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人生朝露

人生朝露

『荘子』逆読みのススメ。

さて、
悪かったわね!
荘子をやってます。

ま、素人が足を踏み外して荘子読みやっているわけですが、今回は自分の荘子の読み方について。荘子には内篇、外篇、雑篇と分かれておりまして、内篇のうち第一、第二、逍遥遊と斉物論篇が荘子の思想の根本的な部分で、内篇はおそらく荘子自身の手によるもの。外篇は、荘子にかなり近い弟子の手によるもの。雑篇は荘子学派に近いと思われる人物の文章を集めたもの。というのが、一般的な分類かなと思われます。なんだ、じゃ、内篇くらい読めば・・と読むとこれがやたらと難しい。そりゃそうで、内的世界と外的世界の両面を行ったり来たりしている荘子の思想を掴むというのは容易なことじゃない。だいたい、荘子の孔子批判ってのが、何をやっているのか分からない(笑)。

というわけで、素人だからできる荘子の読み方を。

自分のオススメは、逆読み。
『荘子』という書物は、内篇→外篇→雑篇と後の方ほど荘子の無為自然から離れていきます。途中からは、荘子の弟子たちが政治に関わろうとするような記述も出てきまして、これは荘子自身の姿勢とはかけ離れています。荘子の思想の根本は、やはり内篇なんだというのは、そうだと思うんです。でもね、実際、世俗にまみれている人間が、いきなり荘子の境地に行くのは無理ですよ。だったら、最初から荘子の弟子たちの視点で見てみる。同じテーマで内篇と外篇と雑篇がどう違うか。そうすると感じるものが、あるんです。

たとえば、芸術。

雑篇だと、
Zhuangzi
『原憲居魯、環堵之室、茨以生草、蓬?不完、桑以為樞而甕?、二室、褐以為塞、上漏下?、匡坐而弦。子貢乘大馬、中紺而表素、軒車不容巷、往見原憲。』(『荘子』 讓王 第二十八)
→→原憲は魯の国に居を構えていた。居といっても一丈四方の狭い庵は、屋根を草でふき、戸は蓬を編んでいて、桑の木や割れた茶碗をあてがっただけ。両の部屋を襤褸切れで仕切っているだけの粗末なものだった。上からも下からも水漏れするような家で、原憲は、座して琴を弾いて歌うような生活をしていた。

ここでは、原憲という孔子の弟子が片田舎で琴を弾いている様子です。ちゃんと楽器を弾いています。

これが、外篇だと、
『孔子窮於陳、蔡之間,七日不火食,左據槁木,右?槁枝,而歌?氏之風,有其具而無其數,有其聲而無宮角,木聲與人聲,犁然有當於人心。顏回端拱還目而窺之。仲尼恐其廣己而造大也,愛己而造哀也,曰『回!無受天損易,無受人益難。無始而非卒也,人與天一也。夫今之歌者其誰乎?』
→孔子は旅をしていた陳と蔡の国の間で困窮し、七日も煮炊きすることができなかった。そのとき彼は左手を枯れ木にそえて、右手に枯れ枝を持ち、神農の風という歌を歌った。節も調子も合わない歌だったが、木の音と人の声とが、何かしら人の心を打つものだった。弟子の顔回は、その調べをじっと聴いていると襟をただし、そわそわと落ち着かない表情を浮かべている。孔子は自分に心酔するあまり、弟子があらぬ心配をしているのではないかと気になって、顔回に向って言った。「回よ。天地の災難を受けて窮地に遭うことを受け入れるのは難しいことではないが、富や地位や名声にとらわれて安寧を得ることは難しい。天から見れば、人の生死は巡り巡って始めも終わりも見極めることはできないさ。人と天とは一つのもの。今の歌は天の歌か。人の歌か。誰が歌っているのだろうね。」(「荘子」山木 第二十)

参照:荘子とGod。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5033

ここでは、孔子は棒切れを使って歌を歌っています。
拍子木どころか、もっと原始的な道具を使っているわけです。これは意図的に書き入れているんですよ。もう一つ重要なのが、こういう原始的な道具と「心」との関係ですね。意識しなくても表現に心が映し出される。紀元前にこういう情緒を感じ取るってのは、難しいことだったのか、当たり前のことだったのか。

Zhuangzi
『工?旋而蓋規矩、指與物化、而不以心稽、故其靈臺一而不桎。忘足履之適也。忘要、帶之適也。知忘是非、心之適也。不?變、不外從、事會之適也。始乎適而未嘗不適者、忘適之適也。』(『荘子』達生 第十九)
→工錘(こうすい)と言う名工は定規やコンパスなど使わずとも、真っ直ぐな線や真円を描くことができた。指が筆と一体となり、虚心のまま筆を進めることができたからだ。彼の心は一切の迷いがない。靴を履いている足の事を忘れるのは、足の型ににぴたりと合っているからだ。帯を締めている腰のあることを忘れるのは帯が腰の型にぴたりと合っているからだ。同じように、善悪・是非の判断を忘れているのは、心が自然と一つになるからだ。外物に振り回されないのは、内のありようと外のありようが逆らっておらず、安定していることにある。そして、自適の境地にから始まって、自適であるということすら意識しなくなる時こそ、本当の意味での忘我の境地といえる。

Zhuangzi
『有機械者必有機事、有機事者必有機心。機心存於胸中、則純白不備、純白不備、則神生不定。神生不定者、道之所不載也。』吾非不知、羞而不為也。」子貢瞞然慚、俯而不對。』(『荘子』天地篇 第十二)
→「私は先生に言われたことがある。『機械がある者には、機械のための仕事ができてしまう。機械のための仕事ができると、機械の働きに捕らわれる心ができてしまう。機械の働きに捕らわれる心ができると、純白の心が失われ、純白の心が失われると、心は安らぎを失ってしまう。心が安定しなくなると、人の道を踏み外してしまう。』私は機械の便利さを知らないのではない。機械に頼って生きようとすることが恥ずかしくて、そうしないだけだ。」子貢は、自らのおせっかいを恥じて、返す言葉を失った。

機械への不信という前に、『荘子』という書物には道具を使うことへの批判があるわけです。
できる限り道具を捨て去れと。

たとえば、
愛しのレイラ。
デレク・アンド・ドミノスの頃にこんな感じだった人が、

参照:Derek and the Dominos - Layla
http://www.youtube.com/watch?v=sw01019P19g

何年も経って、
アンプラグド。

参照:Eric Clapton - Layla (Unplugged)
http://www.youtube.com/watch?v=iZV7akaSo0s&feature=related

こう表現してしまう。そんなもんです。芸術ってのは本来あるがままの人間が出ちまうものなんだから、より原始的なものの方が、心を打つわけですよ。機械や小手先の技で聴かせているうちは二流。アコギ一本で勝負する。こういうのです。

これが、内篇だと・・・

Zhuangzi
南郭子?隱机而坐,仰天而?,荅焉似喪其?。顏成子游立侍乎前,曰:“何居乎?形固可使如槁木,而心固可使如死灰乎?今之隱机者,非昔之隱机者也。”子?曰:“偃,不亦善乎而問之也!今者吾喪我,汝知之乎?汝聞人籟而未聞地籟,汝聞地籟而未聞天籟夫!”子游曰:“敢問其方。”子?曰:“夫大塊噫氣,其名為風。是唯無作,作則萬竅怒?。而獨不聞之??乎?山林之畏佳,大木百圍之竅穴,似鼻,似口,似耳,似枅,似圈,似臼,似?者,似?者;激者,?者,叱者,吸者,叫者,?者,?者,咬者,前者唱于而隨者唱?。?風則小和,飄風則大和,萬風濟則?竅為?。而獨不見之調調、之??乎?”子游曰:“地籟則?竅是已,人籟則比竹是已。敢問天籟。”子?曰:“夫吹萬不同,而使其自已也,咸其自取,怒者其誰邪!”(『荘子』斉物論 第二)
→ 南郭子?(なんかくしき)は肘掛にもたれ、空をあおいで大きく呼吸をしている。まるで何かの抜け殻のようにみえた。前に控えていた顔成子游(がんせいしゆう)は気になって「先生どうなさいました?まるで外から見れば枯れ木のよう、心のうちは灰のようになっていらっしゃいます。昨日までの先生とは別人のようです。」「偃よ。お前には隠せないな」ふと我に返った彼は答えた。「今、私は無になったのだよ。いやいや、お前は人籟(じんらい)が聴こえても、地籟(ちらい)は聴こえないだろう。地籟が聴こえても天籟(てんらい)は聴こえないのだな。」「なんです、その天・地・人の声というのは」。子?は答えた「大地の吐く息、それを風という。ただ吹いているのではない、ひとたび大地の息が駆け抜けると、地上のあらゆる穴がいっせいに鳴り響く。お前も聞いたことがあるだろう。風が山林に吹いてざわざわと鳴り出す様を。巨木にあいた数百のあな、鼻のような、口のような、耳のような、枡のような、杯のような、臼のような、井戸のような、水溜りのような、形も深さもさまざまな穴を通して、いろんな声を出す。ごうごう、ざわざわ、ひゅうしゅう、しゅうしゅう、さらさら、ちりちり、きいきい。前の風がひゅうと鳴って、後の風はごおっと去る。大地の呼吸が止むと、ただの空っぽの穴ぼこだ。お前は木が大きく揺れた、小さく揺れたとしか見ていないだろう。しかし、そこには大いなる大地の呼吸の音がある。」「地籟は風があらゆる穴から通り抜ける音、人籟は人の息が空っぽの木の管に息を吹く音、笛や笙のようなものですね。ならば天籟とは何ですか?」「天籟はこの世界のあらゆるもの。万物が鳴るに任せて鳴らせている音さ。おのおのが、おのおのの、おもむくままに鳴り響く。はたして、この世にあふれる音はいったい誰がならせているのかね?」

ここまでいきます。
楽譜と追いかけっこしても到底手繰れない音です。山木篇で孔子が歌を歌っているのは、この斉物論篇のリメイクでして、弟子がもう少し荘子の教えを分かりやすく解説しているという構成なんです。

荘子本人は、さらに「無声の声」に触れるところまでいくんですが(笑)。

参照:Simon And Garfunkel - The sound Of Silence Lyrics
http://www.youtube.com/watch?v=BvsX03LOMhI

The Tao of Kung Fu #1 - "Fear is the only darkness."
http://www.youtube.com/watch?v=J5kBqrHphjo&feature=related

まずは、風の歌を聴け。

今日はこの辺で。


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