カウントダウンファイヤー
さて、なにから書けばいいのやら…。僕が必勝パチスロ虎の巻で働きだしたのは今から6年と半年前。号で言うなら恐らく11月か12月号あたりだったかな。あの頃の主な仕事は「着メロ」のページ制作のアシスタントや、並び待ち。最初のページレイアウトは「大花火30」だった。池袋ファイトマンでの実戦で、ビタ押し班とアシストハズシ班に別れてデータを採取したっけな。勿論僕は、アシストハズシ班だった。同期入社の石原☆はビタ押し班。そん時「この男、すげー」と思ったんだよね。まだレイアウトの技術力もなくて、ライターに頼り切りでラフを構成してたっけ。だっていきなりページ描けって言われたんだもん(涙)。そうこうしてるうちに第1の山場を迎えたんだよね。忘れもしない「大江戸サクラ吹雪」。石原☆と組んで、ページを作成したのは多分これが初(違ったっけ?)。でも、右も左も分かんなくて、しかもドンちゃんの実戦が重なって、都合丸3日、会社とホールを往復して、レイアウトの「書き直し」の連続を喰らった。つまり、辞めようと思ったんだな。迎えた4日目に辛うじてOKサインを貰ったものの、次に待ち受けたのは「ディスクアップの出目」記事の作成。打ったことも、打ちにいく時間もなくて切羽詰まった感じだったけれど、もうどうでもいい…と描いたラフは一発OK。嬉しかったな。ま、それでも丸2日かかったけど(涙)。どっちのページも今見るとクソだってことは分かる。多分これ以上追いつめると僕が会社を早々に辞めると踏んだんだろうな(笑)。第1の山場をなんとか乗り越え、迎えた第2の山場、これはもうひどかった。だって完璧に引きこもったから。忘れもしないエキゾースト。小役カウンタを利用した設定変更を記事にするページなんだけど、当時は小役カウンタって何?と、正直その存在を知らなかったんだね(爆笑)。だもんで、ページなんて作れる訳もなく、仕事を放棄。ま、これについては他にも要因はあるけど、それは僕の胸にしまっておきます。放棄後、2日間くらい暗い部屋で布団をおおいかぶさって携帯をシャットダウン。でもま結局は復帰したんだな。丸め込まれた(?)が正解かもしんない…。この時、小滝橋のバーガーショップで話しをしたんだけど、ルーキー酒井の話術は凄まじいと思った。ま、そこから復帰した僕は、考え方が変わった。というよりか、ドラゴンヘッドの編集の仕事を改めて先輩の新人田原に色々教わった。今でもそーだけど、新人田原はすごい人だと思う。自分の持ってる仕事量は半端ないハズなのに、何も出来ない僕に手取り足取り方向性まで教えてくれたんだから。ただ、レイアウトの技術を学んだのはルーキー酒井でも、新人田原でもない。ギュウちゃんだった。この先輩の描くレイアウトのデザインセンスはスバ抜けてて、憧れた。取り次ぎや、管理、進行といった業務をたんたんとこなす「編集者」として素晴らしい現統括部長のシノパチ先生、デザインセンスがズバ抜けてるギュウちゃん、その両方を上手くやりくり出来ちゃう新人田原、こんな偉大な先輩方に甘えてた。だから、何もしなかった。気付いたら与えられたことだけをやって、ただ給料が少ないとか愚痴を言うようになってた。今思うと、恥ずかしい。ま、なんにせよ、先輩達には感謝してることにかわりはないんだけど。そして気付いたら、統括部長を残し、2人はいなくなったんだな。たしか、北斗が最後だった気がする。んで次号の吉宗あたりの特集本を作成する時には「もうこの雑誌は終わった」って思った。そりゃルーキー酒井はいるし、シンゴもいたし、豪もいて、上條もいたけど、不安だった。でも心のどっかで「終わり」を考えてたけど「なんとかしないと…」とも思ってたんだよね。この頃から僕の雑誌に対する考えがやっと変わった。自慢でもなんでもないけど、「僕がなんとかしないと」って。成長ってやつですな~(高笑)。会議では必ず発言するよう心がけて、自分なりの誌面構想を発案するようになった。それが僕のいる位置だと感じたから。少なからずそこから手を抜いた(汗)ことはないな…多分(笑)。でも、正直雑誌の売り上げはひどかった。創刊当初は20万部出てた雑誌も15、10、8と…月を追うごとに下降してくんだもん。悲しかったな。やれる事はやってるハズなんだけど、受け入れられてもらえない現実に涙が出るくらい。受け入れてもらえないなりの理由は分かってた。「同じ事」の繰り返しだったから。ま、それはもういいか。んでDVDの登場。企画発案から編集、校正、検証、キャスティングと全てに関わった。その影響で、半年前くらいから虎の巻のページ担当がなかった。つまりはDVDに全力を注げ!との計らいだったんだけれど、その効果も薄かったようだ。その分責任を感じる。切り札として投入した特典DVDが崩れたのは僕の責任だって。地上波/CS/BSじゃ出来ないような切り口で実戦企画をやらなきゃ意味がないと思ってたんだけど、ダメみたいだったね(残念)。DVDについては共同テレビの方、特に変態ディレクターには頭が上がらない。予算度外視で制作してもらったり、声優プロダクションを紹介してもらったりと、本当に感謝してるでよ。あー…参った。涙が出ちゃう、だって…女の子だもん!1ヶ月前最後にみんなが集まった会議で「僕はなんとも思ってない」って言ったけどそんな事はない。ごめん、ウソついてた。トビー、いつも寝ずにレイアウト組んでて、いつも最後まで校正して、いつも雑誌の事を考えて行動して、いつも足りない頭の僕にツッコミを入れてくれて、ありがとう。豪、家が近くて僕が倒れた時に深夜に関わらず病院へ連れてってくれた事、忘れません。そして誰よりも機種の事を知ろうとしてたその姿、忘れません。ありがと。上條、みんなと最後まで居られなかったけど、違った観点でパチスロを指摘できたそのセンス忘れません。ありがと。シンゴ、付き合いが1番長いね。沖縄にも連れてってくれたね。いつも元気よくて、笑ってばっかの印象が強いけど、それは正義感がひと一倍強くて、誰よりも優しい心を持ってることの裏返しだってことはよく知ってます。心を少しでも開けたこと、感謝してます。ありがと。ルーキー酒井、ギュウちゃん、新人田原、ライター、デザイナー、イラストレーター、出版社、メーカー、共同テレビ、try-1、バオバブ、印刷会社 全てにありがとう。(※あ、敬称略で)とかね。まぁ上の文章は全部ウソだけどね。あ、4月28日、6月号を持って、必勝パチスロ虎の巻は休刊いたします。「色々言いたいけど」ともどかしい感じだったのは流通の事情で、本日まで公にすることが出来なかったからです。この場をお借りして、謝らせて頂きます。ごめりんこー。そしてここを読んで頂いていた読者の皆様、虎の巻を読んで頂いていた読者の皆様、本当にありがとうございました。長かったけれど、そろそろ締めです。個人的には、これからもこの業界での仕事は続くんで、きっとどこかで「エビカツ」という名前を目にする機会があると思います。その時はどうぞ思い出してやってください。アナタのイメージで僕は生きてますから僕もアナタをイメージします…忘れたらぶっ殺す!(笑)ささ、さささささこれからもブログを続けようか…あ、「秋田は飽きた」の回の返答は「OK」です。もし忘れてなければ送信を。それではお疲れちゃん。See You!!