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カテゴリ:ヒロ散歩
二度目の河村城跡へ上る。前回は2017年(平成29年)12月15日(木)に登城。 3月3日(日) 14:15 三差路から上り、北東方向に山北町が見えていたので再度車を停め見下ろす。 右上の山に以前から気になっている「TOYAMA」の建屋。 株式会社トヤマ 本社工場 所在地:神奈川県足柄上郡山北町岸 3816-1 電子機器等の最先端科学技術研究開発用途実験装置・機器の設計・製作を行なっている。 山北町の後方に東名高速道路、その奥に工事中の新東名高速道路。 酒匂川の下流側を望む。 酒匂川は大きく右に曲がり足柄平野へと流れる。 左側の斜面に河津桜が咲く、”松田町の西平畑公園のハーブ館”。 JR御殿場線を見下ろす。 14:20 河村城跡 所在地:神奈川県足柄上郡山北町岸 3549 河村城跡の東側にある駐車場。 神奈川県指定史跡 河村城跡 案内図 河村城は、当時この地域を支配していた河村氏が山頂に砦のような施設を築いたことが始まり といわれており、南北朝時代の文献に「河村城」の記載があります。浅間山に連なる丘陵の山 頂にある河村城は、戦国時代に小田原北条氏の出城として築城されました。河村城址歴史公園 では、その時代の復元的整備を行っています。 河村城は「山城」という種類の城で、現在の小田原城にあるような天守閣や石垣、水堀からな る平地に造られた城とは異なります。 山城とは、山岳部の地形の特性を活かした平坦な郭や急斜な堀などにより、敵に攻められにく いように造られた城のことです。普段人々は、山の麓の平坦地で生活し、戦時には山城に集結 して戦闘に備えていました。 山北町教育委員会 右側が現在地 前回は北側の山北駅側から登った。今回は東側から車で上って来た。 1⃣ 茶臼郭周辺 (東から) 2⃣ 堀切の土層堆積 (北から) 3⃣ 蔵郭の竪穴状遺構 (南から) 4⃣ 堀切:障子堀 (北東から) 5⃣ 近藤郭 (北東から) ※ 1⃣ ~ 6⃣ は発掘調査時に撮影した写真です。 6⃣ 大庭郭の宝永火山灰 天地返し跡 (南から) A 森林セラピーロード (南から) B 茶臼郭 ~ 小郭の現況 (北から) C 復元した堀切木橋 (南から) ※ 1⃣ ~ 6⃣ は発掘調査時に撮影した写真です。 駐車場の東側にトイレ施設がある。 堀切の場所を一部埋立ててスロープに。 右側に「神奈川県指定史跡 河村城跡」、左側に「河村城址歴史公園」と。 ”大庭郭張出大手”から駐車場がある”馬違戸”を見下ろす。 大庭郭張出大手と馬違戸の間には深い堀切がある。 大庭郭張出に咲く菜の花。 菜の花は一度植えると種が飛び散り毎年咲き乱れるのでは。 大庭郭の下を”多地屋敷”へ。 通路にはチップが敷かれており歩きやすかった。 大庭郭の北側にある”多地屋敷”から東名高速道路を見下ろす。 菜の花が咲き乱れている多地屋敷から北東方向を見下ろす。 右上には ”㈱トヤマの本社工場” 。 新東名高速道路の工事現場をズームアップ。 工事現場は松田町寄萱沼入口からの高松トンネルの御殿場側出口であろう。 大庭郭 南東方向に足柄平野、遠く相模湾が見える絶景ポイントである。 大庭郭の東側は発掘調査で ”6⃣ 大庭郭の宝永火山灰 天地返し跡” が見つかっている。 大庭郭に建つ四阿。 2階ステージには貸出しの双眼鏡があった。1階にはテーブル・椅子も設置されていた。 四阿から見下ろす。 足柄平野の先に相模湾が見える絶景ポイントである。 テーブルがありハイキングを楽しむ人も休憩、足柄平野を見下ろしていた。 西側には ”近藤郭” 。 新東名高速道路の工事現場を再度見下ろす。 この区間は難工事区間で何度も完成時期が遅れており、3年後の2027年度中に開通予定と。 大庭郭から近藤郭を見る。 近藤郭の縁石ベンチは発掘調査で見つかった竪堀と空堀の跡を示しています。 竪 堀[幅:約14m、深さ:3m以上、斜度:約50度] 山の斜面に上下方向に設けた堀で敵が横に移動することを制限します。ただし、見つかった 竪堀は大井戸の可能性もあります。 空 堀[幅:約12m、深さ:3.5m以上、斜度:40~55度] 郭内での敵の移動を制限するために設けます。また、堀の中での敵の移動を制限するために 堀障子を設けています。堀障子を持つ堀を障子堀と言い、小田原北条氏の特徴的な堀の作り 方です。河村城跡では本城郭 ~ 茶臼郭、蔵郭-近藤郭間など複数個所に障子堀があります。 右上の写真:堀跡の中には1707年富士山宝永噴火の火山灰が堆積していました。 右下の写真:平成20年度発掘調査の様子 大庭郭の四阿を振り返る。 近藤郭から蔵郭への遊歩道。 この場所は ”堀切(障子堀)" で、約2メートル幅ほどの遊歩道を造っている。 遊歩道から右側に ”近藤郭” 、奥に大庭郭の ”四阿” が見える。 深い ”堀切(障子堀)" に造られた遊歩道。 堀切の遊歩道を渡り ”蔵郭” へ。 蔵郭 (くらぐるわ) 東西約70m、南北約30mの長楕円形の郭で西に本城郭、東に近藤郭があります。北側は丸い尾 根に3段の平場が続く郭です。南側は急な谷間で、郭の東西には自然地形を利用した堀切を築い ています。近藤郭との間の堀切は東西24m、南北60m、深さ12mの河村城最大の堀切です。 蔵郭で発見された城の施設跡 建物跡 蔵郭の中央東側にあります。径6mの方形で、深さは約50cmあります。竪穴からは直径10cm ~30cmの焼けた石、中国産の青磁の皿や碗、東海地方の陶器、かわらけ、鉄釘、炭化したイネ やオオムギの果実、土壁状の塊が出土しました。これらの発見は、建物跡と蔵(穀物を貯蔵した 土蔵)の密接な関係を表しているのかもしれません。また、蔵郭の中央では、建物の柱穴なども 見つかっています。 配石土坑 蔵郭の東側で、中から大きい石が数多く見つかった長方形の穴(配石土坑)が、常滑(現愛知県常 滑市)産の甕とともに発見されています。その他、周辺からは信楽(現滋賀県甲賀市)系壺・常滑 系擂鉢片・かわらけの破片が出土しています。 山北町教育委員会 2006 県指定史跡 河村城跡案内図 河村城は中世山城の全容を残しています。城は自然地形を利用し、尾根の高い部分を削り、そ の土で低い部分を埋めて「郭」と呼ぶ平場を造成します。また、谷や崖面を利用して堀とし、 外敵の侵攻をさえぎるため、尾根を人工的に切断して堀とした「堀切」を造り、郭の間を隔て る防御態勢を整えました。河村城の郭や堀切の平面配置を示す「縄張り」は約300年前の絵図 を参考にしています。 山北町教育委員会 2006 14:30 蔵郭から本城郭への堀切(薬研堀)の上に架かる遊歩道。 ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.17 03:00:08
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