今さらの黒船(マクラーレンF1-GTR)
「親譲りのものぐさで子供の頃から出遅れてばかりしている」有名文学の冒頭をいじくったんであるが、親譲りであるかどうかは別にして(親は絶対違うというだろ/笑)、ついでに言えばまったくもって坊っちゃん(言っちゃったよ)ではないんだが、ものぐさで出遅れは間違いないところだ。なにしろ4年も寝かせちゃった蔵出し品だ。エブロ×hpiレーシング1/43 マクラーレンF1-GTR "1996年JGTC 総合1位"#61 ジョン・ニールセン / デビッド・ブラバム あまりの高性能からGT-R(R32)のワンメイクレースとなった全日本ツーリングカー選手権(JTC)や、マシン自体がどうにも地味で魅力がなかった全日本ツーリングカー(JTCC)の後釜として、なし崩し的に始まった全日本GT選手権。過去の反省を踏まえ、国内カーメーカーが威信をかけて専用マシンを製造し、特定メーカーに勝利が偏らないようなシステムにしてスタートしようと始めたそばから、新参者がイギリスから「吊るしの市販レースカー」を購入して参戦してきた。 そもそもはマクラーレンのロン・デニスが、市販車マクラーレンF1を購入したチーム代表に「レースバージョンのほうでレースやんない?」と話を持ち掛けたのが始まりといわれてるが、ともかくもメンテをチームルマンに託し、ドライバーには国際選手権のほうでチャンピオンを獲得したニールセンにブラバム、チームルマン側からラルフ・シューマッハと服部尚貴、スポンサーにはロン・デニス繋がりでマルボロを有するフィリップモリスの「ラーク」ブランドがつく、といった新参者とは思えない参戦体制をとった。というか、マクラーレン側がマクラーレンのイメージを汚さぬように盤石の態勢にしろと指示、レースだから負けることもあるが無様な負け方はするなと厳命した、つまり主導権はあくまでマクラーレンにありチーム代表は英国と日本の間の調整役に過ぎない、事実上の隠れワークス参戦だった。 当時最高峰のスーパースポーツカーで、ルマンも制したF1-GTRの参戦に戦々恐々とした運営団体は200馬力ものデチューンを要請。500馬力のマシンだからGT500クラスっていうのに、そこから100馬力も少なくなるようにデチューンしろって無茶振りなんだが、それでもマクラーレンF1-GTRはシリーズ全6戦中4勝、全戦で予選1位およびファステストラップ獲得と別次元の強さでシリーズを圧勝する。(個人的には、速かった#60号車は勝つかリタイアで、実際見に行った富士の2戦はどっちもリタイアだったし、#61号車はムリはしないしで、あんま圧勝って感じがしなかったんだが) この圧勝劇に観客は大喜びだったが、バブルが崩壊して決して潤沢じゃない予算でマシンを作り参戦してる日本勢からすれば「札束で横っ面引っぱたくようなやり方」はまったくもって面白くない。(実際は、単に金持ちのボンボン(チーム代表はブリヂストン直系のボンボンだったが)がカネにもの言わせて吊るしのクルマ持ち込んで優勝を掠め取ったわけではなくマクラーレンの思惑が裏で糸を引いていたわけだが)そこで古来からの日本の伝統に則って、何かにつけ難癖をつけて出る杭はブッ潰れるまで叩いた。チーム側からすれば「最初にウェルカムっつっといて今さら何言ってんの?」「そもそも連勝を許さないレースシステムってなんだよ?」でハナシはこじれるばかり。最終的にはシーズン中にもかかわらず運営団体から脱退し、チャンピオンなのに年間表彰式にも呼ばれず、たった一年だけの(ワークス)参戦となった。まあ、ものごとの始まりにありがちな黒歴史やね。 モデルのほうは、エブロと故hpiレーシングとのコラボレーション企画。東日本大震災のあとに、小さなメーカー同士がいがみ合っててもしょうがないだろうと思ったのかどうか知らんが、復興支援として震災翌年に発売された(ちゃんと当時定価で買ったぞ)それを何を今さらなんだが、後送りデカールがどっか行っちゃっててさあ、貼れないままお蔵入りの境遇に。それが、つい最近出てきたわけよ。で、また見当たらなくなる前に、ちゃちゃっと貼ってみたわけ。だからタバコデカールは、スパークみたいに商品自体に入れといてくれるのがありがたいんだが、じゃあ商品に同梱してりゃあすぐ貼るんか?と問われれば、いやあ生来ものぐさなもんで(笑)と言うしかなかったり。