カテゴリ:日本回顧録~準備から滞在~2004年夏
おとといから空咳が止まらない。のども痛くないのにうっとおしい。
同僚たちは「うわっ!日本からSARS持って帰ってきただろ?近づくな!!」とみんな逃げていく。 そういえば、地下鉄で咳をしていたら、満員なのに気が付けば私のまわりは空間が。。。 くっそー、私はSARSじゃないぞ!(たぶん)こうなったら、みんなに感染しまくってやる。 そんなわけで今日も会社に意気込んで出勤してきました。 ********************** もう、いいかげんクタクタである。 この日は家族でしかも、近所だけのおでかけだし、ゆっくり寝れる、と安心して暴睡していたのだが、朝早くから母にたたき起こされてしまった。 昼食を天皇ご一家の御常宿でもある奈良ホテルにご予約あそばしたので、それまでにいろいろ観光を、と言うのだ。 別にその辺の蕎麦屋でもいいのに。。。と思いつつ、もちろん口には出さない。 まずは、のっけから春日山原生林へ。 と、いうのは父が昔、この原生林の調査に携わっていたので(注:木こりではありません。)マルちゃんに見せたかったから。 この原生林は奈良時代から手を加えてないらしい。 ので、林道からはみることが出来ないが千年以上もの樹齢を経た大木が何本も奥にはあるらしい。 一度は女性の白骨死体もみつけたとか。まるで富士山の樹海である。 私たちは基本的にアウトドア派である。 おっとがクルマを降りて少し歩きたいというので、2人で歩いた。 するとまもなくして、大きなへびが藪の中から出てきて私たちの前を何事もないように横切っていった。 び、びっくり! 母が「きゃーっ、もう行きましょう!」と叫んで私たちは慌てて山を降り、奈良ホテルへと着いた。 このホテルは明治42年創業の一見、古寺のような古い大きなホテル。 足を踏み出すと沈みそうな赤いじゅうたんが敷き詰められた廊下を抜け、レストランへ。眺めのいい窓際の席に案内された。 この日、注文したメニューはフレンチのコース。 ウェーター達は舌をかみそうな感じで丁寧に注文を聞いてくる。その割にはパンを掴むピンセットの手が震えている。バイトかな? 味は。。。 はっきりいって、高いばかりでたいしたことはなかった。ま、ブランドで売ってるレストランなんてこんなものだろう。 レストランを出て、私たちと母は春日大社への参道に入り、父は駐車場をさがしにいった。 8月はじめの昼下がり。うす曇ではあったが超暑い。こんなときに観光しているのは外国人ばかりである(アメリカ人とドイツ人ばかりだった)。 おっとはいちいち止まっては鹿とたわむれ、私たちはのろのろと進む。 やっと春日大社へ。 運良く 巫女さんたちが舞を舞っていた。夢中でシャッターを切る。おっとも夢中でシャッターを切っていた。あとでみると、私は巫女さんたちを、おっとはそのそばにあったご神木の大木を何枚も撮っていた。父の影響?が大きかったらしい。 舞を舞う巫女さん。左端にちょっとみえるのがご神木 そこから4月堂、3月堂をみて2月堂で父と落ち合う(あまりのわたしたちののろさに待ちくたびれていた)。 そこから東大寺へ。 東大寺は予想通り、おっとはいたく感激し、キーホルダーを何個も買ったぐらいである。 このあと、両親は家に帰り、私たちは残った。 と、いうのはこの日は「燈火会」という夜の行事が行なわれるからである。 商店街をおみやげ物をみながらウロウロしていると、だんだん日が暮れてきてひとが多くなってきた。燈火会のはじまりである。 猿沢の池に行く。すでにベンチも手すりもひとがいっぱいである。 サムイを身に着けたひとたちがあらわれ、池のまわりを囲んだ小さな灯篭ひとつひとつに点火していく。圧巻。 そしてわたしたちはまたそこから興福寺を通り、博物館の前を横切って東大寺へと戻る。ろうそくの光の海である。 上おっと 下「あ」さんと「うん」さん まだ、万灯籠の日ではなかったので、これといった催しはなかったが、ロマンチックな夜だった。 実家に帰ると父が昔の35mmをビデオに編集したものをみせてくれた。 私の幼い時のビデオ(無声 白黒/カラー)。 懐かしい昔住んでいた大阪の家、友達。。。今、あそこと友人たちはどうなっているだろう? どのシーンも私は全速力で走っている。今じゃ走るのもめんどくさいものぐさなのに。。。 おっとは目に涙をためて喜んでいた。感動屋である。 次の日は、京都観光。 きつい日本旅行の終焉も近い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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