カテゴリ:読書
心をぞわりなきものとおもひぬる 見るものからや恋しかるべき
古今和歌集にある、清原深養父(きよはらのふかやぶ)という歌人の歌らしい。 『わりなき恋』とは、理屈や分別を超えて、どうしようもない恋。 「どうにもならない恋、苦しくて耐えがたい焔のような恋のことだと思う。笙子、覚悟ある?」 パリ行きのファーストクラスで、69歳の女と58歳の男が偶然、隣り合わせとなったことがはじまり。 女の名前は伊奈笙子、男の名前は九鬼兼太。 国際色ある小説を探していて出会った本が、この岸惠子さんの著書『わりなき恋』であった。 この本が出版された頃、世間の話題に疎い私の耳にも入ってきてたくらいであるから、当時は相当注目されたのであろう。 テレビ画面に映っていた80歳の岸さんの頬は紅潮して、その姿に「おばあさん」はどこにも見られなかった。 だが、私は老人ホームで働く職業柄、どうしても70代にさしかかる女性の恋愛話に最初は戸惑いを感じた。 だって現実のホームでは、おむつをしている70代の利用者は普通にいる。 そこに「女」という「性」を感じろという方が難しい。 その歳で恋愛? その歳で男と溶け合う? 著者本人も何かの番組で、 「70歳を超えると、認知症だとか、介護だとか、ネガティブで後ろ向きな話題ばかりになるけど、そういうのはやめにして、ポジティブに前向きな話をしませんか」 という想いがそこに込められていると話したそうだが、 それにしても女っぷりでも体力的にも70歳とは思えぬ主人公・笙子であった。 いくつになっても男は男、女は女。 そうわかっていても、どこか嫌悪感やら羞恥心やらが働くであろうに、こうも開けっぴろげに生きれるものであろうか。 国際ドキュメンタリー作家と大企業のトップマネジメントという立場の2人であるから、舞台がパリに上海にブダペストにとそれが極当たり前に地球上にまたがることに、どこか非凡人的な背景を感じ、自然と笙子は私の頭の中で岸惠子そのものとして演じられていた。 普通の男女なら、「プラハの春」から恋は始まらない。 それでも、読み進めるうちにのめりこみ、この若くない2人の恋愛の結末が気になることもあり、ページをめくる指は止まらなかった。 70歳ならではの恋の甘み、苦み、しがらみ、痛み。 描写も美しく、選ばれた言葉も美しい。 美しすぎて、逆に「こういうのもありかな」と思ってしまった。 そして最後の最後、笙子が導いた先は、「さすがだな」と思うとともに、「理想だな」とも思う。 岸惠子の自伝ではないだろうが、80歳を超えた岸惠子の美意識なんだろうなと感じた。 いや、まったくの作り話でないことは、文中から溢れるつややかな表現からも汲み取れる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.11.02 16:27:34
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