ソ日中立条約延長停止、満州侵攻&千島樺太領有 ヤルタ会談でソ連参戦45024
ソ日中立条約延長停止、満州侵攻&千島樺太領有 ヤルタ会談でソ連参戦45024クリミヤ半島はは南ロシア平原から、黒海につきだした、三角形に突き出している。その先端にあってロシアで保養地として知られたヤルタで、USA=ローズヴェルト、英=チャーチル、ソ連=スターリンが顔をそろえて戦後処理の会談があった。1945年2月4日ー11日。43年のカイロ(11月23ー27)、テヘラン(11月28日~12月1日)の会談に続く会談であった。米英はソ連にドイツ降伏後3か月以内にソ日中立条約を破棄して参戦を認めた、とみられる。4月 ロウズベルト死去。5月 ドイツ降伏、6月 沖縄戦終了。45年8月6日、広島に原子爆弾投下 同長崎にも。井上清京都大学教授(当時)は「アメリカとソ連を中心に、東西冷戦の時代が訪れ、核兵器の開発競争など国際社会に緊張開始」と申していたが(岩波新書)。その9日 ソ連は満州国に侵攻。ポツダム宣言受諾後は日本兵をシベリヤに連行して強制労働を課する(シベリヤ抑留)。同時に釧路ー留萌を結ぶ地点以北の北海道を領有化する意向であったが、さすがに米英の認めることとはならず。ソ連駐在の日本大使館は、スターリンの意思を伝える公電を本国政府に送るも届かなかったと、される。15日 ポツダム宣言受託。宣言受諾後、降伏文書が調印されぬスキマにある18日、千島最北端の占守島を攻撃。日本師団と応戦に。それにとどまらず、8月26日に択捉島、9月1ー4日に国後島に侵攻して、住民退去をもとめた。「北方領土問題」&「変換要求運動」の契機。ポツダム宣言降伏文書の調印は、9月2日に行われた。