金澤泰子(文)・金澤翔子(書)『萌芽』(雑誌『星座』2008年3月号より転載)
●金澤泰子(文)、金澤翔子(書)『萌 芽』雑誌『星座・歌とことば』2008年3月号(草萌号)『書-こころのかたち』より「萌 芽」◇金澤泰子 小学四年生になった時、翔子は普通学級での在籍は無理だと、新しい担任の先生に登校を拒否された。新学期に向けて想いを膨らませていたので衝撃であった。春爛漫の陽光が余りにのどかであった故になお悲しく、途方に暮れた。なすすべもない私は、翔子に大作の般若心経を書かせようと決意した。十才の知的障害の子に大紙への二六二文字の挑戦は無謀に思えた。しかし、これ位の事をしなければ二人の胸は治まらなかった。毎夜、私が罫線を引き、来る日も来る日も繚乱と続く二人の共同作業が展開され、遂に三組の心経を書き終えた。翔子には厳しい鍛錬の刻であった。 思えば翔子が書の道で生きる兆しはこの般若心経に在った。何処へとも行方の知れない辛い不安な凍土があったから、あの凄い心経が芽ぶいたのでしょう。(以上転載許可済みです)-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-いつも泰子様のエッセイを掲載させていただく時は、事前に送って頂いた雑誌「星座」もしくはそのコピーからスキャンしてブログ記事を作っているのですが、今回は「エッセイ」と「書」の両方のデータを金澤泰子様からご提供して頂きました。そのため、今回は若干今までと構成が違うと感じられるかもしれません。雑誌「星座」に連載されています泰子様のエッセイ、こちらでの掲載は、一重に金澤泰子様がダウン症のお子様を育児されていらっしゃる親の方へ少しでも参考になればというお気持ちからご縁があったものです。隔月の連載で、もうかれこれ1年以上お世話になっています。連載までの経緯は、以前より私があるご縁で金澤翔子さんの書に魅せられ、翔子さんをこちらでご紹介させて頂いているうちに自然とそのような話になりました。丁度連載が始まった時期に泰子様と直接お話させて頂く機会があったおかげかもしれません。なんにせよ一個人のブログにこのような素晴らしいエッセイと書を掲載させて頂くこと、改めてとても光栄に思い、感謝の気持ちで一杯です。私と同じく毎回感慨深く読まれていらっしゃる方も多いのではないかと思います。実際に翔子さんを育児されてこられた泰子様の様々な思いが、今までのエッセイはもちろんのこと、今回の「萌芽」にも強く感じられます。この気持ちは実際にダウン症の我が子を育児している親にしか多分わからない気持ちだと思います。私はまだまだこれからのことが多いので、本当のところはまだよくわからないことだらけだと思いますが、このエッセイと書の絶妙な組み合わせを毎回一読者として楽しませて頂いています。毎回貴重なエッセイを掲載させて頂いている金澤泰子様には本当に感謝の言葉もございませんm(゚- ゚ )★今までご紹介させていただいた金澤泰子様のエッセイは下記リンク先の中に全て入っています(^^)http://plaza.rakuten.co.jp/pmdecorp/diary/?ctgy=47