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カテゴリ:近隣の市の歴史散策
戸田の渡し跡(門沢橋の大山不動)を起点に大山道(柏尾道)を東方向へ進む。 3月18日(月) 15:20 浄土宗 浄久寺 (じょうきゅうじ) 所在地:神奈川県海老名市門沢橋4丁目11-1 この建物の屋根を北側を走る県道22号線(横浜伊勢原線)から見て訪れた。 道路を挟んだ南側に先程訪れた「正覺寺 (しょうかくじ)」があったのだが、Googleマップで の事前の検索で見落とした。 ここ浄久寺は「鬼平犯科帳」の火つけ盗賊改頭、長谷川平蔵を含む長谷川一族本家の墓所があ るお寺である。 ![]() 右側の門柱に「長谷川山 隆崇院」と。 門柱の前にはまだ新しい観音像か。 木柱には海老名郷土かるた「(は) 長谷川氏 墓石ずらりと 浄久寺」と。 ![]() 左側の門柱の前にも同じ観音像。石碑には「南無阿弥陀佛」と。 ここで写真を撮っている時に突然の突風で帽子を飛ばされ隣の敷地内に落ちる。帽子まで手が 届かないので参拝後お邪魔することに。 ![]() 左側の門柱には「浄土宗 浄久寺」と。 ![]() 山門を入ると一段高いところに本堂が建っている。 火災で焼失した本堂を明治期に再建したが、1923(大正12)年9月の関東大震災で倒壊し、その 古材を使用して1927(昭和2年)に本堂が再築された。その後1998(平成10)年にバリアフリーの 本堂を、2005(平成17)年に庫裏と客殿を完成した。 ![]() 本堂の扁額「浄久寺」。 ご本尊は阿弥陀如来。 ![]() 本堂下右側に建つ「水子地蔵尊」。 右側の小さな石碑には「寄進 境内敷石工事共一式 平成二年九月吉日」と。 ![]() 本堂の左前から見上げる。 ![]() 浄久寺 木造阿弥陀如来坐像 海老名市指定重要文化財 平成十七年五月十八日 指定 この木造阿弥陀如来坐像は、浄久寺の本尊として長谷川正成が寄進したものと伝わる仏像です。 平成七年(1995)の海老名市史編さん仏像調査により平安時代後期(一二世紀)の定朝様の仏像で あることが初めて明らかになりました。像高は五十二・一センチで割矧ぎ割首造、眼には後補 の玉眼が入っていますが、元は彫眼と考えられています。丸く穏やかな面相、ゆったりとした 体、浅く整えられた衣表現など平安時代後期に興隆した定朝様式の特徴がよくでています。 一部後世に補修されているものの海老名市内で確認されているものとしては最古の仏像である ことから市指定文化財となりました。 平成十七年十二月 海老名市教育委員会 ![]() 本堂前の境内に宝篋印塔がずらりと。 ![]() 浄久寺 長谷川家石造宝篋印塔群 海老名市指定重要文化財 平成十七年五月十八日 指定 寛永二年(1625)に幕府旗本の長谷川正成が門沢橋村を所領地として与えられたことから、浄久 寺が長谷川家の菩提寺となりました。以来、幕末まで長谷川家代々の当主とその家族が葬られ て、墓塔として宝篋印塔が建立されてきました。 台座に被葬者の没年代と法名・俗名が刻まれており、長谷川正成以降、正岱(まさたけ)まで八 人の当主とその家族が葬られたことがわかります。 別の寺院に葬られた記録のある人の名前や、複数の名前が刻まれたものがあること、長谷川正 成が門沢橋村を所領地とする以前に亡くなった人の名前も見受けられることから改葬等の際に 建立された宝篋印塔もあると考えられています。 宝篋印塔は、江戸時代に幕府旗本の墓塔としてよく用いられ、江戸時代中期(十七世紀)には盛 んに造られました。このため、数基単位で建立されている例はよくありますが、大形のものを 中心に十五基もの宝篋印塔が建立されている例はあまり多くありません。 また、市内でこれだけの数の宝篋印塔が現存しているのは浄久寺だけであることから市指定文 化財となりました。 平成十七年十二月 海老名市教育委員会 ![]() 境内の南側に並べられている15基の宝篋印塔。 ![]() 一番高いものは3メートル近いのでは。 ![]() 中央の高い宝篋印塔。 説明板にはナンバーがふられているのでそれぞれにもナンバーが欲しい。 ![]() 本堂の右側から入り「歴代住職」の墓地。 ![]() 歴代住職の墓地奥に六地蔵。 ![]() この後、帽子が西側の敷地内に飛び込んだのでもらいに。 ![]() 隣のフェンス下に表示板。目線より低いのでわかりずらい。 ![]() 15:30 隣へ行き呼び鈴を鳴らし、奥様に事情を話し帽子をもらい受けた。 浄久寺にもこのような案内板が欲しかった。 この後「居合坂」へ向かうため、大山道(柏尾道)を東へ向かう。 ![]() 大山道(柏尾道)を東へ向かうがこの辺りには旧家が多く屋敷の敷地も広い。 ![]() 敷地内の雨水を出すための排水溝。 ![]() 旧家「○○家」の門。 ![]() 永池川に架かる大橋。上流側をJR相模線が走る。 ![]() 大山道(柏尾道)を進み、JR相模線の踏切。 この先は、門沢橋第二踏切際交差点。 ![]() 門沢橋第二踏切際交差点。 ![]() 県道46号線(産業道路)の門沢橋六丁目交差点。 大山道(柏尾道)はこの交差点を横切り東へ進む。 ![]() 門沢橋六丁目交差点。 ![]() スマホの案内で大山道(柏尾道)を更に進み ”居合坂下交差点” 。 ![]() 居合坂下に。 急な坂になるが愛車のリンちゃんは電動アシストのためギヤーを「2」にして楽々と登れる。 ![]() 居合坂 (いあいざか) 所在地:神奈川県海老名市本郷1260 大山道(柏尾道)の坂の途中にある説明板。 ![]() 《柏尾通り大山道》 この道は、江戸時代の「大山道」です。 庶民の信仰を集める大山へ、お参りに行く旅人などは、戸塚下柏尾から東海道を離れ、この道 を通り相模川を渡り大山へと向かっていきました。 今も昔の「大山道」とほぼ同じ道筋をなしています。 平成5年3月 海老名市教育委員会 ![]() 居合坂 (いあいざか) 坂を上がりきったところの地名が「居合」であったことから、この名が付いたといわ れています。「居合」は村共有の入会地でが転訛したものともいわれていますが、由来 ははっきりとしていません。 ![]() 昔の ”柏尾通り大山道” の風景であろうか。 ![]() 本郷居合の道祖神 所在地:神奈川県海老名市本郷1213-1 開発で集められたのであろうかいろんな石塔がブロック塀の中に集められていた。 ![]() 中央の双体道祖神の前にはワンカップが一つ供えられていた。 ![]() 道祖神の横の地域掲示板に ”本郷神社の例大祭” ポスター。 令和六年 四月六日(土) 十八時 宵宮 四月七日(日) 九時 式典 九時半 発輿祭 十八時 還幸祭 ![]() 本郷の大山不動と二十三夜塔 所在地:神奈川県海老名市本郷2263 大山道(柏尾道)を進み、富士フイルムビジネスイノベーション株式会社海老名事業所近くにある。 ![]() 以前は野ざらしになっていたようだが現在は社で囲われている。 ![]() お堂の中には ”不動明王坐像” と ”二十三夜塔” が祀ってある。 ![]() 大山道(柏尾道)の曲がり角にある。 ![]() 大山道(柏尾道)は左側の道を北上。 ![]() 15:50 本郷の大山道標 本郷の大山不動から大山道(柏尾道)を北上、道路脇に道祖神、大山道標。 ![]() 白ペンキで補修されていたので字が読みやすかったが。 ![]() ここまでのルート(Googleマップより)。 ![]() ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.03.24 03:00:07
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