カテゴリ:日本回顧録~準備から滞在~2004年夏
中途半端で終わってしまった日本回顧録。
とりあえず自分の記録としてこっそり過去の空欄の日付に書き込むことにする。 8月10日 旅も後半で疲れ果てた。 予定としてはこの日、京都の嵐山、金閣寺、清水寺のつもりだったのだが、起きたのはなんと昼近く。 夕方からは京都イタリア会館で働く、私をミラノにこれだけもとどまらせる原因となった?Mさんと 烏丸で待ち合わせて宇治の花火大会に行く約束になっているのだ。 結局、京都北部に位置する遠い嵐山はあきらめ、金閣寺、清水寺にしぼった。 おっとは東京でおみやげに買った甚平を着ていく、といって聞かない。 パジャマみたいだけど。。。ま、いいか。ガイジンだし、京都だし。 もう強い味方のJRパスの期限が切れてしまったのでしかたなく近鉄を使う。ほんと日本は高いよね、電車代っ! 京都に着くといつものようにインフォメーションにまっしぐら。 日本もお盆休みなので、めちゃ混み! でも外国人窓口は空いていたのでおっとを前に出して思いっきりの日本語で聞きにいく。こういうときにガイジン連れは便利だ。。。 交通路線図をもらい、1日バスカードを購入。これは2回半分の乗車券代で買えるから京都を回るにはとってもお得。 まずは清水寺へ。京都に着いた時点から厚い雲がたれこめて、湿度がすごかったのだが、とうとう大粒の雨が降り出した。参道を歩いていたわたしたちは慌ててそばの「おばんざい屋 あやこ」という小料理屋さんに駆け込む。 ここがまた、ナイスだった! 京都の町屋つくりの普通のおうちにあがった気分。中では20代前半の初々しい女の子がひまわり模様のバンダナをしめて独りできりもりしていた。 メニューは、なし。 席についたとたんから、その日の献立(1000円。めちゃ安い!)の小鉢料理がどんどん出てくる。玉子焼きとか、焼き魚とか、ふつうの家庭的な料理である。そういったのがおっとにも、外国暮らしの私にもうれしい。まさに眼福、満腹で食べ終わった頃には夕立も止んでいた。 ますます湿度のあがった坂道を上がると清水寺だ。写真を撮ろうと買ったばかりの3脚をセットしていると、インド系の夫婦に流暢なニホンゴで「シャッター押してもらえますか?」と聞かれたのにはびっくりした。 やっぱり日本でニホンゴのうまいガイジンさんって何か違和感があるな。 清水寺はガイジン受けがいいという。わかるな、造りが典型的な和風建築だし、高台にある大胆さもいいよね。 おっとももちろん大喜び。 でも、ディズニーランドのように長蛇の列を並んで水を飲む、「音羽の滝」には参ったけど。 これもおっとは滝はアンティークなのに、滝の後ろの超現代的「消毒装置」とのミスマッチをおかしがっていた。 そのあとすぐ金閣寺へ。もっと清水寺から近い、と思い込んでいたが結構遠かった。 参拝客はガイジンばっかり。時計をみると、もうMさんとの待ち合わせの時間がせまっている。 さっさと見て慌てて京都の中心、烏丸の「VELOCE」というカフェに駆け込んだ。 このひとはイタリア暮らしの大先輩である。彼女は小さい頃にミラノに行ってつい数年前まで住んでいたので、母国語はイタリア語になっている。 縁あってMさんの家に居候させてもらっていたときには、本当にお世話になったのでわたしはこのひとに頭があがらない。 おいしい日本のアメリカンを飲んで、甘くない小さなケーキを食べて待っているとMさんがやってきた。 これまでの日本滞在で、すっかりおっとの自動翻訳機と化していたわたしだが、わたしを介さずMさんとおっとの会話がすんなり進むのがなんだか不思議。。。。 さっそくタクシーで三条まで移動。わたしは率先してタクシー代を払い、そこで入ったそば屋の勘定も全部払う。。。 私にとっては今までお世話になったささやかなお礼のつもりだったが、どうもこの行為がおっとは気に入らなかったようだ。 そこからおっとはブスッと黙り込んだ。 「マルちゃんって無口だね。」とMさん。 いやいやほんとはそんなことないんです~。すみません。。。 三条から宇治に電車で移動。 浴衣姿のひとたちで満員である。こうなると、おっとの甚平姿も目立たなくなり、よかた。 宇治のひとつ手前の駅で降りる。というのはインターネットで「人が少ない穴場」と書いてあったのをみつけたから。 確かにひとは多かったけど、宇治よりずいぶんマシだった。駅に降り立つとすぐ、花火がはじまった。 駅のすぐ横の踏み切りで立ち止まり、花火を鑑賞。 やはり、そばでみるのはすごい迫力だ。それに今の花火技術は目を見張るものがある。 花の形やアンパンマンまで。そつなく打ち上げられていく。 おっとは感動し、ビデオカムに撮り続けていた。 やっとフィナーレのしだれるような大きな花火が終わり、感動で興奮したまま宇治駅へ移動。 すごいひとである。そして路上がごみでめちゃくちゃ汚い。メガホンで警察が「ただいま宇治駅は混んでおりま~す。お帰りはもう少し待ってください!」と叫んでいる。 そんな中、もみくちゃにされながら深夜、奈良の自宅へと帰って行ったのであった。 次の日8月11日はわたしの誕生日。南大阪の父方の叔父の家へ行く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.09.30 00:26:31
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