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ダイアモンド・ダスト

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Aug 22, 2012
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カテゴリ:カテゴリ未分類
子犬の頃には人間不信で物凄く手を焼いた子が
こんな風に
表裏の無い人と共に生きられる子に成ってくれるのは
とても嬉しい。

こういう犬に成ってくれれば
年を取って病気になっても
最期までちゃんと面倒見てあげたいと思える。

が、今回、この記事の「伏せ」から
一つの事柄に気づく。

いろんなところで
訓練としつけは別物と言うことが言われている。

が、訓練もしつけも
基本は一つで
その基本が出来ていない犬を
いくら訓練しても
其の訓練は曲芸の域を出ないという風に
これまで考えてきた。

そういう意味では
しつけも訓練も
基礎となる土台がしっかり出来ているという前提の下に語られるべきで
土台で考えるなら
躾と訓練の境目など無いといえる。

訓練などずっと此処何年も行なえる状況に無かったから
それでも誠意を持って反応を返してくれる犬が
可愛いと思った。

訓練による習慣がそのようにさせたのではなく
彼女の意識が
誠実であろうと言うところに居たから成された反応だ。

かつて人間を小ばかにし、
すきあらば出し抜こうとか
逆らおうとか
楽しようばかり考えていた子犬が
大人になってこのように変わったことが嬉しかった。

訓練からずっと離れていて
それが成しえたのだから
御互いのかかわりが
彼女をそのように変えたのだといえるところが
まさに自分が求めてきたものだと思うからね。

そんなことを考えるうちハタと一つの思いが
頭に浮かぶ。

しつけは訓練と別物と考える御仁たち。

そういう人は訓練は特殊な技能であって
ふだんの生活や
家庭犬として飼われる犬達には
訓練は不要と
そういう人たちは言う。

しつけが出来ない人たちは
躾で足りていないことを
しつけ教室に通って
(名前はしつけ教室なのに
何故か訓練科目を教える不思議なところ)
訓練すると
事が丸く収まると錯覚している人や指導者が沢山居る。

しかし、訓練すればよくなると考えているうちは
きっと駄目なんだろうなと思う。

だって普段の生活が駄目な状態にあるから
しつけ教室に通っているのでしょ?

普段の生活が
正しく犬を作れるくらいに的を得た暮しだったら
しつけ教室になんか通わないよね?

普段の暮しが正しく的を得ていないのに
訓練は不要だといってしまう人たちって
普段の出来ていない部分を
何とか補おうという場にも出かけようと思わないと言うことだからさ!

おまけに、
それが愛情みたいに錯覚している人たちだからさ!
どれだけ頭の中がぐちゃぐちゃなのかが良く解かる。

それは訓練なんていう可哀想なことを強いる必要は無いって言う
可哀想がりを犬に対する愛情と錯覚しているだけで
自分が怠惰であるとか
自分に対して甘いだけなんだということとか
けじめが無い、理想が無いというだけの自分にも気づいていないのだろうな。。。

しかし、人間社会もね、
就職とか進学と言う場面で
柔道だの剣道だのといった
礼儀を重んじたりするスポーツをやっていた人は
礼儀正しいとか
根性があるとかって
若干有利に作用することが多い社会だ。

が、
本当は
各家庭がしっかりしているなら
そんなスポーツ欄で好感抱かれるような社会は
存在しないはずなんだよね。

家庭では教育でき難い部分が
スポーツの上下関係だの
肉体の強化によってなしうると思われているから
そういう部活動をしていたりすることが
プラスのイメージで受け止められることに繋がるわけだけど、
それというのは
各家庭がどれだけ子供に対して厳しさが欠けているかということだとか
成長を促す手腕が親に無いと言うことと
同義なんじゃないかと思う。

しつけ教室に通う必要等無いという台詞が
犬が可哀想だから。。。ということによるのではなく
家庭の中でしっかりしつけが出来ているから。。。に因って欲しいと思うこのごろ。







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Last updated  Aug 22, 2012 02:38:09 PM
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