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昨年に続き2度目の担当。教員養成系学部の2ー4年生が受講する授業を務めてきました。
タイトルも「釧路と戦争」。本年はポツダム宣言受託後に発声した、弾薬投棄作業で11名が巻き込まれ、4人が犠牲に。後日、救助されて診療施設で死亡した1名。 計5姪の犠牲を出した事故を紹介。 「戦後はなかなか、終わらない」。 GHQが駐屯することになった北海道東部の流通拠点港の釧路港。特にソ連が「留萌―釧路をむすぶ以北の北海道を領有する」案を連合国に伝えていたとされる釧路港。 そこで、発生した「起こるべくして、発生した事故」に巻き込まれた勤労奉仕隊員とその家族の心理状況を踏まえ、話をさせてもらいました。 晩秋の釧路港で、荒天&波高のなか、艀で防波堤の外に投棄にゆく作業の<無謀さ>。 GHQは釧路港外10マイル、市は4キロ、実際は防波堤の150メートル先で事故の<事故回避無策>。 10月24日以降に持ち上がった計画。11月10日まで8000~1万トンの弾薬/5日で処理の<無計画>。 事故補償は見舞い金&弔慰金。戦時処理犠牲にもかかわらず、遺族年金の支給なし。 39歳犠牲者の長男は当時8歳。35歳~ 45歳の成年期の家計支柱を失った遺族の<割り切れなさ>を伝えたのだが。 「釧路と戦争~4+1人犠牲 弾薬釧路港外投棄」 教員養成系学部「中学社会科教育法」授業240611 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月13日 17時01分11秒
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