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1-02【聖船】上


初稿:2009.08.02
編集:2022.11.22
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※月ノ章の本編です

1-02【聖船】




「これが聖女シャルロットに関する資料になります」

 レムリアは満面の笑みでに数枚の羊皮紙を差し出す。 ここ数日における情報収集の成果である。 ミューク当人がレムリアの才覚を認めていたこともあるが、子供相手なら人族の警戒心も薄れるだろうと、聖女の動向を探らせていたのだ。 籠姫として半ば離宮に隔離されている聖女が、双影節の砌に執り行われるアルジャベータ聖誕祭を主催する為、数日の内に教皇庁へ出立することは公にされている。 聖女の誘拐などといった大胆不敵な計画を実行するなら、国を離れる今を置いて他にない。

「ふむ、教会船アメナディル号か……。 確かに、胡散くさい動きじゃな」

 ミュークは羊皮紙の束に一通り目を通すと、内の一枚、リザロス湾に入出航する船舶情報に注目する。

「はい、西大陸最大の港を有するナイトクランに、教会船が訪れることは珍しくもありません。 ですが、王室専用港に入港する船舶となると話は別です。 船員の動きにも幾つか不審な点が見られますし、聖女シャルロットはこの船で教皇庁に向うと考えて間違いないと思われます」

 レムリアは矢継ぎ早に論証を並べ立てる。 ミュークに向けられた表情は自信に満ち溢れていた。

「ふむ」

 しかし、当のミュークは怪訝に眉根を寄せて、再度資料に目を落とす。
 アルジャベータ聖誕祭の斎行に伴い、アダマストルの第一王女でもある聖女が警備の厳重な同公国を離れるこの時節。 現今が聖女を拐かす絶好の好機であるのは、疑いようも無い。 なにより籠姫として、一部の王族・高位聖職者を除けば、全く人目に晒されずに育てられた人物である。 伝え聞く僅かな外見だけを頼りに聖女を特定するには、異分子との接触が増える外遊時の限定的な状況は好都合であった。
 差し当っての問題は、聖女の一行が教皇庁へと向う道程に陸路と海路、そのどちらを選ぶかという点であったのだが―――

「あ、あの……何処か不審な点でも?」

 黙したままのミュークに不安を覚えたのか、レムリアが恐る恐る訊ねる。

「いや、この資料だけを見ればレムの推測は正しいとワチキも思う」

 言葉とは裏腹にミュークの反応は煮え切らない。
 確かにレムリアの持ち込んだ情報を鵜呑みにすれば、聖女の一行は海路で教皇庁へ向う可能性が高いだろう。 加えて最近になって国内の街道整備や盗賊の取り締まりなどが積極的に実施された形跡もなく、陸路を選ぶとは考えづらい。 しかし、あまりにも情報が一方に偏りすぎていた。 多少気の利く知恵者がいれば、そういった偽装工作を行う可能性もある。 長期間、王室専用港に教会船を停泊させている点は明らかに無用心であるからだ。

「うぅ……、もう一度調べなおしてきます」

 ミュークの抱く疑念がレムリアにも伝わったようで、その声からは最初の力強さが失せていた。

「待つのじゃ。 幾分拍子抜けした感もあるが、想定外に情報が集まったのも確かじゃ。 関係者に箝口令が敷かれている以上、更なる成果は望めまい。 良くやったのレム」

 ミュークはレムリアを呼び止めると、小さな頭を胸元に引き寄せて愛おし気に撫で回す。 柔らかな双丘に顔を埋めた少年屍族の頬がみるみる紅潮していった。

「(確証に近い情報が得られたことに、ワチキ自身戸惑っておったのかもしれぬな)」

 擁立する論拠に乏しい以上、僅かでも可能性の高い方に賭けるしかない。 教皇庁までの行程を考えれば、外敵に襲われる危険性の低い海路を選ぶのが常道でもある。 過去の事例もそれを物語っており、歴代の聖女が陸路で教皇庁に参じた形跡は少ない。

「なにより今は、後手に回らぬように行動することが先決じゃしな。 レム、ルムを起こしてくるのじゃ」

「はい」

 促されたレムリアが隣室に消えると、水を打ったような沈黙がその場を支配する。

「歴史は繰り返されるか……いや業とでもいうべきなのかもしれぬな。 ウィズイッドの血族と聖女の血脈が時を経て再びまみえることになろうとはの……」

 ・
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「ゼェ、ゼェ……なんでこんなことに……うぅ」

 レムリアが息も絶え絶えに愚痴を零す。 少年屍族は積み上げられた酒樽の上から、ギシギシと耳障りな音を響かせる下甲板を不安そうに見下ろしていた。 教会船アメナディル号の船倉に潜りこんで数日あまり、まるで順応する兆しを見せない怯えようである。

「まったく……。 雨風も防げ食料の心配もない、おまけに酒は旨いときた。 レムは何が不満なのじゃ?」

 ミュークは軽々と酒樽を持ち上げると、黄金色に輝く蜂蜜酒を喉奥に流し込んでいる。 大酒豪(うわばみ)もかくやあらむ飲みっぷりだが、如何に恒常性機能に優れた屍族でも少々度を越えていた。

「だって……う、海。 この下、海なんですよ。 もし、底が抜けたら……あわわ」

「そのように要らぬ心配ばかりしておったら、この先身が持たぬぞ。 少しはルムを見習ったらどうじゃ?」

 ミュークは背後で寝息をたてているルムファムに向けて顎をしゃくる。

「で、でも……」

「屍族の生理的特性である水嫌いは仕方ない。 だが、ここまでくると病気じゃな」

 ミュークは内心で苦笑すると、懐から取り出したプリウスの実をレムリアに向けて放る。

「それを食せば少しは落ち着くじゃろう」

「は、はい」

 レムリアは言われるままに、うろこ状に網目の張った朱色の表皮に歯を立てる。 プリウスの実には血の渇きを抑制すると共に、精神を安定させる効能がある。 吸血行為を良しとしない双子の屍族にとって、長旅には欠かすことのできない必需品であった。

「ミュークさまも、あまり飲み過ぎると流石にまずいと思いますが……」

 レムリアが千鳥足で別の酒樽へと歩み寄るミュークを見咎めて反撃を試みる。 充分な糧食を積んだ大型船とはいえ、あまり派手に飲み食いを続ければ、流石に怪しまれるだろう。

「酒の味もわからぬお子様がワチキに意見するなど千年早いわ。 その性根を叩き直してやる故、ちこう寄れ―――んっ?」

 ミュークがレムリアを酒の肴に新たなる暇つぶしを考えていると―――不意に長衣の裾をひかれる感触。 視線を下げると、ルムファムの寝惚け眼と目が合った。

「ルムも欲しいのかや?」

 ミュークがプリウスの実を手渡そうとするが、ルムファムは首を横に振る。

「大母(アルフォンヌ)さま」

 前置きも何もない、突然のルムファムの言葉。

「母上がどうしたのじゃ?」

 当惑するミュークを他所に、ルムファムはまるで子犬のようにスンスンと鼻を鳴らしながら何かを探し求めている。

「ルム?」

 ミュークは目前で突飛な行動を繰り返すルムファムに対して眉を顰める。 だが、ふと思い至ったように、鼻から大きく息を吸い込むと、

「ふむ、この香りは……。 はて、なんの匂いじゃったかの?」

 船倉の雑多な臭気に混じり、僅かだが芳しく甘い香りがミュークの鼻腔をくすぐっていた。

「ルルワインですね。 アルフォンヌさまがお好きだったアルナ科に属する植物です」

 レムリアがミュークの疑問を解き明かす。
 ルルワインは美しい花を咲かせることで有名な多年草だ。 その実は観賞用よりも、寧ろ食用に重宝されている。 球根などは都に持っていけば、ひと山で金貨1枚程度の価値があった。

「なるほど、それならワチキにも覚えがある筈じゃな。 母上と共に暮らしておったレムとルムならば尚更かの」

 ミュークは合点がいったように頷く。

「ルルワインは北辺に位置するヤガ=カルプフェルト王国では滅多に手に入らないとても高価な花です。 西大陸南端のイプス岬周辺の塩湿地帯にのみ群棲する稀少な植物なので仕方ないとも言えますけどね」

 教会船に密航して以来、醜態を晒し続けていたレムリアが、汚名返上とばかりに持てる限りの知識を披露する。 もっとも、この少年屍族の失敗の本質は、そういった既存の知識に判断を丸投げすることが原因である。 大半が、本で得た知識である為に、整合性は高いが若干信頼度に欠ける点がある。 要するに情報が古いのである。

「ふむ、どうやらこの船はイプス岬を迂回せずに、船の墓場を突っ切るつもりらしいの……」

 ミュークは細顎に指をあて双眼を閉じた。

「決行はルブリス島に下船した直後と考えておったが、これは好都合やもしれぬ」

 そう独り言つと、ミュークはレムリアに向けて手招きをする。

「うっ、なんですか。 出来ればこのままお話してくださると……」

 レムリアは山積みになった酒樽の頂上から弱々しく返す。
 船床が抜ける心配をするのなら、酒樽に乗って重量を一点集中させる方が、よほど危険性は高まる筈だが、そこまで気が回らないのか、はたまた気持ちの問題なのか、頑として酒樽の上に陣取ったまま動かない。

「いいから、来るのじゃ。 レムはワチキのことが信じられぬのか?」

 ミュークはレムリアの忠心をくすぐるように再度促す。

「うう……、ミュークさまは意地悪です」

 そう言われては逆らえないレムリア。 渋々とながら船板の上に降り立った。

「レム、お主にやって貰いたいことがある」

「は、はい」

 ミュークの唐突な物言いに、若干腰が引け気味のレムリア。

「予定とは異なるが、聖女の身柄をここで掌中に収める。 今からひと働きして貰うぞよ」

 ミュークは天柱に吊るされた洋灯から手際よく油壷を取り外す。 そして、掛け金に括り付けられた発火石を添えてレムリアへと手渡した。

「レム、お主は急ぎ上甲板へと向い、逃走手段を確保した後、帆に火を放つのじゃ」

 レムリアは言葉の意味を理解できずにキョトンとする。 だが、次第に命令内容が脳内に浸透したようで、どっと冷や汗を溢れさせた。

「ええぇ~。 絶対に見つかっちゃいますよ……」

 幼いとはいえレムリアも屍族の端くれである。 よほどの手練相手でなければ人族相手に遅れをとることはない。 もっとも、この少年屍族の場合、肉体的な強さではなく精神面に問題があるのだろう。

「イプス岬近海は濃霧と岩礁に閉ざされた名にし負う魔の海域じゃ。 船員の注意は外に向いてる上に闇夜に乗じて行動すればそう簡単には見つからんよ」

「で、でも……、仮に成功しても船が火事になったら沈没しちゃいますよぉ?」

 レムリアの口調は非難がましい。 どうやら乗船している人族の心配までしているようだが、事前の調査で救命用の小型船が備え付けられていることは確認済みである。

「この船の乗組員たちもそこまで愚鈍ではないじゃろう。 心配しなくともみだりに命が失われることも、レムが海の藻屑となることはあるまい」

 他種族の生死に無頓着だったミュークは一瞬言葉に詰るが、ひとつ咳払いをすると余裕の態度で返す。 レムリアはまだ何か言いたそうではあったが、不承不承口を閉ざす。 ミュークの表情から、それが無駄な労力だと悟ったのだろう。

「ルムはワチキと共に聖女の身柄を奪取する」

 ミュークは背後を振り返ると、まだ何処か眠たそうな少女屍族の頭をポンと叩く。 ルムファムが機械仕掛けの人形のようにコクリと頷いた。



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