|
テーマ:~広島東洋CARP~(4355)
カテゴリ:今日のカープ
今日もカープは,決して我々カープファンの期待を裏切らなかった。
お約束のような小松の決壊。決して線となってつながらない主軸打者。そして次から次へと切り出されるリリーバーのドミノ的崩壊。そして連続して積み上がった7つめの黒星。 すべてが想定の範囲内であり,そこから一歩も出ることもなければ,期待を裏切ることもしなかった。ただ試合の興味を少しでも盛り上げるために先制点を取り,試合の大勢が決してから4番打者がアリバイづくりのようにタイムリーヒットを打つところなど,芸が細かくてよい。 もう今日は,これだけでいいだろう。それ以上表現のしようがない。そもそもカープの選手のプレイが私の折れた心にちっとも響いてこないのだ。 昨日私は,あと一歩で届きそうな試合を落とし続けることこそ大連敗の予兆だと書いたが,まさに今日の試合などそれを裏付けてくれている。今日の試合内容を見て,カープがこれから反転攻勢に出るとか,いや少なくとも次の試合には勝てそうだという期待を持てる人は,よほどおめでたい主流派カープファン以外にはいないかもしれない。 どうせまた今日から明日にかけて,大マツダ報道報国会はやれ辛抱だの忍耐だの言う言葉があふれるのだろうが,もうその言葉は聞き飽きた。昨日も書いたとおり,我々カープファンはその言葉に19年も抑圧され続けてきているのだ。もはやそんな陳腐な言葉に騙されはしない。 もはや,カープは明日をも見えない暗黒の闇の中に一人ぽつんととどまっているのである。それを有り体に言うならば,やはりこの言葉で表さざるを得ない。今日も書く。 「カープは死んだ。」 確か先日戦意高揚のためにBGMにショスタコーヴィチの交響曲第5番,通称「革命」をチョイスしたと書いたことがあるが,もはや今のカープにはそれは似つかわしくない。本日チョイスしたのは,もうそのものずばり,モーツァルトの「レクイエム ニ短調 K.626」である(ブルーノ・ワルター指揮,ニューヨークフィル,1956年録音)。まさに,今のカープファンの境地に,ワルターの滋味あふれる音がしみじみと,かつぐさりと突き刺さってくる。 かの日こそ涙の日なり。罪あるもの裁きをうけんため灰よりよみがえれり。 されば神よ,彼を惜しみたまえ。あわれみ深き主イエズスよ。 彼らに安息を与えたまえ。アーメン。 ("Lacrimosa") もはや戦えと言う気も失せた。 BlogPeople ↑ポチッと,クリックしていただけると励みになります。よろしくお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[今日のカープ] カテゴリの最新記事
|