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テーマ:猫のいる生活(136503)
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こんなタイトルを書くと、いかにも右翼思想に傾倒してるのかと誤解されかねませんね(笑)
しかし「日出ずる国」の出どころは、飛鳥時代 隋に渡たった小野妹子が携えた聖徳太子が隋の皇帝に向けた国書で、「日出ずる国」と云う表現を使ってますね。 逆に「日沈む国」と云うのもあります。 高度成長期に日本が欧州から「日出づる国」と呼ばれたのに対して「Le pays du soleil couchant(日沈む国)」と呼ばれた国。 それは中国です。 この「倭」と云う名前は日本人自らが名乗ったのぢゃなくて、中国の後漢(25年~220年)の歴史を記した「後漢書」に初めて登場して以来、隋(581年~616年)の歴史を記した「隋書」に至るまでずっと「倭」でしたから、中国からそう呼ばれてたのが定着してしまった。 邪馬台国の女王にして、90歳前後まで生きてたとされる卑弥呼(ヒミコ)も、魏の王に貢ぎ物をもたせて使いを送り、「親魏倭王(しんぎわおう)」と刻まれた金印を授けられてて、自分たちも「倭」と自称してたことになります。 日本の国号が「倭」から「日本」になったのは、またしても中国が起源で、唐(618年~907年)、則天武后の時代のことです。 唐の歴史を記した「唐書(とうじょ)」の中で、初めて「倭」から「日本」に変わり、それ以降「日本」として定着していきます。 「唐書」には「旧唐書」と「新唐書」の2種類が有るのですが、「旧唐書」も「新唐書」も「日のあるところ」「日の出る地に近い」と云う表現で「日本」と呼んでます。 にも関わらず、「日本」と云う名の国号を教えたものは、明治以来の国定教科書に見当たらないのです。 1930年代(昭和5年~14年ころ)満州事変から太平洋戦争勃発までの昭和戦前期に天皇を中心とした国体が強調されたときも、国号の意味が正面に押し立てられたことはなかったのです。 古くは、「日本」と書いて「やまと」と読まれてましたが、後に漢字音で「ニッポン」や「ニホン」と読まれるようになったのですね。 1890年に執行された「大日本帝国憲法」も、現在の「日本国憲法」にも、国号を明確に規定した法令は存在してないのです。 しかし「パスポート(旅券)」 の表紙には「日本国」の表記と「十六一重表菊(菊花紋章)」のデザインが有りますね。 法令で日本を示す表記は統一されておらず「日本」「日本国」「本邦」「わが国」などが混在しています。 さて、「日本」をどのように発音するのでしょう? 普段は「ニホン」と発音してる人でも、スポーツの国際大会なんかで日本を応援するときは「ニッポン」と発してる場面が多いですね。 NHKの調査では「ニホン派」が61%、「ニッポン派」が37%くらいらしい。 それも若い人ほど、「ニホン派」が多くなる傾向があるようです。 NHKの「アナウンス読本」なんかでは、正式の国名(国号)として読む場合は「ニッポン」、そのほかの場合には「ニホン」と云って良いとしてます。 「ニホン」と「ニッポン」、どちらも間違いではありません。 1934年(昭和9年)に文部省臨時国語調査会が「ニッポン」にすると決議しましたが、法制化までには至らず今日を迎えているのです。 もうすぐデザインが変わる、福澤諭吉が印刷された1万円札には「Nippon Ginko(ニッポン銀行)」とあります。 「日本酒」は「ニホン酒」、「日本航空(JAL)」は「ニホン航空」なのに「日本放送」は「ニッポン放送」、サッカーなどのスポーツでは「日本代表」を「ニッポン代表」と云いますね。 東京の「日本橋」は「ニホン橋」ですが、これが大阪の「日本橋」は「ニッポン橋」。 大阪の「日本橋」が「ニッポン橋」なのは、古い平安時代の伝統を守った発音をしているからとか。 平安時代中期に「ニッポン」から「ニフォン」に変化したのが、それ以降さらに変化して「ニホン」になったからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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