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昨日、東日本大震災の報道写真集を買いました。 災害の報道写真集は、割と買います。 阪神淡路大震災、新潟三条・見附水害、新潟中越地震、新潟中越沖地震・・・ 映像の一部を切り取る写真は、映像だったら見過ごしてしまいそうなものを 時に、はっきりと見せてくれるので、店頭で4紙を選んで買いました。 最近、仕事疲れが激しく、ネットを見ないことが多かったのですが、 久しぶりに入った昨日、こんな記事を見つけました。
リンク再開めど立たず 羽生選手「勇気届ける」
東日本大震災は、東北のスポーツ施設に被害を与えた。仙台市泉区の「アイスリンク仙台」もその一つ。フィギュアスケートのトリノ冬季五輪女王、荒川静香や男子の本田武史らかつての名選手や、男子期待の羽生結弦選手(16)=宮城・東北高=が育ったスケート場は、リンクの入る建物が損壊し、営業再開のめどが立っていない。 3月11日、羽生選手は練習中だった。壁がずれる大きな音は今も耳に残り、恐怖の記憶は「何回も夢に出てきた」という。仙台市内の自宅も被害に遭い、小学校の体育館で4日間の避難生活を送った。 震災後はスポーツをしていていいのか悩んだ。そんな時、東北高の野球部が甲子園で奮闘する映像を目にして「自分も精いっぱいスケートをやって、被災者に勇気を届けたい」と思った。横浜市内のスケート場を仮の拠点とし、アイスショーで全国各地を転々とする。出演前後のわずかな時間で練習する日々だ。 羽生選手を教える阿部奈々美コーチは、夫の運転するマイクロバスで片道6時間をかけ、新潟県上越市のリンクにほかの生徒を連れて行く。震災後は数人が競技から離れ、教え子は30人を切った。「支援する親の気持ちがスケートから離れてしまうのが一番心配」と阿部コーチ。羽生選手は「男は僕1人になっちゃった」と声を落とした。 来季に向けて滑り込みが必要な時期で、羽生選手は不安とも戦う。復旧が進む中、先日様子を見に行ったホームリンクは電気が消えて「あそこだけ震災時のままだった」。離れ離れになった仲間を思い「いつかまた、みんなと一緒に仙台のリンクで滑りたい」と願う。 [ 共同通信 2011年5月23日 16:37 ] http://sportsnavi.yahoo.co.jp/winter/skate/figure/headlines/20110523-00000045-kyodo_sp-spo.html
テレビ報道は、原発と、震災復興に向けて東北地方を応援する番組が増えてきています。 ・・・まあ、最近は忙しくてそんなにテレビも見ていないのだけど。 でも、この記事を読んだときは正直、ショックでした。 リンクが復旧していないこと、スケートから離れていく子と保護者、 そして何よりも、ホームリンクで滑れない結弦くんの不安・・・ どこでも滑られるならいい、と言うわけでないと思うのです。 震災直後は、それでも良かったかもしれませんが・・・ 自分の生活根拠地で安心して活動できるのが、 スポーツ選手にとっては、すごく大切なことだと思うのです。 いえ、スポーツ選手に限らず、仕事をしている人でも、 家族や自分の安らげる場所があるから仕事にがんばれると思うのです。
だから、早く、仙台のリンクが復旧することを願います! そして、早く、結弦くんが仲間のみんなとリンクで滑られるように! と、心から願います!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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