ぽっぽの故郷 ・・2年ぶりに諏訪湖も凍った
30日に諏訪湖が結氷し・・・【 御神渡り 】が2年ぶりにせり上がったらしい 拝観式は2月2日: 諏訪市小和田【八剣神社】宮坂宮司が古来より拝観式を司るぽっぽにとっては自分事なのだ(宮坂宮司とは3軒隣り)うまれてからずっと諏訪湖で育ったものごころ付いたら御柱を曳き・・御神渡りを見て育った今は此処 駿河湾から富士山を見て暮らす・・どちらも愛着があるhttp://plaza.rakuten.co.jp/poppoyanomusume/diary/200707100000/ 温故知新 【 愛着 】 July 10, 2007 http://www.suwako-onsen.com/ 500年以上続いている神秘の【 御神渡り 】拝観式について 1万数千年前に諏訪湖が誕生して以来、くりかえし目撃されてきたであろう神秘の自然現象"御神渡り"。文字の無いころのことは知るよしもありませんが、平安時代の和歌には御神渡りのことがうたわれています。御神渡りの最古の公式記録には、約600年前の室町時代の応永4年(1397年)に諏訪神社の神官が幕府へ報告した文書の控え(御渡注進状扣)があります。連続した記録は、嘉吉3年(1443年)から天和元年(1681年)間の『当社神幸記(とうしゃしんこうき)』と天和2年(1682年)から明治4年(1871年)までの『御渡帳(みわたりちょう)』があります。429年間にわたって残されてきた気象記録は、世界でも大変珍しいものです。(「当社神幸記」・「御渡帳」は当館の常設展示室2にて公開中)。若干の中断はあったものの現在(2005年)まで数えると約560年間も記録され続けていることになります。 ◆御神渡り(おみわたり)が確認されました NEW 本日(1月30日)、「八剱神社」により御神渡り(おみわたり)が確認されました。拝観式は2月2日(土)■「御神渡り」関連のニュース ・長野日報 1月31日・NHKニュース信州 1月30日・NBSニュース 1月30日(動画)■「御神渡り」について学べるウェブサイト・諏訪市博物館「諏訪湖の御神渡り」 諏訪市無形民俗文化財 「御渡り神事(みわたりしんじ)」 『御神渡を検分する御渡りの拝観は八劔(やつるぎ)神社の特殊神事で、一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観して下座(くだりまし)と上座(のぼりまし)の湖岸地点の検分を行なう。天和3年(1683)以降の御渡帳は旧高島村役人が務め、4名の拝観人が南の拝み手(おがみて)・北の拝み手の2組に分かれて検分し、この記録を村役人連署の書式で、上社の外記太夫茅野氏に提出している。明治4年(1871)に中断したが、明治26年(1893)に旧儀復活して現在に至っている。八劔神社の拝観神事の概要は、諏訪湖に御神渡りができると日取りを決め、宮司・氏子総代・古役など70名が自宅の門戸に注連縄(しめなわ)を張り、精進潔斎(しょうじんけっさい)に入る。拝観日の早朝、門戸の注連縄を自分の体にかけて神社でお祓(はらい)を受け、2組に分かれて御神渡りに沿い湖の氷上を横断し、北岸の上座地点を検分してお祓を行なう。佐久之御渡りの下座地点と方向を確認して終了、各自の注連縄を湖岸の草木の枝にかけて帰り、神前にて奉告祭を行なう。引続き、本年の作柄・世の中の吉凶・気候雨量等の年占を行なう。後日に古式により御渡注進状を諏訪大社上社神前に捧げ、注進式を行なう。大社では宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例としている。』(諏訪市教育委員会刊行『改訂 諏訪市の文化財』より抜粋・改変)過去30年間の御渡り拝観式一覧表年御渡り拝観式(実施日)11979(昭和54)なし21980(昭和55)1月30日31981(昭和56)1月24日41982(昭和57)2月14日51983(昭和58)2月5日61984(昭和59)1月29日71985(昭和60)2月3日81986(昭和61)2月2日91987(昭和62)なし101988(昭和63)なし111989(平成元)なし121990(平成 2)なし131991(平成 3)2月3日141992(平成 4)なし151993(平成 5)なし161994(平成 6)なし171995(平成 7)なし181996(平成 8)なし191997(平成 9)なし201998(平成10)1月31日211999(平成11)なし222000(平成12)なし232001(平成13)なし242002(平成14)なし252003(平成15)1月19日262004(平成16)1月31日272005(平成17)なし282006(平成18)1月13日292007(平成19)なし302008(平成20)2月2日(2008年 諏訪市博物館作成)なし = 明きの海(あきのうみ) = 総じて不作の年( 拝観式が遅い年も総じて不作の年と言われています )※拝観式が行われなかった年は 「御神渡り」が出現しなかったことになります。 隠蔽されていた不祥事も 神の前 に 審判が下る年 に なります