弾かれたように尻餅をつくルムファム。 遅れて、折れ飛んだ短剣の刀身が石畳の上で硬質な響きを虚しく響かせた。
「ルムの居合いを弾き返すなんてスゴイですね。 何か特殊な金属で造られているのでしょうか?」
レムリアは感心したように、大灯台の外郭門に降りた巨大な落とし格子を見上げていた。
「ルムに買い与えた短剣は、現代の鍛造技術の粋を集積した黒鋼製。 そう易々と折れるものではないのじゃがな」
ミュークが己の胴回りはありそうな金属柱を、たおやかに撫で上げる。 そして何を思ったか、斬撃により劈開(へきかい)した破面に宛がった指先を、徐に口に含んだ。
「存知せぬ味じゃ。 古代グリーニアル期の失われた精錬技術で純化された錬成金属なのじゃろう。 この大灯台は空中都市ニクネベェンを監視する為に建てられたという説も、実しやかに囁かれておるしな」
ミュークがひとつの可能性を示唆する。
「旧王国期、古種族が天と地に分かれて争ったというアレですね。 でも、当時の文献や記録は、尽く抹消されていると聞いています」
レムリアの両眼は陽射しを浴びた朝露のようにキラキラと輝いていた。 誰がどのような理由で歴史の隠蔽を謀ったのか、知的好奇心をそそられているのだろう。
「その答えが知りたければ、ルズアリスの血統を捜すしかあるまいな」
「ルズアリスですか?」
レムリアが眉を顰めて問い返す。
「血統アルカナ“隠者”の正統なる継承血族じゃ。 彼の一族は“隠者”の能力によって代々の継承者の知識・記憶の全てを受け継いでおるらしい。 恐らく失われた歴史についても精通しておろう。 もっとも、西大陸に存在したルズアリスの血統は、数世紀も前に喪失したと聞き及んでおる。 それに母上の話ではルズアリスは元々、東大陸に根を張った血脈であったらしい、それを今論じても詮無きことじゃな」
ミュークは仄めかした私案を、にべも無く自己完結させる。 それなら最初から口にしなければ済む話なのだが、この辺は性格上の問題なのだろう。 要するに捻くれているのである。
「ヴェーサさまなら何かご存知ではないでしょうか?」
だが、レムリアは諦めきれないようで次案を提示する。
「確かにあの貴老は存命する屍族の中では、最も古き夜を永らえておる。 しかし、それとて齢三千年に達するかどうかじゃ。 過度な期待は―――」
ミュークが非合理的な会話を打ち切ろうとした丁度その時、
「この下から忍びこめるです♪」
唐突に明るく弾む声がしゃしゃりでる。
知識の探求に不参加だったプルミエールが、目敏く抜け道を見つけだしたようだ。 人族の少女の足元には、石畳の陥没した箇所があり、金属格子の下側に子供の肩幅程度の隙間が空いていた。
「体の小さな者なら向こう側に渡れそうですね」
レムリアもようやく本来の目的を思い出したようだ。 しゃがみ込んで、石畳に穿たれた窪みを覗き込んでいる。
「いっちばーん♪」
先頭を切ってプルミエールが反対側へと抜け出る。 前世は芋虫かと思わせる見事な蠕動運動であった。 次いで双子も難なく落とし格子の下をすり抜けていく。 だが、最後に残ったミュークが窪みに身体を滑り込ませた時、思わぬ計算違いが生じる。
「……!?」
ヒクリと、ミュークの頬が引き攣った。
「…………抜けぬ」
随分と間を置いてから、ミュークが苦しげに一言。
他の者は言うに及ばずミュークも同様に“小柄な体型”である。 しかし、彼女にのみ“豊か”と形容される箇所があり、該当部分が引っかかっているらしい。 端的に、人並み外れて大きな乳房が邪魔なのである。
「にゃはは……。 おデブさんですね♪」
ここぞとばかりに、プルミエールがやんややんやと囃し立てる。 豊満な肢体に対する憧憬が、暗黒面に堕ちた挙句、劣等感から敵愾心へと昇華する稀な例である。 それは付き人であるアリエッタの天然さが積み上げた負の産物でもあった。
「くっ、悪口を叩き追ってからに! このようなもの容易に、抜け……出て……みせ、……る」
珍しく醜態を露呈したミュークは、意地になって通り抜けようとしていた。
「あ、あの……ミュークさま、あまりご無理はなさらないでください」
レムリアは目のやり場に困ったように視線を宙に彷徨わせている。 気を抜くと、自然とミュークの胸元に目が惹き寄せられてしまうからだ。 今も、石畳で潰れた大きな双球が、持ち主の動きに合わせて柔らかそうにカタチを変化させている。
「ぬぐぐぐぐぐ……ひわっ!?」
暫しの悪戦苦闘の末、
ぶにょん―――擬音で表現すると、そんな描写になるであろう過程を経て、ミュークの上半身が反対側へと抜け出る。
「ほれ見るがいい。 その気になればワチキとて容易に―――うっ!?」
しかし喜んだのも束の間、再び汗だくになるミューク。 どうやら今度は臀部が引っ掛かったらしい。 要するに先にも行けず後にも退けない状態である。
「……」
その場の空気が流石に凍りつく。 居た堪れなくなったレムリアなどは、明後日の方向に目線に逸らしていた。
「シャル姉さまのことはプルにまかせてジョウブツしなさいです」
最初に口を開いたのはプルミエール。
人族の少女はこれ幸いとミュークを見捨ててその場を立ち去ろうとする。
「待つのじゃ」
そうはさせじと、ミュークがプルミエールの足首を掴み動きを封じる。
「こうなったら、ここで想いを添い遂げさせて貰うのじゃ」
自棄になったミュークが、引きずり倒したプルミエールの衣服を剥きにかかる。 羞恥心が極限に達して、理性の箍が外れてしまったようである。
「は~な~せ~! 無礼者ぉぉぉう!!」
組んず解れつ砂埃を撒き散らして、じゃれ合うミュークとプルミエール。
「落ち着いてください。 此方側からなら、必ず何処かで開閉できる筈です」
レムリアが必死に止めに入るが、ふたりの耳には届いていないようだ。
「遅かれ早かれワチキの所有物になるのじゃ、観念せいっ!」
「プルはシャル姉さまのモノだから、欲しくてもあげませんですぅー!!」
「聖女も此度の報酬で戴く手筈じゃから、聖女のモノはワチキのモノじゃ!」
などと、売り言葉に買い言葉。 傍から見れば、三分どことか一分の理もない持論の応酬である。
「ムカー、なんてワガママなヤツ」
プルミエールはミュークの顔面を足蹴にすると、落とし格子をよじ登りはじめる。
「ぐっ、其方にだけは云われとうないわっ! ま、待つのじゃ、このお転婆娘」
無益な口論が更なる深みに差し掛かった時、鼓膜を揺さぶる轟音と共に、物凄い勢いで落とし格子が上昇を始めた。
「―――んっと!?」
圧迫感から解放されたミュークは、咄嗟にしがみ付いていたプルミエールの下半身を手放す。
「はにゃぁぁぁぁぁ………………ぐぎゃん」
僅かに遅れて、金属音と少女の潰れた悲鳴がミュークの頭上で交錯した。 ミュークが恐る恐る見上げると、外郭上部に空いた暗渠と格子門の隙間に頭部を挟まれた物体がひとつ。 それはまるで、首吊り死体のようにぶらぶらと前後に揺れていた。 とりあえず、その不吉な光景から目を逸らす。
「ミュークさま大丈夫ですか?」
そんな惨状を知ってか知らずか、レムリアが門柱の影からひょっこり顔をだす。 話が通じないと即座に理解したレムリアが、落とし格子の開閉装置を探し出し作動させたようだった。
「う、うむ。 この通り解放された」
ミュークはゆっくり立ち上がると、胸に溜まった息を吐く。 それから、衣服に塗れた粉塵を払おうとして、指先に白い布切れが絡まっていることに気が付いた。 可愛らしいフリルがあしらわれたソレは、故意か偶然かプルミエールのショーツである。
「ボクがひとりでこの巻き上げ機を見つけたんですよ♪」
レムリアは得意気に外郭内壁に設置された複滑車らしきものを叩いている。
「なるほど、これはレムの仕業……、いや、お陰だったのか。 少なくともワチキは助かった。 礼を云うぞ」
ミュークは頬に冷や汗を一筋垂らしながら、微妙な言い回しを用いた。 できるだけ視線を上げないよう努力している。
「そういえばあの子は何処にいったのですか?」
レムリアが不思議そうにきょろきょろと左右を見渡している。 「上じゃ上」と言いかけて、なんとか自制するミューク。
「レムよ、世の中には知らぬ方が幸せなこともあるのじゃぞ」
ミュークが表面上だけ寂しげに人生の理を説く。 できれば忘れ去りたい悲しき人身事故であった。
「よくわかりませんが、ボクもミュークさまのご本心を伺う機会が持てて幸いでした。 件の取引の裏側で、そのような不謹慎な報酬が約束されていたなんて初耳でしたし」
レムリアがジト目でミュークを非難する。 案の定、先ほどのミュークとプルミエールのやり取りを聞き咎めていたようである。 アルフォンヌを捜しだす布石と銘打って、双子に手伝わせている手前、ミュークの旗色は極めて悪い。
「そ、それはじゃな……。 え~と、そ、そうじゃ、コレをやるので許してたもれ」
ミュークはちょっとだけ名残惜しそうに、純白のショーツをレムリアに手渡す。
「ん、なんですかコレ? ……って、あわわ……あう」
レムリアは白い布切れをマジマジと観察した後、その正体を知って顔を真っ赤にして狼狽した。
「こ、こんなモノの渡されても困ります。 ボ、ボクにどうしろと!?」
「楽しみ方は人其々じゃ。 まぁ、今のところは、持ち主に返すのが最良の選択だと思うぞよ」
そう言って頭上を見上げるミューク。 釣られて上を向いたレムリアの目に飛び込んだのは、視界いっぱいに広がるふたつの靴裏だった。
「レムの尊き犠牲は無駄にはせぬぞ」
ミュークは、目の前で押し潰されたレムリアに対して静かに瞑目する。 自力で脱出したプルミエールが落っこちてきたのだ。
「返しなさいですっ!」
プルミエールは引っ手繰るようにレムリアからショーツを奪い返す。 それから、顔を赤らめたまま聖職衣の内側でモゾモゾと、小さな布切れを剥き出しの股間へと引き上げた。 どうやら、多少の羞恥心はあるらしい。
「んー、もう少し脚をあげるのじゃ。 それでは何も見えぬではないか」
不自然に首を傾けたミュークが不謹慎に一言。
「このヘンタイ牛チチ女め、プルを亡きモノにするつもりでしたね!?」
下穿きを装着したプルミエールは、目前の不審者―――もとい、ミュークへと詰め寄る。
一難去ってまた一難である。 もっとも、先の一難(レムリアの詰問)は未解決のまま、後の一難(怒髪天なプルミエール)の足の下で潰れているだけだ。
「気にするでない。 ただの不幸な事故じゃ」
しれっと言い放つミューク。 どうやら口先で誤魔化しきる算段らしい。
「事故ですむかー! プルじゃなかったらお空のお星さまになってますよ!!」
プルミエールがミュークの鼻先に人差し指を突きつける。 よく見ると、少女の愛らしい容貌に痛そうな格子模様が走っていた。 というか鉄格子と石壁に挟まれてほぼ無傷な時点で頑丈すぎる身体である。
「そもそも、最初に放せと云ったのは其方じゃろう」
人道的配慮は皆無だが、表面上は正論であるミュークの意見。 巻き添えになるのは嫌だと、無意識に手を離した手前、多少分が悪いのは致し方ない。
「あーいえば、こーゆう……。 まったく、フィーナみたいですね。 それと、プルはとってもエライのです。 よってこれからは、壊れモノをあつかうように大事にしなさいです!!」
「其方に壊れる部分なんてないと思うが……ま、まぁ大事な人質―――いや、客人として善処しよう」
これ以上、話が拗れるのを避けたいのか、保障できる範囲で場を収めるミューク。
「あ、あのいい加減に背中の上から退いてくれませんか?」
口論の終息を見計らってレムリアが下から下出に意見する。
「むっ!? いつの間にプルの足の下に? えっちぃですね」
「レムにそんな趣味があったとは意外じゃな」
口々に勝手なことを宣うプルミエールとミューク。 ミュークに至っては話題を逸らせればなんでもいいのだろう。
「もう、何かいろいろとわかった気がします。 それよりさっきからルムファムの姿が見当たりません。 これ以上碌でもないことを増やしたくないので、ボクたちも先に進みましょう」
悟りか、はたまた諦めか、きっと何処かの境地に辿り着いた台詞である。 レムリアはむすっと口をへの字に結んで、歩き出してしまった。 思いのほか素直にプルミエールが後に続いたので、ミュークも異論無くその提案を受け入れる。
ふた騒動ぐらいあった外郭を抜け、荒れ果てた前庭を横切ると、幅の広い石段があった。 それを登りきると、幾何学的な紋様が刻み込まれた大門扉の前でルムファムが静かに佇んでいた。
「開かぬのか?」
状況をひと目で察したミュークの問い掛けにルムファムが頷く。
巨人族の為に誂えたかと思われる巨大な鋼鉄の扉は固く閉じられていた。
「ふむ、今度は流石に入り込む隙間などなさそうじゃな」
ミュークが苦笑して大灯台の外観を見渡す。
おおよそ人の力では持ち運びが不可能と思える巨石が、刃を差し入れる隙間さえなく積み上げられて外壁を成していた。 その精巧で巨大な石組みはノルドの優れた石加工技術の象徴であろう。 屍族の褥にノルド―――巨人族の手が加わっている点にミュークの興趣も尽きないようだ。
「幸か不幸か、人の手は入っておらぬようじゃな」
ミュークの言葉が示す通り、船の墓場とアセリエル大湿原、陸と海の二つの魔境に囲まれたテトラモルフ大灯台は、その環境も相まって盗掘の憂き目に遭うこともなく、未だ手付かず状態の貴重な古代遺跡であった。
大灯台を管轄するサリナハーム公国は、開国当初から定期的に起きる大干ばつに悩まされ続けており、慢性的な食糧難に陥っている。 故に、知識の探求などという腹の足しにもならない費目に感けている余裕はないようだ。 尚且つ、近年、勃発した公王選出の跡目争いや、長年続く、部族間の抗争も影響しているのだろう。 数年前に隣国アルル=モアの学術研究機関との共同調査隊が組織されたとの噂もあったが、未だに実行に移される気配はない。
「しかし、どうしたものかの……」
ミュークが溜息交じりに視線を前方に戻すと、鉄扉に体当たりをするような姿勢で、プルミエールが足を踏ん張っていた。 とりあえず、実害はなさそうなので放置することに決める。
「引き返しますか? もう手遅れっぽいですが……」
レムリアが額に手を翳して頭上を仰ぎ見る。 既に夜の衣は綻び、太陽の息吹が地上を覆いだしていた。
「ここでこうしていても始まらぬな。 確か、先程通過した前庭に、崩れた石柱が折重なった場所があった。 贅沢はいっておられぬ、今日はそこを塒とするしかあるまい」
踵を返そうとしたミュークが立ち止まり、背後を振り返る。 そこには未だ大門扉と格闘を続けるプルミエールの姿があった。
「コラッ、いつまでやっておる―――って、なんじゃと!?」
ミュークの紅眼が驚きに見開かれる。
「うにゃ」
前触れも無く巨大な鉄扉が内側に開き、勢い余ったプルミエールがつんのめる。 咄嗟に伸ばしたミュークの手も虚しく空を切った。 人族の少女は唐突に広がった無明の闇へと吸い込まれてしまった。
「こ、これって……」
傍らのレムリアが戸惑うような視線をミュークに投掛ける。 白みはじめた景観が、大灯台の入り口から先で不自然に切り取られているのだ。 それはまるで陽光の意思が大灯台に踏み入ることを躊躇しているかのようにも見える。
「大灯台を護る古のカラクリか、はたまた魔導の類か……。 どちらにしても、厄介なことになりそうじゃな」
ぼやくように嘆息したミュークが、漆黒の顎を広げた入口へと一歩踏み出すと、
「ミュークさま、危険です!!」
ミュークの眼前に両手を広げたレムリアが立ち塞がった。
「危険は重々承知じゃが、放っておくわけにもいくまい。 プルミエール・リュズレイはワチキの……、否、この先の取引でなくてはならぬ人材じゃ」
「駄目です。 あの子には悪いけど、ボクたちにとって大事なのはミュークさまだけです。 それに、ここで待っていれば自力で出てくるかもしれません」
レムリアの真摯な眼差しにミュークは苦笑する。
「相手が人族とはいえ、ここで見捨てては目覚めが悪かろう。 なにより一度取り交わした約定を違えては、ウィズイッド家の名折れじゃ」
「それなら、ボクとルムにお命じください」
レムリアの苦渋の決断に、ミュークは朝陽に焼かれた首筋を擦りながら再度口を開いた。
「ワチキは、帰るかどうかもわからぬ者を待ち惚けた挙句に、日干しになる趣味はないぞ。 それに、お主達双子に危険を押し付けて、ワチキだけ安全な場所から傍観者気取りでは、母上に会わせる顔が無い」
ミュークはレムリアの額を軽く小突いて下がらせると、臆することなく、大灯台内部へと足を踏み入れた。
「気が進まぬのなら、レムはここに残ってもよいのじゃぞ♪」
そして、その姿が漆黒に溶ける寸前、ミュークは悪戯っぽく笑うとそう付け加えた。
「ミュークさまは意地悪です」
元々、レムリアの進言はミュークの身を案じてのものだ。 付き従う他に選択肢などあるわけもなかった。
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