テーマ:日本人のルーツ(527)
カテゴリ:歴史
2001年7月27日、青森県青森市のホテル青森で三笠宮崇仁親王を迎え 【三内丸山遺跡特別フォーラム】が開催されました。 東奥日報社社長が『三内丸山は日本を代表するだけでなくアジアにまでつながる遺跡。 一見関係のない三内丸山と古代アナトリアにグローバルな解釈を期待したい』と、挨拶し 続いて、三笠宮親王が【古代アナトリア文明とその発掘調査について】と題して講演。 『最新の遺伝子解析で人類の歴史が明らかにされつつあるが、5~6万年前に遡れば 古代アナトリア人と三内丸山人の祖先は一緒だった』と、話しました。 古代アナトリアは、旧約聖書の中でノアの箱舟が漂着した山とされるアララト山からの 雪解け水がヴァン湖に注ぎ、ティグリス川とユーフラテス川の源流となっています。 中央アジア、東アジアなどからの原モンゴル人やセム系諸民族からなる原ユーフラテス人と 呼ばれるシュメール人以前の人々が住み、メソポタミア文明に先行する文明が在ったと 推定されるこの地は、アジアとヨーロッパを結ぶ橋であり古代文明の十字路でした。 特筆すべきは古代史の中で人類が最初に金属と出会った所であり金属精錬の発祥の地でもあり あるアナトリアで何故始まったのか大変興味深い。 シルクロードはまた金属の道としてアナトリア起点に発展した東西南北に金属技術が伝えられ 遠く日本にもスキタイやソグド人やサカ族を通じ中央アジアを通り、飛鳥 正倉院へとやって きたのではないかと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/07/15 04:58:09 PM
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