあることはとてもうれしかったが、今度は電話に縛られてしまった。 いつ電話が掛かってくるかと思うと、おちおち出かけられない。 今のように着信履歴機能があるわけもなく、それはベージュの「ジーコジーコ」と指でダイ アルを回す電話である。 電話のコードを5メートルくらいの長さにしてもらい、お風呂に入るときもお風呂場のドア の近くに置いた。 鳴らない電話をジーッと見ていたこともある。 相手に連絡するときも会社などに電話しなくてはならず、それはそれで難儀であった。 今の恋人たちは携帯にメールや電話をすればよく、どこへでも出かけられる。 電話を待っている間も好き勝手に時間をつぶし、気を紛らわすこともできる。 言いづらいこともメールなら自分の気持ちを吐露することもでき、手紙を書くことも皆無と なった。 とても便利である。 でも昔の若いころのあの電話を待つ苦しい時間を懐かしく思う。 今も待つ気持ちは一緒なのかもしれないが、一人部屋で電話をしてこない相手を待つという 時間の無駄がない。 どこで何をしていたって、待つことができる。 田辺聖子の小説を読んで、じれじれと待つというあの若いころを思い出し、わたしは少し笑 った。 そんな時代もあったなという、懐古であるが。 料理ブログランキングに登録しているのに、お弁当をアップしていない日はランキングに載せちゃいけないという、生真面目なわたしに清き一票をお願いいたしますm(__)m。 ![]() otaruya.com お店のホームページです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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