―――数時間後
「母上のことは残念じゃったが、なかなかに興味深いことになっておってな」
卓上に並べられた苔鹿肉の赤葡萄酒煮込みを三叉フォークで突きながらミュークが話を切り出す。
「……興味深いことですか?」
げっそりとした力ない声がそれに応じる。
あの後、ルムファムの馬鹿力で湯船に引きずり込まれた挙句、手薬煉ひいて待ち受けていたミュークに、身体の隅々まで念入りに手洗いされてしまったレムリアである。
肉感的な年上の女性と見目麗しい少女と裸のお付き合い。 傍目には羨ましくも見える出来事だが、両者とも性格に難があるので玩ばれた感が拭えず、少年の目の下には黒ずんだクマが形成されていた。
そんなレムリアの様子にも、ミュークは気にした素振りを見せず、
「うむ、ワチキに“アルジャベータの聖女”を拐して欲しいそうじゃ」
「……」
聞き捨てならないことを、ミュークは他愛無い日常会話のようにサラリと言ってのける。
「え、え~と……、嫌な予感しかしないのですが、“聖女の誘拐”という部分はボクの聞き間違いですよね?」
暫し、絶句していたレムリアが恐る恐る尋ね返した。
「レム、お主の耳は確かじゃ。 安心するがよい♪」
呑気に笑っているミュークと比べて、レムリアは事態をなかなか嚥下出来ずにいる。
「も、勿論、その話はお断りなさいましたよね?」
自然と見つめあう形になるミュークとレムリア。 暫しの沈黙の後、ミュークは不自然に視線を逸らすと、
「レムはまた料理の腕を上げたようじゃ」
レムリアのお手製シチューを口に運び、話題まで逸らそうとした。
「そ、そうですか」
そんなあからさまな逃げ口上にも、馬鹿正直なレムリアは満更でもなさそうだ。
「美味」
ルムファムからも同意の声があがる。 此方に他意はない。
それを聞いたレムリアは大きく胸を反らすと、
「何を隠そうこの苔鹿肉の蕃茄煮込みは、最近レパートリーに加えたボクの自信作なんです♪」
「そうじゃろう、そうじゃろう♪」
ミュークがにやにやと人の悪い笑みを浮かべる。 純朴すぎる屍族の少年をからかって楽しんでいるようだ。
得意分野を褒められて有頂天になっているレムリアはそうとは知らず舌を滑らかにする。
「一晩、赤葡萄酒漬けにした鹿肉を野菜と別々に炒め、それらを蕃茄や香味野菜と一緒にじっくり大鍋で煮込みました。 最後に隠し味の蜂蜜を入れてもうひと煮たちさせれば完成です。 蕃茄の軽い酸味と蜂蜜の濃厚な甘みが絶妙のハーモニーを―――」
熱弁が不意に途切れる。 どうやら、口車に乗せられたことに漸く気がついたようだ。 レムリアから非難がましい視線を向けられたミュークは、慌てて表情を引き締めるが時既に遅かった。
「ボクをからかって楽しいですか?」
レムリアは不機嫌そうに呟く。
「ん、いや……そ、そんなことあるわけないぞよ。 ほれっ、ルムもそうじゃろう?」
ミュークは横で黙々と食事を続けるルムファムに助け舟を乞う。 だが、少女は丁度、熱々のシチューを豪快にらっぱ飲みしている最中で、それどころではなかったようだ。 この娘の胃袋は鋼鉄か何かで造られた特注品であるに違いない。 ミュークは心の中でそう思った。
「もういいです。 それで、やっぱり手遅れなんですか?」
レムリアはほとんど自棄糞に話を戻すと、溜息混じりにミュークを伺う。 問題の発起人はにやりと笑うと、
「ワチキがこんな面白そうな余興を見過ごすわけもなかろう♪」
「でしょうね……」
該博深遠な知識を誇るミュークであるが、進んで厄介事を招き入れる傾向があった。 しかも、不公平なことに、ミュークの思いつきで酷い目に遭うのは常にレムリアの役回りで、本人にとってこれは受け入れ難い現実であった。
少年は何かを諦めたように大きく息を吐いた。
「アルジャベータの聖女はアダマストル公国の第一王女でもある筈です。 そんな密謀(たくらみ)が公になれば異端者の烙印を捺されるどころか、依頼人共々、国家反逆罪に問われ極刑は免れないでしょう。 言葉は悪いですが、屍族であるミュークさまを信用して打ち明けられる話とは到底思えません」
ミュークもレムリアの云いたいことは十二分に心得ていた。 彼らが同族である人間以上に屍族を信頼しているわけもない。 だが、それを差し引いても屍族に頼らざる得ない何かがあるのだろう。 そこに裏がないと考えるほうに無理がある。
―――問題はその理由だ。
ミュークは鬱陶しそうに前髪をかき上げると、提議された疑問を咀嚼する。
邪推すれば、依頼主が趨勢に応じて随意に関係者を始末したいと考えている場合だろう。 直接手を下さずとも教会や国、屍族を異端視する機関はいくらでも存在する。 容易に罪を着せることも可能であるし、なにより教敵である屍族の言葉に耳を傾ける人間は少なく、密事が外部に漏れる危険性も低いだろう。
「(いや、使い捨ての駒を探すなら、もっと適当な存在がおるか……)」
落ちぶれたとはいえ、二十二家に連なるウィズイッドの屍族に接触を図る危険を冒したのだ。 他にもそれ相応の目論見がある筈だ。
ミュークはそこで思考を断つと、
「レム、お主は依頼主の真意を何処にあると考える?」
根拠など幾らでも擁立出来るが、決定的な証左に欠けている為に合理的とはいえない。 ミュークは少年の純粋な意見も参考としたいようだ。
「真意ですか……。 う~ん……そういえば、依頼主はなぜアルジャベータの聖女の身柄を必要としているのですか?」
レムリアは少し迷いながらそう尋ね返す。
「聖女を拐かした後、追って連絡をよこすと言っておったが、どうするかまでは聞き出せなんだ。 少なくとも殺すつもりはないらしい。 “ある事実”に関して確証を得ることが目的だと言っておった」
「それを鵜呑みにしても大丈夫なのでしょうか?」
レムリアの疑問はもっともだ。 アルジャベータの聖女はメナディエル正教の教徒にとって信仰の対象でもある。 その存在以上に重要なものなど容易に想像できるものではない。 加えて地位や身分も保障された商王が絡んでいる時点で、身代金目的の線は消えるだろう。 そうなると、聖公会と対立する宗派絡みの謀略といった可能性が高いとミュークは推測する。
「その件に関しては、ある程度は信用しても良いな。 なにせワチキが提示した“条件”が受け入れられたぐらいじゃからの」
ミュークはそう言ってから「しまった」という顔をする。 案の定、レムリアもその条件とやらに興味を抱いたようで、
「条件ですか?」
と、聞き返してくる。
「それは……まぁ、アレじゃ。 うん、たいした内容ではない。 気にするなや」
珍しく、ミュークがしどろもどろに言葉を濁す。
彼らの計画が野望や大望、果ては大儀と称される部類の殉ずるべきものであっても、理由を明かせぬ謀に一枚噛むほどミュークは愚かではない。 しかし、その代価が金銭に換えられぬほど魅力的なものであればやはり食指は動く。 そして、そのような報酬を、ミュークは依頼を引き受ける条件として要求していたのだった。
「(流石に怒るじゃろうな……)」
報酬内容を知れば、レムリアが鶏冠を逆立てて反対する姿が容易に想像できる。 ミューク自身、仮面の男の動揺を誘うつもりで敢えて無謀な要求を口にしたのだが、ひょんなことから、彼らの目的が聖女本人ではないことに気づかされる羽目になったのだ。
「う、う~ん……」
全てを語らぬミュークにレムリアは未だ半信半疑であるようだ。
「どちらにしても、ここで商王と称される人物に貸しをつくっておくのも悪くない」
相手は商人ギルドの長のひとりである。 彼らが持つ磐石且つ幅広い情報網は、首人となった母を探し出す大きな手助けとなるに違いない。 それに依頼を請ければ、此度の取引の核心に必然と近づくことにもなるだろう。 巧く立ち回れば相手の弱みを握ることすら出来るかもしれない。
ミュークの言わんとすることも理解出来るらしく、レムリアから反論の声はない。
「さて、お主たちも大まかに事態は飲み込めたじゃろう。 レムも早々に覚悟を決めるのじゃ」
「な、なぜ、ボクだけ?」
ひとり名指しされたレムリアが恐る恐る尋ね返す。
そんなレムリアを面白がるようにミュークは自信あり気に大きな胸を張り、
「なんとなくじゃ」
なにか不吉な予感を感じ、ぞくりと身震いするレムリアであった。
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