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January 8, 2019
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カテゴリ:気になるTV番組
2019年NHK大河ドラマ 『いだてん~東京オリムピック噺』
第1回の部分的な感想です。

今年は一風変わった大河ドラマが始まりました。
背景となる時代が明治の終わりから昭和の半ばにかけてで
あり、しかも2人の主人公が学校の歴史の教科書とかに
出てこないほぼ無名の人です。

戦国とか幕末のネタが豊富な動乱期を描くのではなく、
1964年に開催された東京オリンピックにかけての物語です。
果たしたこれが惹きつけられる話なのか?

そんなことを思って見始めたら、ドラマの始まりは昭和や
明治の風景や道具に興味をそそられ、中盤からはドラマの
展開や役者さんたちのやってることが面白くて(でも史実
らしい)、夢中になって見ていました。

これが宮藤官九郎さんの脚本なのかあ。
たとえ主人公が無名でも、時代の流れの中で七転び八起き
しながら何かを成し遂げる大河ドラマが書けるのですね。

私の好きな役者さんもたくさん出ています。
今年一年間、毎週の感想がUPできるかはわかりませんが、
この物語がこれからどう動いていくのか、私なりに興味を
持って毎週見ていけそうです。


オープニングのタイトルバックが、当時の背景と選手たちをミックスさせて
面白いなあと思っていたら、ついにはコレが。(笑)
ポマードで頭髪をぴっちり固めて背広姿で隅田川を泳ぐ阿部サダヲさんでした。



フランス大使から次に開催されるストックホルムでのオリンピック参加を
要請された嘉納治五郎(役所広司さん)は、自身が校長を務める東京高等
師範学校に向かいます。
嘉納は足が速い人力車の車夫・清さん(峯田和伸さん)に感心し、走り賃と
“オリンピック”という言葉のメモを渡しました。



嘉納は師範学校の教授で、3年間西洋の体育教育を視察してきた永井道明
(杉本哲太さん)にオリンピック参加のことを相談します。
しかし永井は、体格差で負ける日本人のオリンピック参加は早過ぎると、
嘉納からの相談を一蹴しました。



「欧米人並みに強靭な肉体を持つ日本男児の育成、これこそが国家の急務!」
永井はそう主張して肋木を使ったスウェーデン体操を勧めます。
同時に永井は「トランドの悲劇」を例にオリンピック参加を反対します。



あきらめきれない嘉納は文部省にも掛け合いましたが、やはり却下でした。
当時の日本は日清戦争と日露戦争のに勝利した後で、若者たちの気持ちは
スポーツよりも、立派な兵隊さんになることに向いていました。



嘉納は次に、千駄ヶ谷にある三島弥太郎邸に向かいました。
オリンピック参加実現のために嘉納は横浜正金銀行副頭取の三島に融資を
頼むのですが、前の借金を返済していないことと自分はスポーツというものが
嫌いであるという理由で、三島は融資を断りました。



そんな話をしていたところへ、三島の弟の弥彦を中心とする天狗倶楽部の
メンバーが招宴会場になだれこんできました。
そして掛け声とともに会場のビールを勝手に瓶ごと一気飲みまで。



嘉納の存在に気がついた天狗倶楽部の吉岡が、他人の嘉納を「おとっつあん」
呼ばわりして嘉納のところに走り寄ってきました。



吉岡信敬(満島真之介さん)は嘉納にいきなり「背負い投げをかけてくれよ」と
せがんで仲間に柔道の技をかけてみたり、さっきは乾杯の後で相撲をやろうと
していたりと、まあ次から次へと動く男たちです。


明治の世に こんなにうざくてチャラい輩がいるわけない
と思うでしょうが、残念ながら実在したんです。
作家の押川春浪を中心に、京浜電鉄の中沢臨川、早稲田の
ヤジ将軍こと吉岡信敬、そして三島弥太郎の弟・弥彦、
ほかにも帝大・早稲田・慶応などのトップエリートたちが
顔を連ねる(天狗倶楽部が)



突然やってきた若者集団に呆然とする嘉納に、弥彦(生田斗真さん)が
「我らはスポーツを愛し、スポーツに愛され、ただ純粋にスポーツを楽しむ
ために活動をする」と自己紹介をし、皆で応援パフォーマンスを始めました。
(TV前の視聴者は大喜び♪ 今年の全国の学校の体育祭では、ノリのいい
男子たちが応援でこれをやるかも)


この衝撃の?シーンは早速こちらで絵になっていますスマイル
  ⇒  ⇒   #いだてん絵


スポーツ大好きの天狗倶楽部の面々と知り合ったものの、彼らの考えはまだ
オリンピック参加のレベルではない、時期尚早と嘉納は思いました。
なのでフランス大使には正式に断るつもりで大使に会ったのですが、そこで
スタジアムの設計図を見せられ、ポスターに日の丸が描いてあるのを見たら、
嘉納は再び気持ちが高ぶってきてしまいました。



そして嘉納は結局「謹んでお受けします」と日本の参加を伝えました。
「スポーツで国際的に交わることは、世界平和の実現に役立つでしょう」
嘉納は理想の実現に向けて動きだしました。



明治43年(1910)10月、嘉納は自室(校長室)に「日本體育協會」の
看板を勝手に掲げ、準備に勤しんでいました。
しかし永井や加納久宜(日本体育会 会長)はやはりオリンピック参加には
反対で、嘉納に異議を唱えにきたのでした。



嘉納は校長室に三島弥彦を呼びよせ、世界にはもっと足の速い選手がいると
ハッパをかけ、オリンピックへの参加を促しました。
(生田斗真さんのプロフィール画像をコレにしたら~というネットの意見多数)



嘉納センセ、天狗倶楽部の面々とすっかり意気投合しました。
マラソンの選手をどうやって選考するかを彼らと話し合い、全国の新聞に嘉納の
檄文を掲載して参加者を募ろう、記者会見を開こう、羽田に運動場を作ろう、
マラソンコースには救護班を配置しようなど、意見がまとまりました。
そして「どうせなら、俺たちの、東京のオリンピックを目指しましょうよ!」と
三島弥彦からはさらに大きな夢に向けての熱い言葉が出ました。



天狗倶楽部の面々は費用のこともちゃんと考え、羽田に来て早速、鍬を持って
自分たちで運動場作りにとりかかりました。
貧しい暮らしに耐える者が多数いたこの時代に、生まれ育ちがとても恵まれた
彼らでしたが、志を持って自分が率先して働くことも知っていました。
一見すると馬鹿やってるけど、礼儀もわきまえた好青年たちです。



天狗倶楽部の若者たちと交じって飲んだビールがたたって嘉納は入院し、
その間は可児が動き回りました。(勝手に優勝カップの手配まで)
ただ嘉納が抱える借金は膨らむ一方でした。



そして明治44年(1911)11月19日、東京の羽田に見事な競技場が完成し、
マラソンのオリンピック出場を目指して全国から健脚が集まりました。
選手の中には出場資格のない車屋の車夫の清さんもこっそり混じっていました。



マラソン競技がスタートしたら大雨が降りだし、距離の長さもあって参加者は
途中で次々と落伍していきました。
もうこのまま全員脱落してしまうのか、日本人にオリンピックは無理なのかと
嘉納があきらめかけたその時、大雨の中、競技場に戻ってくる者がいました。
ただどうしたことか、彼は頭から酷い流血?



戻ってきた若者は、東京高師の金栗四三(中村勘九郎さん)でした。
世界記録を大きく更新する金栗の記録に嘉納は狂喜乱舞し、帽子の染料で顔が
赤く濡れた金栗をゴールで出迎えました。
(染料のたれ方が見事に歌舞伎の隈取り状態なのは、そこは勘九郎さん♪)
仲間も喜んで彼を出迎えたこのラストは感動でした。
子役が頑張るお涙頂戴とかじゃない、この姿に笑いと涙が一緒にきたような、
じいーんとくる感動でした。






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Last updated  January 8, 2019 09:34:26 PM


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