カテゴリ:お遍路さん
珍しい5月台風の影響で風が強まる中、お寺詣りに出掛けてきた。
四国霊場第67番札所「大興寺」と、第68番「神恵院」、第69番「観音寺」の三ヶ寺へ。 ちょっと恥ずかしい話。 せっかく四国で暮らしているのだからと2009年2月から始めたお遍路さんだが、八十八箇所どころか(バラバラで)三十六箇所を巡った後はずっとほったらかしにしていた。 お詣りに行ってもわざわざ納経所まで足を運ぶこともせず、という札所もいくつかあった。 当初はあんなに張り切って、「お詣りしたお寺をブログにもアップするので、私のブログを通して皆さんも一緒にお遍路しましょ!」、なーんて嬉しげに書いてた自分が本当に恥ずかしい。(苦笑) このまま永遠に葬り去られそうになっていたが、トロトロしているうちに何人もの知人が結願を達成し高野山まで詣でているではないか。 そして、亡き父が一年ほど通っていたデイサービスの職員さんも2年半ほど前に歩き遍路で四国を巡っていた。 当時22歳の彼は、自分の将来に悩みを持ち、遍路することを決心した。 愛媛県の宇和島市で生まれ育った彼は、地元の人たちのお遍路さんへのお接待を幼い頃より身近で見てきた。 そういうことも、若いながらも人生の岐路で遍路することを思いついた理由だと思う。 そして、彼は第37番札所の岩本寺で、宮城から来ている一人のおばあさんと出会ったそうだ。 その方は東日本大震災で息子さんを亡くされ、心に深い傷を抱きながらも慰霊の気持ちで四国へ来られていたのだと思う。 「今頃、息子はハワイ辺りかの。」 夜、遍路宿でおばあさんが言ったそのひとことが彼の胸に突き刺さった。 おばあさんは八十八箇所の一部の寺を詣でたのち宮城へと帰ったそうだが、彼はそのおばあさんのことが忘れられなかった。 お遍路さんのほとんどは、結願後再び第1番札所である霊山寺にお礼詣りをするんだそうだが、彼は「平成のお遍路は東北だ!」とその足で宮城へと向かった。 仮設住宅まで訪ね、八十八箇所すべて埋め尽くされた納経帳を見せると、おばあさんは笑顔を見せてくれたんだそうだ。 「岩本寺で出会った時はおばあさんに何もしてあげることができなかった僕だけど、その時はおばあさんを笑顔にしてあげることができました。」 本当はその納経帳をおばあさんにあげるつもりだったらしいが、父の仏前で納経帳を手にそれらを話してくれた。 「これ、もらってください。」 宮城のおばあさんにもあげなかった納経帳を、私の父にくれるという。 「よく考えて持ってきました。どうか、もらってください。」 戸惑う私に、「僕はお寺に詣ること以上に、その道中が遍路だと思っています」とまっすぐな瞳でそう言った。 その言葉と瞳に心打たれた私は、感謝してそれを頂戴することにした。 それからも半年近くなるのだが、先日久しぶりに徳島県にある第23番札所の薬王寺をお詣りし、仕舞い込んでいた自分の納経帳を差し出した。 「記念スタンプも押しておきますね。」 今年は高野山開創1200年でにぎわっているが、昨年の平成26年は四国霊場開創1200年の節年だった。 その記念に特別のスタンプと御影をくださるのだが、それが今年の5月末までという。 スタンプラリーのようなお詣りはあまり好きではないけれど、これを機に私も再び結願目指そうかという気になったのだ。 今日も三箇所巡りながら、「道中が遍路」という彼の言葉を思い出していた。 まだまだな私だが、せめて本堂と大師堂で手を合わす時くらいは思いを込めてお詣りしよう、そう強く心に留めた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.05.12 20:12:22
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