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May 16, 2023
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カテゴリ:気になるTV番組
2023年NHK大河ドラマ 『どうする家康』 の感想です。

「真・三方ヶ原合戦」とタイトルにしたこの回は、まさに
新しい解釈の三方ヶ原の合戦で、感動の回でした。
史実として本多忠真と夏目広次が戦死することは知って
いましたが、どのように描かれるのか興味津々でした。

まず、本多忠真(波岡一喜さん)。
父・忠豊、兄・忠高を戦で亡くした後、まだ乳飲み子だった
兄の子・本多忠勝(山田裕貴さん)を引き取って、親代わり
として忠勝を養育してきました。

父・忠豊の代から主人を守るために命を賭してきた本多家の
生き様を、甥の忠勝が受け継いでいます。
こんなとこで忠勝を死なせちゃいかんと、忠勝を去らせて
自らは武田軍に立ち向かっていくシーン。
ありふれているかもしれないけど、感動でした。

そして夏目広次(甲本雅裕さん)。
家康が広次の名を何度も間違えていたのは、実は家康の中に
すっかり忘れていたけど幼い頃の記憶があって、広次の名に
違和感があったというか、受け入れられなかったのですね。

いつか家康に恩返しをしたい一念で名を変えて生きてきて、
留守居をしていた城から出て、おそらく最初から身代わりに
なるつもりで戦場に家康を迎えに行ったであろう広次。

そしていよいよ自分が死地に向かうときになって、やっと
家康が自分のことを気づいてくれて、もう思い残すことなく
広次は「徳川家康」を名乗って敵軍に突入していきました。

甲本雅裕さん、感動の演技でした。
甲本さんは先日行われた「浜松まつり」のパレードに出演
していたのですが、もしこの放送の後だったら、観衆から
ひときわ大きな声援が上がっていたでしょうね。

そしてもう一つ、興味深い存在だったのが、死を覚悟した
夏目広次と共に武田軍に突入していった二人の家臣たちです。
あの時代だからどんな時でも、生死でさえ主人と共にする
ものだったのかもしれないけど、何の迷いもなく多勢の敵に
向かっていった姿が印象的でした。

もし彼らがこのドラマで描かれた夏目に傍で仕えていたら、
夏目の日頃の優しさを知ってて、主人・夏目が大好きで、
一緒に死ぬのもためらいがなかったのかなと。
役名がなくてどの俳優さんかはわかりませんが、彼らの
演技が印象に残った人は多かったようです。

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #どうする家康

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岐阜県の関ケ原の古戦場記念館では「どうする家康」展・
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元亀3年(1572)10月、徳川家康の所領である三河・遠江の侵攻を開始した
甲斐の武田信玄は、恐ろしい勢いで家康の領地にある城を次々と落城させていき、
12月には家康の居城である浜松城のすぐ近くまで迫ってきました。
家康は籠城から野戦に切り替え、久松長家と夏目広次を浜松城の留守居に残して
武田軍を追いましたが、武田軍は三方ヶ原で先に布陣して待ち構えていました。
家康は鳥居元忠の進言に従い全軍に退却を命じましたが武田軍の攻撃は凄まじく、
酒井忠次(大森南朋さん)や石川数正らも戦いながら家来たちに、己の身は己で
守りながら城へ引くよう指示していました。
そして徳川方の敗走の状況は城で留守居をする久松と夏目にも続々と知らされ、
主君・家康の安否も不明だと報告されました。



本多勢を率いて出陣した本多忠勝(山田裕貴さん)でしたが、体調の悪い叔父の
本多忠真(波岡一喜さん)には城に残って欲しいと頼んでいました。
しかし忠勝の幼い頃より親代わりとして育てた忠真は「お前に戦い方を教えたのは
このわしじゃ。」と言って出陣していきました。
混沌とする戦場で見失ってしまった主君・家康を探しながら戦っていた忠勝と
榊原康政(杉野遥亮さん)は、多くの敵兵に囲まれて危うくなりかけましたが、
その忠真の援護によって救われました。
一方、徳川の援軍として織田方から3千の兵とともに浜松に来ていた水野信元と
佐久間信盛でしたが、あまりに強い武田軍を見て、参戦することなく信長のいる
岐阜に戻っていってしまいました。



忠真の援護で一時は難を逃れた忠勝と康政でしたが、武田の兵はまたすぐそこに
来ていて、家康をはじめ手柄首となる徳川の兵を探していました。
若い二人を逃がすために敵兵の前に出る覚悟を決め忠真は「おめえらは行け~!」
と命じ、康政は「遠慮なく!」と立ち去っていきました。
しかし忠勝は叔父・忠真を一人残していけず前に出て戦おうとしました。
そのとき忠真が「お前の死に場所はそこじゃない!お前の夢は主君(=家康)を
守って死ぬことじゃろが!」と諭し、それでも戦おうとする忠勝を張り飛ばして
「殿を守れ。お前の大好きな殿を。」と優しく笑って忠勝を抱擁しました。
いつにない叔父・忠真の態度にその覚悟を悟った忠勝は、泣き叫びながら叔父を
振り返ることなくその場を後にしました。
そして忠真は最期の酒をあおって、敵兵の中に向かっていきました。



武田の兵が執拗に追ってくる中、徳川家康(松本 潤さん)はまだ城に戻れず、
鳥居元忠(音尾琢真さん)らと共に逃げ延びていました。
そこへ榊原康政と本多忠勝が合流したものの潜んだ場所から動けずにいたら、城
から夏目広次(甲本雅裕さん)が駆けつけ、家康を探し出してくれました。
広次は家来に周囲を見張るよう命じ、そして家康には具足を脱ぐよう言いました。
広次が殿・家康の身代わりになるつもりだと瞬時に理解した康政と忠勝と元忠は
家康を押さえつけて具足を脱がし始めました。
自分の身代わりになどと家康は抵抗しましたが4人がかりで家康を押さえつけて
家康の具足を全て取り外しました。



そして忠勝が身代わりになろうとしたとき、広次は忠勝を蹴飛ばして「お主はまだ
先じゃ。」と言って急いで家康の具足を付け始めました。
そのとき家康はふと、幼い頃に今川に人質として送られようとしていたあの時の
ことを思い出し、そして確信しました。
この広次は、あの時不安がる自分を励ましてくれた「夏目吉信」だったのだと。
「では、御免。」と言って去ろうとする広次に家康は「やめろ!夏目吉信!」と
叫ぶと、広次は死地に向かおうとする覚悟の中に一瞬の喜びが蘇り、涙しそうに
なるのを必死でこらえていました



広次は家康に背を向けたまま「一度ならず二度までも殿のお命を危うくした、この
不忠者をここまで取り立ててくださった!これしきの恩返しでは足りませぬ!」
と思いを語りました。
今川行きの失態は家康の父・広忠に許され、三河一向一揆での反乱は家康自身に
許された、広次の胸には主君の親子2代にわたる恩義があったのです。
そして家康のほうを振り返って膝をつき「今度こそ、殿をお守りいたします。」
と言い、皆には「殿を頼みますぞ。」と言って出ようとしました。
追いすがろうとする家康に広次は「殿が死ななければ徳川は滅びませぬ。殿が
生きてさえいれば。」と言い、そして「殿は、きっと大丈夫。」と優しい目で
あの日の言葉を家康に送りました。
そして我が身をおとりとすべく敵兵の中に家来を連れて飛びこんでいきました。
絶命の間際に広次の脳裏に浮かんだのは、家康が幼き日の記憶から自分のことを
思い出してくれたあの瞬間のことでした。



そのころ浜松城には、命からがら戦場から逃げ帰ったものの酷い手傷を負った兵が
あふれかえっていて、満足に戦える者はほとんどいませんでした。
そこへ武田勝頼が大将となった武田の大軍が攻め寄せてくるのが見え、徳川勢は
城を枕に討ち死にの覚悟をしました。
とはいえ気力はあっても身体が思うように動かぬ者ばかりなので、酒井忠次は
石川数正(松重 豊さん)に『兵法三十六計』を提案しました。
数正も他に手はないと考え城兵たちに門を開けるよう命じ、城を明け渡すのかと
戸惑い、その意味がわからない皆に忠次が重ねて、城門を開けかがり火をたいて
息を潜めるよう命じました。
開門されかがり火に明るく照らされる静まり返った浜松城を見た勝頼は、これは
何かの罠だと考え、攻撃するのをやめて引き返していきました。



一夜が明け、武田勝頼(眞栄田郷敦さん)は昨夜の浜松城のことを父・武田信玄
(阿部 寛さん)に報告しました。
側近の山県昌景(橋本さとしさん)は勝頼にそれは『空城の計』と言い穴山信君
(田辺誠一さん)がその意味を勝頼に説明しました。
それを聞いた勝頼は怒って直ちに浜松城を攻め落とすと息巻きましたが、信玄は
「浜松城は完膚なきまでに叩いたからもういい。十分じゃ。捨てて西へ行く。」
と言って勝頼を止めました。
そして「我らの敵は都に巣くう魔物。その仕事をそなたの代に残していく。時が
惜しい。」と勝頼に言い、三方ヶ原を見下ろす高台から浜松の夜明けの美しさを
感慨深く眺めて、全軍に西に向かうよう命じました。



夏目広次の身代わりもあってなんとか浜松城に逃げ帰れた家康でしたが、広次だけで
なく多くの家臣の命を失わせてしまい、弱い大将である自分の不甲斐なさに涙が
止まらず何もできませんでした。
そんな家康を見て、忠次と数正は、武田勢が陣を引き払い西に向かった、ひとまず
難をしのいだと報告し、そして今は家臣たちは軍勢を立て直したり少数で城周辺の
敵を追い払ったりと、皆がそれぞれに自分ができることを精一杯やっていると伝え、
家康を励ましました。
家康も「わかっている。皆に生かされた。」と言って起き上り、「決して無駄には
せぬ!必ず立て直すぞ!」と決意を新たにしました。
そして二人に「家康は生きておる。そう言い触らせ!」と力強く命じました。



信玄が再び西への進軍を開始し、間もなく織田領に入ってくることを受け、織田信長
(岡田准一さん)は重臣たちを集めて皆に言いました。
「俺はお主たちに勝てとは言わぬ。数々の死地を超えてきたお主たちに言うことは
一つ。ただ己の成すべきことを全て成せ。」と、うつけと呼ばれた若い頃からも
含めて、これまで自分を信じてついてきてくれた皆に告げました。
そして信長が「さすればあとは天が、この信長か信玄か、どちらを選ぶかじゃ。」
と話していたら、木下藤吉郎の配下の者から急ぎの知らせが入りました。
藤吉郎は「天はもう選んでまったのかもしれない。」とニヤリと笑いました。



武田軍が浜松城から西に向かったということは、次は岡崎城でした。
城主・徳川信康はまだ若くて戦の経験もないので、守役の平岩親吉が戦に備えて
皆に指図をして慌ただしくしていたら、そこへ信じ難い一報が。
「何故かはわからないけど、西に向かっていた武田勢が進路を変え、甲斐に引き
返している。」ーーこの知らせに浜松城の皆も驚きを隠せませんでした。






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Last updated  May 16, 2023 04:07:01 PM


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