テーマ:海外生活(7771)
カテゴリ:日本回顧録~準備から滞在~2004年夏
おっとは今日、はじめて自ら、仕事に行かなかった。
理由は:「だって仕事がないんだもん。」 私は。。。。1時間も遅れて余裕で出勤、さっきはミラノで一番チョコレートアイスのおいしいジェラート屋さんまで同僚たちとクルマでドライブ。 明日はどこに行こうか?遊園地?? たまにはいいけど、これが最低今週いっぱい続くと思うとつらいな。 ******************* おっとが3日遅れて日本に到着した日。 私は早く家を出たにもかかわらず、すごい渋滞に巻き込まれ、空港に着いたとき、おっとはすでに出口のそばで待っていた。 「私が待つ」というのは日常茶飯事だけど、2人の人生ではじめておっとを待たせたんじゃないだろうか?きっと、これが最初で最後だろう。 おっとも別のことでびっくりしていた。「飛行機がね、20分も早く着いたんだよ!こんなことってあるんだ!?」と。イタリアの交通機関はいつも遅れて当たり前だから、確かに信じられないことだ。 そしてすぐ、空港バスに乗って関空-奈良へ。 どんどん海から大阪の中心部、東大阪、奈良へと景色は変わっていく。おっとは窓にへばりついて景色を楽しんでいた。ゴルフ場の緑の覆いのようなネットを不思議がったり、高層ビルばかりと思っていたのに、一軒家が多いことに感嘆の声をあげたりしているうちに家に着いた。 おっとが遅れてきた理由はもちろん母には隠してある。 母は、前日までブーブー不満をもらしていたのはどこへやら、おっとが玄関に立ったとき、なんとか笑顔で迎えてくれたときにはちょっとホッとした。 この日、母が用意してくれた昼ごはん:冷やしそうめん みょうが、しそ、山芋入り /ゴーヤチャンプル /卵とうふ おっとは苦しげに食べていた。なぜなら全てはじめてのものばかり。ポーカーフェイスをかろうじて保ちつつ、山芋を流し込み、ゴーヤを口にしたときの顔は、帰伊前日まで母の笑い話となった。 卵とうふはプリンと思い込み(ちゃんと口に運ぶ前に説明したっつうの。)、最後に食べて「うわー、何これ?!」と吐き出した。 こんなんで、これから3週間、大丈夫だろうか? 母も同じことを思ったらしい。それから、実家に滞在中、家で母が用意してくれる料理はフライなどの洋食に変わってしまい、私にとってはちょっとつらかった。(あんこも嫌いだから和菓子も食べられなかったしねえ。。。(泣))。 次の日からは休む暇なく、中国地方に向けての旅である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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