追憶の旅 1
追 憶 の 旅 日本に戻って、しばらくトーマス氏とEメールのやり取りが続いていた。そしてその間にも私は、あの第十二回国際加齢・知的障害クオリティオブライフ円卓会議のうちの三春散策の受け入れのため、三春町長や町の国際交流協会にお願いして準備をはじめていた。私は三春散策のことしか頭になく、この会議の本体のことについては深く考えていなかった。高橋氏が三春散策のことしか触れなかったこともあった。そして気がついたら、私は全体的な受け入れの委員の一人に組み込まれていたのである。その上ある日の会合で高橋氏より、「この第十二回国際加齢・知的障害クオリティオブライフ円卓会議に、三笠宮寛仁親王殿下のご講演を頂戴することになった」との報告を受けたのである。「こんな大きなことは出来ないよ」 私は高橋氏にそう文句を言った。完全にビビっていたのである。しかしにこにこ笑って言う高橋氏に、私はうまく乗せられてしまったようである。 ──こんなに目の眩むような大事(おおごと)に、私のような者がお役に立てるのであろうか? これは私の正直な偽らざる気持ちであった。しかしそんな私の気持ちとは無関係に、受け入れ準備が進行していった。 そうこうしているうち,トーマス氏から「バカンスがとれるので、三春を訪問したい」というEメールが送られてきた。 私はハワイに行ったとき、彼とジョージ氏から、いわき市にあるという富造の父・加藤木直親の墓を探すよう依頼されていた。しかし彼もジョージ氏も、その墓がいわき市にあるとしか聞いていなかったという。そのために多くの寺のあるいわき市でそれを探し出す手段を、私は見失っていた。そこで私は、旧・加藤木家のあった土地の現在の所有者を調べて尋ねてみた。土地売買の時点で、墓地に対する何らかの情報が伝えられているのではないか、と考えたからである。所有者である不破さんは、すでにご高齢のご婦人であった。彼女は私の質問に対し、「子どものときに誰かに連れられて、平市(今のいわき市)にお墓参りに行った記憶がある。しかしたった一度だったから、その寺の名は憶えていない」ということであった。やはり駄目かなと思いながら雑談をしていると、「ああそうそう。磐城女学校の隣にあった気がする」と思い出してくれた。 ──しめた! 場所さえ特定できればどうにかなる。まさかお寺だ、引っ越しはすまい。 私はその足で、いわき市にお寺を探しに出掛けた。現在の磐城桜が丘高校の隣に見つけ出したその寺は、長源寺と言った。旧・平藩主の菩提寺でもある、由緒ある寺であった。住職の栗山周栢氏のご案内で、加藤木直親夫妻と長男・周太郎夫妻の墓を容易に見つけだすことが出来た。私はこれで、トーマス氏の来日に際して希望を一つ叶えて上げられる準備が出来た、と喜んだ。 そしてハワイから戻って半年後のある日、私はトーマス氏を迎えるために高橋氏と成田空港に行った。最初の日は時差で疲れているだろうと推測し、早めにホテルに送り込んだ。今回は高校の英語教師である姪やその友達を通訳に頼み、準備をして待っていた。 翌日、まず三春へ案内した。三春では町長のご好意で彼と会ってもらうことができた。福島民報新聞に、町長と会見した様子が小さな記事となって掲載された。 富造の生家跡に案内した。庭の木が何本か残っていたが、今は更地となっていて建物は残されていない。道路に近い所に、「加藤木直親邸跡」という小さな黒御影石の碑が建てられていた。 今も富造の生家跡の隣に住んでいる佐久間悠氏(佐久間資料館長の父君)と思い出話をして頂いた。 富造の父の加藤木直親が仕えていた三春舞鶴城の跡。 「加藤木直親先生」という顕彰の記念碑。(三春大神宮境内) 直親の妻・ミネの生家跡。いま所有者は変わっているが、当時の建物が一棟、崩れかけたまま残されていた。ミネの実家の跡で。左 トーマス・カツヌマ。 右 元三春歴史民俗資料館長・松本登氏。 ミネの実家・遠藤家の墓所のある福聚寺に行き、香華を手向けた。 長兄・周太郎が勤めた三春第九十三国立銀行の跡。 (今の三春町商工会) 次兄・重教の開設した三春英学校の跡。 (三春藩主の菩提寺である高乾院) 重教の歌碑。 (北野神社境内) 富造の通った藩校・明徳堂、三春小学校、そして三春師範学校と名を変えた学校の跡と、彼もくぐった筈の明徳門。 富造が仙台の宮城英語学校、その後進学した東京駒場農学校を中退して就職した三盛社製糸工場の跡。 (今の三春中学校) 富造が東京駒場農学校に再入学して獣医学を学んだ後、校長となった道渡小学校の跡。 (今の郡山市田村町下道渡の満蔵寺を校舎として使用した) その後富造が英語の教師となって赴任した田村中学の跡。 自由民権運動記念館、そして富造が三春に住んでいたために知ることになったであろう自由民権運動とその関連史跡。河野広中については、富造の随筆集『甘蔗のしぼり滓』の中にも一文述べられている。 富造の記憶の中に強く残っていたという三春滝桜。 福島市の藤安鍛刀場。ここでは新刀鍛刀の現場を見学し、刀の手入れの仕方を教わった。 藤安鍛刀場にて ブログランキングに参加しました。是非応援して下さい。←これです。