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テーマ:子育て現在進行形(1969)
カテゴリ:テレビとか映画とか・・・・
昨日、出かけるのに録画を忘れていたので、「しまったああ」と思ったのですが、いつもトラバしてくださっているコマちゃんさんが丁寧なストーリーを書いていらっしゃるのでたずねてきました(笑)
もう、見た気分です(^_^;) 恵里花の件は、一区切りついたのですね。かなり過激な決着でしたね。なんか、だんだん、解決に至るための事件が過激になっているような気がしますが。 病根が明らかになればなるほど、大手術が必要だということでしょうか。 >財布のことを謝ろうとすれば良かったのに、それも出来ずに私の言いなりになったのはあなたじゃない。いいかげん目覚めなさい。あなたは何かあると、誰かのせいにして、自分で自分も守れず、人権とか言って人に守ってもらっているだけじゃない。 12歳の少女に言うには、あまりに過酷な言葉です。私には、どうしても、このドラマは子どもの問題ではなくて、私たち大人に投げかけているような気がします。 「目覚めなさい。迷える子羊たちよ」 これが、ドラマ予告のキャッチフレーズでした。 そして、やっぱりキーワードだと思います。 大人だって、恵里花やクラスのみんなのように、自分の落ち度を隠すためにうそをついたり人のせいにしたり、さらには人の悪口をいうことで自分のことから目をそらさせようとしますよね。そして、権利権利と、声高に叫ぶ。 そんな大人たちの中に和美という一種変人がいる。その変人は、どんなつらい目にあっても、自分が正しいと思うこと、人との絆を信じて誠意だけで生きていく。どんなに、そういう人が少ないことか。 そして、変人にも、事件にも関わろうとしない傍観者のその他大勢。 学級は、確かに一つの社会であり、コミュニティです。小さなコミュニティで思いやりや助け合い、正しいことといけないことを学んで、正しい価値観を身につけ、社会に出るための訓練の場であるはずなのです。 本来、学校ではぐくまれるはずのこれらの社会性、人間性が幼稚なまま、現在は大人(=成人)になってしまっているために、大人の社会はまるで小学校の教室のよう。もう一度、小学校に戻ってやり直したら? 私には、そんな風に、思われるドラマです。 製作者の意図はこの際、どうでもいい。私は以上のように捉えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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