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人生朝露

人生朝露

意識と無意識のあわいの荘子。

Zhuangzi
『語仁義忠信、恭儉推讓、為修而已矣、此平世之士、教誨之人、遊居學者之所好也。語大功、立大名、禮君臣、正上下、為治而已矣、此朝廷之士、尊主強國之人、致功并兼者之所好也。就藪澤、處閑曠、釣魚閑處、無為而已矣、此江海之士、避世之人、間暇者之所好也。吹?呼吸、吐故納新、熊經鳥申、為壽而已矣、此道引之士、養形之人、彭祖壽考者之所好也。』
→仁義や忠誠、信義を語り、身を慎み謙譲の精神を忘れず、身を修めることに専心する。これは、泰平の世の人、他人に教え諭す立場の人、主君に仕えない学者の好むところである。功を語り、名を立て、君臣の礼を説いて天下を治めることに専心する。これは、朝廷に仕え、主君を尊び、強国にしようと志す人、他国を併呑して天下を治めようとする人の好むところである。片田舎の雄大な沢で、のんびりと釣りを楽しむことに専心する。これは、江海の人、世捨て人、仕事もない暇な人の好むところである。冷たい空気を吸って古い空気を吐き出し、熊が木にぶらさがるような、鳥が飛び立つような伸びをして運動に専心する。これは、導引の人、養生をする人、彭祖のような長生きをしてい人の好むところである。

進化してますか?
二千年の間に人間は進化なんてしてはおりませんな(笑)。

さて、
Google ジョン・レノン仕様。
ジョン・レノンの70回目の誕生日に、中国人がノーベル平和賞を受賞いたしました。良いことです。Googleの動画に何で蝶がでるのか?ふふふ。夢想家は一人ではないんですよ。ふふふ。

ま、形式だけは民主主義国家を標榜している日本人といたしまして、ネイティヴ・アメリカンやアイヌ人の文化を根絶させつつありながら救いの手を差し伸べられられない民主主義なる政治手法を、彼らにはまだ取っていただきたくないですね。多様な意見を尊重し、権力者が権力の行使を自省をすることに民主主義の真髄があると思っているので、この数年間の中国の歩みは決して外れてはいないですよ。あの政治環境の中で、30年対外戦争をやっていない中国共産党だって、たいしたものだと思います。ま、最近はアメリカの方が平和的だとかとかいうキチガ○もいますが。戦争が始まるたんびに、ジョン・レノンの歌を放送禁止にする民主主義国家、ウソをついて今でも他国の人間を殺し続けている民主主義国家が、尊敬には値するとも思えませんね。

参照:荘子と進化論 その54。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201007050000/

Zhuangzi
『方舟而濟於河、有?船來觸舟、雖有?心之人不怒。有一人在其上、則呼張歙之、一呼而不聞、再呼而不聞、於是三呼邪、則必以惡聲隨之。向也不怒而今也怒、向也?而今也實。人能?己以遊世、其孰能害之。』(『荘子』 山水 第二十)
→ 舟が並んで河を渡っているとき、誰も乗っていない舟にぶつかったとしたら、変人であっても怒ることはない。ところが人間が乗っていれば、こっちにくるな、あっちにいけなどと呼びかける。一度言っても聞かず、二度言っても聞かない。三度目に罵声を以って呼びかけあってから、ようやく双方の距離が保たれる調子だ。前者では誰も怒らず、後者では罵りあうのは、前者の舟は全く善意も悪意もない「虚」であり、後者の舟は人の善意か悪意かをはらんだ「実」だからである。人間社会の処世も同じことで、虚心でいて善悪の判断にとらわれなければ、だれがあなたを害し得ようか?」

・・・ま、まだこんなもんですらない日中関係ですがね(泣)。

参照:中島敦「名人伝」と荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5014

日本の武道に与えた荘子の影響というのは、凄まじいものがあります。

ちょうど、大相撲で白鵬が大鵬の連勝記録を抜き、遂には双葉山の記録に迫る勢いであります。昭和の大横綱・大鵬の四股名は、荘子の逍遥遊篇に登場する巨大な鵬(おおとり)からのものです。双葉山の連勝記録が止まったときに安岡正篤(まさひろ)さんに送った電報「イマダ モッケイタリエズ」は、荘子の達生篇の木鶏の故事に由来します。相撲の世界においても、荘子は切っても切れない関係なんですよ。

Zhuangzi
『紀省子爲王養闘鶏。十日而問、鷄已乎。曰、未也。方虚驕而恃氣。十日又問。曰、未也。猶應響景。十日又問。曰、未也。猶疾視而盛氣。十日又問。曰、幾矣。鷄雖有鳴者、已無変矣。望之似木鷄矣。其徳全矣。異鷄無敢應者、反走矣。』 (『荘子』達生 第十九)
→紀省子は、王のために闘鶏の鶏を養うことになった。
十日目に王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、
紀省子は、「まだです。自分の元気さに驕り昂ぶっているだけです。」
その、十日後に王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、
紀省子は、「まだです。他の鶏の声を聞くだけで昂ぶっているようでは。」
また十日後に、王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、
紀省子は、「いや、まだです。殺気立った闘志が先走っているだけです。」
さらに十日後に、王が「もう鶏は試合に出せそうか?」と尋ねると、紀省子は、ようやく、
「そろそろでしょう。他の鶏の鳴き声にも動じないし、まるで木彫りの人形のようになっています。ここまでくれば、相手の鶏は「こいつにはかなわない」と、戦う前に逃げてしまいますよ。

荘子の十八番・達人の極意です。何事にも動じない無心の境地、というのは、日本人が荘子から学んだ叡智の極みですね。西田幾多郎のいう純粋経験そのものが荘子の達生篇にちりばめられています。これを石川遼がやっているのがまた凄い。

参照:荘子と進化論 その55。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/201007170000/

武道と田舎荘子。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5013

Zhuangzi
『工?旋而蓋規矩、指與物化、而不以心稽、故其靈臺一而不桎。忘足履之適也。忘要、帶之適也。知忘是非、心之適也。不?變、不外從、事會之適也。始乎適而未嘗不適者、忘適之適也。』(『荘子』達生 第十九)
→工錘(こうすい)と言う名工は定規やコンパスなど使わずとも、真っ直ぐな線や真円を描くことができた。指が筆と一体となり、虚心のまま筆を進めることができたからだ。彼の心は一切の迷いがない。靴を履いている足の事を忘れるのは、足の型ににぴたりと合っているからだ。帯を締めている腰のあることを忘れるのは帯が腰の型にぴたりと合っているからだ。同じように、善悪・是非の判断を忘れているのは、心が自然と一つになるからだ。外物に振り回されないのは、内のありようと外のありようが逆らっておらず、安定していることにある。そして、自適の境地にから始まって、自適であるということすら意識しなくなる時こそ、本当の意味での忘我の境地といえる。

浅い表現で言えば、夢中でいるということなんですよ。意識と無意識の間。ヒントはいつもそこにある。

今やこれを西洋人に学ぶ愚かなる日本人。

参照:アイデアはどこで生まれますか? My favorite CM : frisk
http://www.youtube.com/watch?v=6faNFxVtJlM&feature=related

FRISK commercial|"Tips"
http://www.youtube.com/watch?v=WQdgcxyuzPQ&feature=related
フリスクのCMって、いっつも「無用の用」を発信しているって気付かないんですよ(笑)。まんま荘子じゃないの。

参照:Zen Poem: Where does the circle begin?
http://www.youtube.com/watch?v=CXTE4_Oh4-0
エゲレスでも、このくらいのヤツもいる。叡智に国境はないですな。

まずは心を空っぽに。まるで水のように。

参照:Bruce Lee_Be Water My Friend
http://www.youtube.com/watch?v=USlnfTGlhXc&feature=related

今日はこの辺で。


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