カテゴリ:旅行記 ウィーン '03.12月
【'04.01.01】 『ウィーン中央墓地』 240ヘクタールもの広大な敷地に、音楽家や画家など多くの著名人を含めた300万人を超える人々のお墓があります。 中でも、「楽聖特別区」の"第32A区"には、ベートーベン、シューベルト、シュトラウス父子、ブラームスといった大作曲家たちが数多く眠っています。 敷地内の並木道は、映画「第三の男」に登場したもの。 * * * 「私が中央墓地へ行った時、すでに日が沈みがかった夕暮れ時でね、、、 とても怖くて、"一生懸命、歌の練習を頑張ります!"とだけ祈って、急いで墓地から出てきたわ。」 そう私に話すのは、関空からウィーンまでの飛行機の中、偶然隣りになった女性です。 屈託なく、マイペースでよく喋る人。^^ 彼女は声楽のレッスンの為、パリへ渡航しているとのことでした。 「私、以前はウィーンに住んでたのよ。」 そんな彼女が、ウィーンの効外にある中央墓地を訪れた話をしてくれました。 「一人で行ったの?」 「まさか! 友達と一緒よ。その子の後ろに隠れながら、恐る恐るついていったの。」 ふ~ん、中央墓地かぁ~。。。 彼女が少し眠った間に、私はガイドブックを開いてみました。 《モーツァルト前後の時代、ウィーンを中心になんと数多くの音楽家たちが活躍したことだろうか。 宮廷や教会の中での音楽の位置付けが重要だったことが大きいが、現在でもヨーロッパでは宗教と音楽は密接につながっている。 プロテスタントの多いベルリンを本拠地とするベルリン・フィルではバッハやワーグナーの曲の演奏が好まれ、 カトリックの多いウィーンを本拠地とするウィーン・フィルではモーツァルトが好まれるというように。 私たちが当地で音楽鑑賞する場合、宗教の差異を少し頭にいれておくことも、また違う鑑賞の仕方ができるのではないだろうか。 その見方からすると、同時代ドイツで活躍したシューマンが、ウィーンでは殆んど活躍していないのも頷ける。》 「まっぷるマガジン ウィーン・プラハ・ブダペスト 2003-04」より * * * 2004年1月1日。 シェーンブルン宮殿から市内へ戻った私は、次の行き先を考えていました。 モーツァルトがオペラ"フィガロの結婚"を作曲した「モーツァルトハウス(当時はフィガロハウス)」も、 ベートーベンが有名な第5交響曲"運命"などを作曲した「パスクァラティハウス」も、 やはり元日は休館なのです。(T_T) 美術館という気分でもなく、路面電車の停留所で、"う~ん"と腕を組み悩んでいました。 そして、あの彼女の話が頭に浮かびます。 『中央墓地』かぁ~、、、もし そこへ行くとしたら、どの電車に乗ればいいのだろう。 「すみません。 中央墓地へ行くには どの電車に、、、、」 ちょうど目の前にいた女性に声を掛けました。 彼女は私の言葉の最後までを聞かず、「これよ。 急いで!」そう叫んで、私の背中を押しました。 訳も分からないまま、"プシュー" ドアが締まります。 行くかどうか、まだ決めかねていたのに~。><。。 けれど これも何かの縁なのかと、そのまま墓地へ向かいました。 そこは、洋画に出てくるとおりの雰囲気です。 独特の空気が漂っています。 淋しい感じではあるけれど、決して気味の悪い場所ではありません。 ただ、天気も悪く薄暗い空の下、元日から墓地に訪れる人も少なくて、、、 真冬に一人で来る場所には相応しくなかったかも???しれませんね。^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.29 23:11:08
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