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奇   知   外   記

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2016.12.20
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カテゴリ:独生女考
家庭連合からの「独生女」に関するあるビデオでは、聖書・原理講論は男性(アダム復帰)中心に書かれたものであり、女性に対する記述が少ない、との説明があった。神様はアダム復帰だけでエバの救いなどまったく考えておられなかったのか?

実際に聖書をみれば、女性の氏名を挙げての記載が少ない。
人間始祖のエバから最初に氏名が出てくるのはアブラハムの妻サライ(のちにサラ)であった。
ノア家庭の奥さんは名も知られず、文総裁のみ言からは悪妻として紹介されていたと思う。神様からの啓示で山頂に箱舟を120年かけて作り始めたノアであったが、奥さんが作る毎日の弁当の量が次第に減っていったという話だ。

さて、元来は、ノアが第1の「信仰の祖」となるはずであったがハムの過ちによって、それはアブラハムへと移された(原理講論、P.303)。
ところが、よくよく聖書を読めば、アブラハムの妻サラこそが真っ先に神への信仰、夫アブラハムへの信仰を全うしたのではないか! と私は考えている。原理講論でもさりげなく書かれている一文だが(P.318)

創世記一二章10節以下の聖句によれば、アブラハムは飢饉によってエジプトに下ったことがあった。そこで、エジプト王パロが、アブラハムの妻サライを取って、彼の妻にしようとしたとき、アブラハムは、彼女と夫婦であると言えば、自分が殺される憂いがあったので、あらかじめ計って、自分の妻サライを  妹  であると言った。このように、アブラハムは彼の妻サライと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れていった彼の甥ロトと多くの財物を携えて、エジプトを出てきた。アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てるために、このような摂理路程を歩まなければならなかったのである。
原理講論(P.327)
ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1〜16)。
それぞれは、アブラハムの象徴献祭、および、イサク献祭に先立っての話であった。
聖書や原理講論には詳しくは書かれていないが、たぶん、神様・夫アブラハムへの絶対信仰を貫いたゆえの結果ではなかったかと思うのである。よって、私自身の意見として、「信仰の祖」の称号は妻サラにあげたい。
「イサク献祭」の成功もまた「母子協助」、妻サラの夫アブラハムに対する絶対信仰の姿がアブラハムとイサクの一体化につながったと思われる。
イサクの妻リベカは、ヤコブを「母子協助」でもって長子権復帰に導いた。また、原理講論では21年のハラン苦役となっているが、すべてはヤコブの相対者選びに関与したのも、このリベカであった。ハランの地ヤコブは、リベカの兄ラバンの娘レアとラケルを得てカナンへ帰る。彼女たちはヤコブを殺そうとする兄エサウの前に先んじて行き敬拝を捧げていったのであった。



モーセの妻チッポラもまた、女性を代表する信仰者であった(原理講論P.364)。
モーセが神の命令を受けパロの前に行く途中で、主が現れてモーセを殺そうとされた。そのときモーセは、彼の妻チッポラがその男の子に割礼を施して許しを請うたおかげで、死を免れることができたのである(出エ四・24〜26)。このように、モーセは割礼をもってその試練に勝利したため、彼の家族が生き得たのであり、したがって、イスラエル民族がエジプトから出られるようになったのであるが、これもまた、将来イエスが来られたときに、イスラエルの民族が割礼の過程を経なくては、神の救いの摂理が成就されないということを、前もって見せてくださったのである。
聖書では双子を出産した女性タマル、イエス様の母親マリヤもまた、生死を覚悟した信仰者であった。
<続く>


【参考記事】



世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。

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Last updated  2017.10.14 16:38:20
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