高村光太郎について
バイト先にて暇なときに高村光太郎作品(彫刻)を 眺めるそれについて彼の作品にはなにより品があるそして こんな感じを抱かせる彼の彫る木製の四面体の中には彼の彫ろうとしている物体が実物のまま埋まっているのだたとえば、ざくろという作品彫ろうとしている木の塊の中には、本物のざくろが埋まっている!彼はそれを、ただ一彫り一彫り、無駄な部分を削って表していくだけでよいしかし、すべての無駄な部分をそぎ落としてしまったのなら、それはもはや彫刻ではなく本物のざくろになってしまうだから彼は、ざくろという彫刻たらしめるために実物に限りなく近い状態の絶妙な‘無駄’な部分だけ残して作品としているそれが、ざくろという彫刻ほんと、彼はてんさいだ光雲もいいけど、あたしは光太郎のたたずまいのが好みです光雲は動で光太郎は静でも、光雲の毛並みの流れるようななめらかな表現は絶品だし、その水のような空気のような、世界を形作っている元素のような無駄の無い無垢な生まれたての感じ(ここんとこ、むらかみはるきの表現力がほしい)まさしく子の光太郎に受け継がれています表し方が違うだけだと私は考えている。ほーんと、こんなに触ってみたいと思った作品は久しぶりかも。もちろん、仕事だからダメなんだけどねー