お家再興のこと 3
その田村家最後の主であった丹波定顕様が病床に就かれたとき、ご自分が死の床にあることをはっきりと自覚しておられました。 ──自分に子供がないということを自然に受け入れてきたが、この自分の死後、田村家再興を誰に委ねればいいのか・・・。 このことを考える丹波定顕様は、言いしれぬ不安と恐怖に追い込まれていたのでございます。 ──しかし姉上様、私は死んでも、お側近くに行ってお力添えをいたします。必ずやお孫様のお一人を田村家に・・・。 定顕様は病床で呻吟しながら、政宗様からの桎梏から抜け出せなかった長い日々を思い返しておられました。 ──あの政宗様といえども、結局は豊臣、徳川のくびき軛から脱することができなかった。それに私も、もしもあのとき石田三成様にお縋りした結果として豊臣の臣となり、田村家を存続させられたとして果たして今の徳川の世に生き永らえることができたであろうか。 それはまたご自分を見直すことでもございました。それらを考えていて、ある意味、政宗様もまた同じく身動きのとれない立場におられたことに気がつかれたのでございます。 ──自分にとって、一生という時間は何もしないうちに飛んで行ってしまったように思われます。結局私は姉上様や田村家のために生きた筈であったのに、今に至るもその成果が見えず、ただ虚しい思いでございます。されど姉上様、姉上様は生きて田村家再興の夢を叶えてくださいませ。もはやそれができるのは、姉上様のみでございます。どうぞ姉上様、私の分も生きて田村家を再興してくださいませ。私はいつまでも姉上様を見守ります。私の身体は死んですがたがたち姿形がなくなっても、魂は生きております。何か困ったときには、障子を開いてみてくださいませ。そこに姉上様は風に遊ぶ桜の花びらを見たり、はたまた鳥のさえずりを聞くことができるでしょう。私は姉上様のお側近くで、そのようにしてお仕えをして参ります。 正保五(一六四八)年、丹波定顕様は宗良様に田村家再興のかすかな望みを託されながら、ついに亡くなられたのでございます。清顕様のご遺言を守れなかったことに強い絶望を感じておられながらも、慕っておられた方のために生きたということで、十分に生き甲斐を感じられるご生涯でございました。 いずれにしても牛縊丹波定顕様となられた孫七郎様は、ここ福聚寺ではなく、愛宕山(宮城県白石市勝坂高岡)に埋葬されたのでございます。しかしそこにご法名はなく、 征夷大将軍坂上田村麿三十一代・ 三春城主田村孫七郎坂上宗顕之墓・ 復改牛縊丹波正保五年五月十五日卒去とあるのみでございます。愛姫様は孫七郎様の質素な墓碑の建立に際し、『征夷大将軍坂上田村麿三十一代』と並べて『三春城主田村孫七郎坂上宗顕之墓』とされたのは、ご実家の田村家が坂上田村麻呂公のえい裔であることを誇示しながら宗顕という文字で伊達家にも敬意を払い、さらには『牛縊丹波』という名で孫七郎様のご意志を表現なされたのでございましょう。つまり愛姫様は、ご両家に対する思いを、このような形で表したのでございます。 承応元(一六五二)年の十二月、仙台青葉城の庭の桜は雪に覆われ、風に騒いでおりました。 ──孫さん・・・ 心の中で今は亡き孫七郎様にそう声を掛けられると、愛姫様はそっと庭への戸を開けられました。「孫さん、私のそばに来てくれていたの? ようやく孫の宗良が岩沼に田村の氏で立藩することになりましたよ。長かったですね」 愛姫様のご長男である仙台藩主伊達陸奥守忠宗様は、ご自分の三男の伊達宗良様に三万石を与えられて岩沼藩(宮城県岩沼市)を立藩させ、のち一関に国替えをなされました。一関藩三万石(岩手県一関市)がこれでございます。宗良様は従五位下・田村隠岐守宗良様となられ、一関に田村家を立派に再興なされたのでございます。 そして隠岐守宗良様立藩の翌年の承応二(一六五三)年一月二十四日、愛姫様はこの田村家の再興を見届けるかのようにして、奇しくも政宗様の命日に亡くなられ、松島瑞巌寺の寶華院に葬られたのでございます。そのご法名は、『陽徳院殿栄庵寿昌尼大姉』でございました。それにしても、『坂上田村麻呂公より続く田村家の再興を!』という愛姫様と孫七郎様の悲願は、このような形で叶えられることになったのでございます。その春、桜雨に急かされるようにして、私は見事な花を咲かせました。 臨済宗長谷山大慈寺。この寺は田村家が岩沼に再興されたとき、その菩提寺として建立されたものでございます。宗良様が一関に移封されたとき、この寺も一緒に移され、宗良様の母上のお房の方の戒名祥雲寺殿より大慈山祥雲寺と改められたものでございます。 ちなみにこの寺の境内には、見事な紅枝垂れの桜がございます。いつのときにか私のみしょう実生を移して植えられたものだそうでございますから、申してみれば私・愛姫桜の娘でございます。その娘もまた、一関田村家を見守っているのでございます。 あれから世の中には、ずいぶんといろいろなことがございました。しかし今では老樹となった私も、春にはここ福聚寺の境内でひっそりと紅枝垂れの桜の花を咲かせているのでございます。 どうぞ折がございましたら福衆寺のこの愛姫桜に、昔話でも聞きにお立ち寄りくださいませ。 (終) ブログランキングです。←ここにクリックをお願いします。4月14日の順位は、221人中48位でした。お陰様で、念願の50位以内に入りました。なお本日も219人中49位と高水準を維持しています。ありがとうございました。