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カテゴリ:ほどよく
「インランド・エンパイア」を映画館で鑑賞した。
カッコイイことは言わないでおこう。 そんなのはベレー帽に憧れる学生に言わせれればいいのだ。 つまり。 わけがわからなかった。 そして、長かった。 でも、つまらなかったかというと、そうじゃない。 訳がわからないけど、面白い。 勝手に観客が考えすぎて、ズブズブはまらせてしまう。 リンチ的という言葉で逃げたいくらいだ。 でも、ちょっと、立ち止まってみよう。 何かを感じてみよう。 思うのだけど、デイヴィッド・リンチという映画監督は一つの言葉と、その背後にある想念を追い求めているだけのように思う。 その追求する方法が妄想であり、その妄想では論理軸と時間軸がぶっ飛んでしまっているのだろう。 そうだ。 思い出してみよう。 はじめの奇妙な「目につきにくい家」に引っ越してきた老婆の言葉を。 不思議な話として、老婆は家を出て遊びにでて、迷った少年と、そして少女の話を。 ここでの字幕は遊びとなっている。 「play」の役なので、間違えてはない。 でも、「PLAY」っていうのは演劇というのも含まれている。 つまり、この話は演劇の妄想にズブズブにはまってしまった女性二人が救済される話じゃないかって思うのだ。 ずっと、テレビを眺めている女性も。 その救済には時間も、論理も関係がない場所で行われたのじゃないかと。 なにしろ、「play」では何でもアリなのだ。 「市場(market)を抜けるのは表通りじゃないのよ」って老婆はそうも言っている。 (確か、そんな、言葉だった) だから、この映画を眺めるのも表通りからじゃだめなのだ。 もしかしたら、あるかもしれない世界で誰かが救われている話なのだ。 そういう意味では、この映画は「ブルーベルベット」に近い。 彼の映画はそのねじれた世界観ばかりが取りだたされる。 しかし、まだ、リンチはそれだけではない。 最後に隠さず、強引に引き出してくる優しさ。 今回の「インランド・エンパイア」は苦しみ抜いている女性達が、通常ではない世界でやっと救われているようにさえ、思うのだ。 それが、男性に銃弾を向けることであったとしても。 (なんだか、「ねじまき鳥クロニクル」みたいだ) やっぱり、小難しくなってしまった…。 でも、本当に何も考えずに、眺めて欲しい。 リンチの映画は確かにわかりにくい。 でも、この映画は同じシーンも何度も出てくるし、わけのわからないことだけは、しっかりとわからせてくれる。 なにしろ、登場人物も映画と現実の区別がついていない映画なのだから、客がわからなくて当たり前なのだ。 それでも、映画や映像や、あるいは音響は楽しいものなんだよって、ちゃんと教えてくれるのがこの「インランド・エンパイア」じゃないかな。 うん。 さて、追記。 裕木奈江さんは確かに、登場してました。 うん。 予想以上にキュートだったから、びっくりした。 毀誉褒貶と、跳梁跋扈と、有為転変を経験した彼女は37歳。 とても、そうは見えなくって、よかった。 え? 英語? バリバリの日本人の英語(苦笑) でも、きっと、リンチ監督は日本人英語のペタペタ感を求めてたんだろうなあって思っちゃう。 彼女のような存在を醸し出す女優は、結構珍しいんじゃないかな? のっぺってしてて、何を考えてるのかがわからないっていうのかな。 始まりかもしれないけど、これからも頑張って欲しいな。 ※もっと、「なんだかなー」なら『目次・◎ものがたり』まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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