『動画で見る100人の村』
『動画で見る100人の村』5年前くらいから『100人の村』に関する詩については日本でとても話題になっていましたが、この度とてもわかりやすい動画を見つけましたので私のブログでもご紹介させていただきます。★『動画で見る100人の村』http://www.oasisjapan.org/main/modules/100n/★PCに動画をダウンロードするには下記リンクから!http://www.oasisjapan.org/img/100nin.swf ※「動画で見る100人の村」の動画ファイルは世界情勢の動向にあわせて更新されていきます。新旧ファイルの混在を防止する為、ダウンロードしたファイルの再配布・転載は禁止とさせていただきます。(リンク先HPより)この動画がUPされている場所は、NPOオアシス(内閣府認証 特定非営利活動法人)さんのHP。http://www.oasisjapan.org/main/こちらでは多く語れませんがとても素晴らしい活動をされています。特にオアシスさんの理念の一つGive&BeGiven(= まずは与えることによって、与えられる)はとても素晴らしい言葉ですよね!d(>_< )Good!!ずっと、覚えておきたい言葉だと思いました。。★オアシスさんのご活動は下記の動画でも分かりやすく説明されています(^^)bhttp://www.oasisjapan.org/main/movie/oasis_bb.wmv※『動画で見る100人の村』は、私が育児の参考にさせていただいている、ぱっぴぃかあちゃんさんのblog『どりょくはむげん♪』にリンクが貼られていました。http://plaza.rakuten.co.jp/Infinity2006/はっぴぃかあちゃんさんは、将来プロ野球選手を目指す2人のお子さんを育てられています。blogのキャラクターがとてもかわいく、育児についてもいつも勉強させていただいています!<(_ _*)>この、『世界がもし100人の村だったら』の詩は、ある意味『千の風になって』と同じく、インターネットやメールで爆発的に改定されながら広まったものだそうです。詳細は、下の『ウィキペディア』からの転載文をご覧下さい。。『千の風になって』は、死後の世界をとても身近に表現しているのに対し、『世界がもし100人の村だったら』は、現実の世界を地球規模でわかりやすく説明しています。視点は違いますがどちらもすばらしい詩ですよね!(*⌒▽⌒*)b私は、障がい児(ダウン症の息子)を育てていることもありますので、このような広い視点から物事を考えられる親にいつかなりたいと思います。(まだまだ程遠いですが・・(´・ω・`))ところでこの詩の翻訳は、日本では主に2人の方によって紹介されているらしいです。1人は、この動画のリンク先にも掲載されている、なかのひろみ(中野裕弓)さん。『ウィキペディア』によると、この方が日本に紹介した最初の方らしいです。もう1人は、『世界がもし100人の村だったら』の本で有名な、池田香代子さん。本の出版はこの方の方が早かったようですね。今までこのシリーズで4冊出版されています。左から、『世界がもし100人の村だったら』『世界がもし100人の村だったら2 - 100人の村の現状報告』『世界がもし100人の村だったら3 - たべもの編』『世界がもし100人の村だったら4 - こども偏』『千の風になって』と同様、『世界がもし100人の村だったら』についても今後私のテーマに加えていこうと思っています。特に障がい児を育てていると目先の事しか見えなくなるときが恥ずかしながら多いです。。そんな時、客観的に自分を見つめられるこれらの詩は、私にとって地図のような存在になりそうです。●『世界がもし100人の村だったら』出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』移動: ナビゲーション, 検索世界がもし100人の村だったら (If the world were a village of 100 people)は、インターネット上でチェーンメールのように広まって、世界的に流布した世界の人々の相互理解、相互受容を訴えかける世界村(en:global village)について示唆を与える文章。2001年前後から世界的に広まった。元々はアメリカのイリノイ州出身の大学の女性教授ドネラ・メドウスが、世界が1000人の村だったら、というタイトルで書いた文章から出発し、それがネットを介して伝えられていく内、100人に人数が減り、また部分的に削除されたり、逆に加筆されたりして流布しているもの。日本では、2001年3月にアメリカ、ワシントン・DCで元世界銀行に勤務していた中野裕弓が、元同僚から受け取ったものを日本語に訳したのが、最初だといわれる。また同年2001年には翻訳家の池田香代子とC・ダグラス・ラミスが再話し、日本語に訳してマガジンハウスから出版した。また、これを開発教育協会が、国際理解教育の教材として開発したものも存在する。