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人生朝露

人生朝露

太陽と月、男と女の錬金術。

荘子です。
荘子です。

参照:瞑想と煉丹、瞑想と練金。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/005147/

前回の続き。

C・G・ユング(1875~1961)。
≪分析心理学は、基本的には自然科学である。しかしそれは他のどのような科学よりも、観察者の個人的な先入観に影響される。従って、分析心理学はその判断において、少なくとも最も未熟な失敗をおかしたくないと欲するなら、できるかぎり歴史的及び文学的な類比しうるものに頼らねばならない。一九一八年から一九二六年にいたる間、私はグノーシスの著者たちについて真剣に研究した。というのは、彼らも無意識という根元の世界と対決し、その内容や心像を---それらは明らかに本能の世界と混交されていたが---取り扱っていたからである。彼らがいかにそれらの心像していたをのべることは困難である。それについての報告が少なく、しかもそれらは彼らと対抗していた教会の神父たちによるものが多いという事実のためである。彼らがそれらの心像について心理的な概念をもっていたとは、到底考えられない。しかし、私が対決しつつある問題に関して、グノーシスとの関係を確立するには、それはあまりにも遠い昔のことであると私には思われた。私のみるかぎりにおいては、グノーシスと現代を結ぶかも知れぬ伝統は断ち切られているように思われ、グノーシス---あるいはネオ・プラトニズム---と現代の世界との間に、何らかの橋を見いだすことは不可能であることが、長期間にわたって証明されているように思われた。しかし、私が錬金術を理解し始めると、それはグノーシスとの歴史的つながりを示し、従って過去と現代との連続性が存在していることが解った。中世の自然科学に基礎をもち、錬金術は過去のグノーシスから、未来の、無意識の近代科学へとかかる橋を形成しているのである。(みすず書房刊『ユング自伝』(「5 研究」より)≫

ユングが興味を持っていたグノーシス(認識)主義とは、紀元1世紀くらいから主に西アジアで発達したもので、「善悪二元論」や「霊肉二元論」といった特徴をもった神秘思想です。初期のキリスト教によって弾圧され、迫害をしたキリスト教徒の側の記録に、その存在が認められるというようなものでした。これは、ユングが1916年に自費出版した「死者への七つの語い」等でも触れているものです。

参照:Wikipedia グノーシス主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9

≪『黄金の花』という本を読んだ後に、やっと錬金術の性質の上に光がさし始めた。黄金の花というのは、一九二八年にリヒアルト・ヴィルヘルムが送ってくれた中国の錬金術の実例である。私は錬金術の原本をもっとくわしく知りたいという望みにかき立てられた。私はミュンヘンの本屋に、錬金術の本で手に入れることのできるものは、皆、知らせるようにと言った。ほどなく第一番目のもの、Artis Auriferave Volmina Duo(1593)(錬金術第二巻)を受けとった。それは内容豊富なラテン語の論文集で、その中には数多くの錬金術の「古典」も入っていた。
 二年近く、私はほとんど手を触れずにこの本を置いておいた。ときおり、さし絵をみたはその度に「ああばかげている。こんなものがわかるはずがない」と思ったものだった。ところがそれがしつこく好奇心をそそるので、私はもっと徹底的にしらべることに決めた。次の冬に読み始めて、すぐに迫力があって非常に読みやすいと思った。勿論その本は、私にはまだ見えすいたナンセンスに思えたが、しかし随所に意味ありげな文章があり、時には理解できると思われる文章を二、三見つけることさえあった。遂に私は錬金術師が、象徴--私にとっては以前からなじみの深い--を使っているのだということに思い到った。「なんと、素晴らしい。どうしてもこのすべてを解読するようにならねばならない」と私は思った。(同上 河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳)≫

ここで『黄金の華の秘密』について、ユングは「錬金術の実例」と言っています。『黄金の華の秘密』を発刊から十数年経過した1940年代に、『心理学と錬金術』『パラケルスス論』などの著作が発表されるようになります。特にパラケルススは「長寿論」のように、道教の煉丹術に近い思想を有しています。

参照:Wikipedia 錬金術
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AC%E9%87%91%E8%A1%93%E5%B8%AB

で、『黄金の華の秘密』からユングが錬金術に応用しただろうというものがあります。
『太乙金華宗旨』。
≪凡そ人は意を以て身を生ず。身は七尺なる身を為すに止まらざるなり。蓋し身中に魄あり。魄は識に附して用(はたら)き、識は魄によって生ず。魄は陰なり。識の体なり。識、断たざれば則ち、生生世世、魄はこれ形を変じ、質を易へて已むことなきなり。惟し、魂有り。神の蔵する所なり。魂は昼は目に寓(やど)り、夜は肝に舎(す)む。目に寓(やど)れば視、肝に舎(す)めば夢みる。夢とは神、遊ぶなり。九天九地も刹那に歴遍す。覚めて則ち冥冥たり、淵淵たるは、形に拘わるるなり。即ち魄に拘わるるなり。(以上『黄金の華の秘密』ヴィルヘルムの解説 湯浅泰雄・定方昭夫訳より)≫

・・・これを、リヒャルト・ヴィルヘルムは、こう解説しています。
≪(1)「魂」Hun これは「陽」の原理に属する者であるから、私はこれをアニムスと訳した。(2)「魄」Po これは、「陰」の原理に属し、アニマと訳される。この両者はもともと、死の過程についての観察からきた表象である。したがって、両者はもともとデモン、すなわち死者(鬼)を示す共通の字形を含んでいる。(中略)アニムスは両眼の中に住み、アニマは下腹部に住む。アニムスは明るくて活動的であり、アニマは暗くて大地に結びつけられている。「魂」、アニムスに対応する文字は「鬼」と「雲」を示す文字から構成されており、「魄」、アニマに対応する文字は「鬼」と「白」からつくられている。「魄」についてのこのような概念には、中国以外のどこか他の場所でも、例えば影のたましいとか肉体のたましいというような形で、類似したとらえ方が見出せると思われる。明らかに、似たような考え方が、中国的な見方のなかにふくまれているのである。(「同上」)≫

魂魄。
・・・「魂魄」を漢字のなりたちから説明できるドイツ人(笑)。率直に感心します。ユングの解説ではどちらかというと「アニマ」・「アニムス」というよりも、「エロス」と「ロゴス」の関係であろうとしながらも、『黄金の華の秘密』にある二元的な対置に興味をもっています。

この「魂魄」ということばは、『荘子』にも登場します。
Zhuangzi
『人生天地之間、若白駒之過郤、忽然而已。注然勃然、莫不出焉。油然漻然、莫不入焉。已化而生、又化而死、生物哀之、人類悲之。解其天弢、墮其天?、紛乎宛乎、魂魄將往、乃身從之、乃大歸乎。』(『荘子』知北遊 第二十二)
→天地の間で人が生きているというのは、扉の隙間から白馬が駆けるのを覗いてみるようなもので、ほんの一瞬のことだ。勢い良く吹き出たかと思うと、いつの間にやら引いてしまう。生き物はそれを悲しみ、人間もこれを哀れむが、生死というものは、自然のなりゆきで生まれ、そして死んでゆくだけのこと。死とは、袋から中身を取り出すように、天より授かった形を棄て去り、散り散りになりながら、魂魄が束縛から放たれ、身体もそれに従うものだ。それは大いなる無への回帰だ。

火の鳥 未来編 二つの魂。
「魂魄」の二字によって、二つであり一つであるところの「たましい」を指します。

参照:心理と物理の“対立する対”。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5094/

『太乙金華宗旨』。
『日月は原、是れ一物なり。其の日中の暗処はこれ真月の精なり。月窟は、月に在らずして日にあり。(中略)月中の白処、是れ真日の光なり。日光返りて月中に在り。所謂天根なり。然らずんば自ら、天を言えば足らん。一日一月、分ち開けば、是の半個に止まる。合し来たりて、方に一個の全体を成す。一夫一妻の如し。独居すれば室家を成さず。夫あり婦有りて、方に一家を算得して完全なり。』
→太陽と月(陽と陰)とは、元来、一つのものである。太陽の中にある影は真の月の精である。月の中の白は真の太陽の光である。太陽の光が返って月の中にこそ見いだせる。所謂天根という。こうでも言わなければ、天の一字で足りるだろう。太陽と月を別々に捉えても、それは半分の理解に止まるだろう。双方の関係があって初めて全体を把握できる。それはまるで、夫婦のようだ。別々の家に住んでもそれは一家とはいえない。夫と妻とが同じ家にいて、はじめて一家となるものだ。(上記『黄金の華の秘密』より)

Pakua。
ここに、太陽と月、男と女の関係が書かれています。

ヘルマフロディテ。 王と王妃の結婚。 
実は、グノーシス主義での「ヘルマフロディテ(Hermaphrodite)」や錬金術の著作の「王と王妃の結婚」のように、西洋でも「太陽と月」「男性原理と女性原理」の対置によって、道を示す場合があります。男女のお互いの心理的変容と、物質同士の化学反応ということでして、これがなぜか、中国の瞑想の書物にもあるわけです。

参照:エヴァンゲリオン瞬間、心、重ねてトレーニングシーン
http://www.youtube.com/watch?v=G_zQhfmlH38

エヴァンゲリオン ユニゾン
http://www.youtube.com/watch?v=P5FAUYC4DvI

偽トマス・アクィナス著『錬金術について』(1520)より。
・・・こういうのとか、キトラ古墳の玄武と何が違うの?とかという話になるわけです。

参照:荘子がいるらしき場所。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5071/

今日はこの辺で。


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