二川宿~御油宿(その7)、菟足神社から豊川桜町へ
豊川放水路を渡り御油宿へ入る。9/26(木) 12:43御油宿手前の旧東海道(県道496号線)を進む。才ノ木交差点辺りで、先を進む弥次さんの姿が見えなくなり、急遽電話をして位置を確認。直進しているとのことで先に進む才ノ木交差点の先の右側に鳥居があり。菟足神社(うたりじんじゃ)所在地:愛知県豊川市小坂井町宮脇2-1菟足神社の史跡と伝説【石の鳥居】 第一鳥居は、元禄4年(1691)に吉田城主小笠原長重公が寄進したものである。 高さ4.5m、明神形【宿中島太神楽奉納 石燈籠 二基】【弁慶松の伝説と歌枕「しかすがの渡し」】弥次さんを見失ったので境内には入らず、ここで旧東海道へ戻り街道を進む。後で確認したら弥次さんは既にこの奥へ進んでいたのだと12:49急いで旧東海道(県道496号線)を進む。JR飯田線の踏切、左方向は小坂井駅12:51急いで進んできたが前方に弥次さんを発見できず、再度電話をして位置を確認兎足神社にいるとのことでしばしここで待機することに13:06旧東海道(県道496号線)の宿西交差点この辺りは北西方面へ直線的に進み御油宿へ向かう13:08街道沿いの常夜燈旧東海道の南側に位置する浄土宗諏訪山 明光寺所在地:愛知県豊川市宿町光道寺46山門の扁額「諏訪山」本堂横の地蔵群13:09地境争いと五輪塔これは五輪塔の下の部分です。現在の小坂井町大字宿と豊川市蔵子とが、昔野川の川筋のことについて、たびたび争いがありました。当時、その地境に五輪塔があり、両方で奪い合ったという。現在、塔の上の部分は、豊川市蔵子にあります13:11古民家カフェ「もくせいの花」13:19伊奈村立場茶屋 加藤家跡(俗称 茶屋本陣跡)石碑は柵で囲われているが、電柱が趣を損なう1,茶屋の地名 東海道吉田宿と御油宿の中間にあたり、立場茶屋が設けられたので、茶屋の地名 ができた。2,加藤家と良香散(りょうこうさん) 茶屋のうち格式の高い加藤家(初代は大林平右衛門)では「良香散」という腹薬が 売られ、この薬は茶屋の地名よりも有名であった。交通の変遷によって今はこの 古井戸(南西30m)一つ残すのみとなった。3,明治天皇御旧跡 東京遷都の時、明治天皇はこの加藤家で御休憩になられた。その時天皇が使用さ れた箸が、牧野真一氏宅に保存されている。 4,俳人烏巣(うそう) 烏巣は加藤家の生まれで謙斎といい、芭蕉と親交があり京都で医者を務めていた5,芭蕉句碑 「かくさぬぞ 宿は菜汁に 唐が羅し」6,烏巣句碑 「ももの花 さかひしまらぬ かきね哉」13:20迦貝土神社所在地:愛知県豊川市伊奈町茶屋旧東海道の北側に位置する神社である豊川の「おすいマンホール」マンホールが一回り小さい感ありあめのマンホール下水は分流式になっている13:25旧東海道(県道496号線)を進み「山本太鼓店」の看板諸太鼓製造販売・和楽器太鼓店のポール下に「伊奈一里塚跡」の石柱山本太鼓店所在地:愛知県豊川市伊奈町新町2休憩を兼ねて店内へ入る。大小の和太鼓が展示されていた手前のもので約10万円と高価店内から六代目の店主が出てきてパンフレットを頂く。慶応年間創業の弊店に受け継がれた伝統技術。さらに磨きをかけた技と厳選された材料に魂を込めた和太鼓は、伝統ある祭りや演奏活動にも、その響きは人々の心をゆさぶります。音、響きにこだわり続けて六代目となりますと胴長太鼓正面の太鼓は径が2メートル岡﨑市のある祭りでは、醤油樽にこれを張り付けて太鼓にすると13:34店先にある「伊奈一里塚跡」の石柱江戸日本橋より七五里13:36速須佐之男神社所在地:愛知県豊川市伊奈町新町鳥居から拝殿13:47旧東海道(県道496号線)を進み右に「冷泉為村郷の歌碑」この奥にありますと若宮白鳥神社遥拝所の石柱の右に「冷泉為村郷の歌碑」13:53名鉄名古屋本線「小田渕駅」、街道から400m13:54庭先の鳥は「天草大王」オスは鮮やかな色天草大王は熊本県内でのみ飼育生産されている肉用地鶏だがメスの鳥13:55朝から三万歩以上歩き、変化もなく疲れ&のどが渇いた13:56セブンイレブン 豊川桜町店へ飛び込み14:03弥次さんに了解を得、早速水代わりにビールをオーダー、店内にイートインコーナーがない為、店先で一気にビールを飲む。久しぶりにビールのおいしさを感じたが、これから歩けるかが心配 二川宿から御油宿-続く