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2-02【灯台】中


初稿:2009.10.01
編集:2023.01.20
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※月ノ章の本編です

2-02【灯台】




「少しばかり迂闊じゃったかの」

 ミュークが自戒するように肩を竦める。 想定はしていたが、屍族の暗視眼を以ってしても、大灯台内部に蔓延る無明の闇を見通すことは適わなかった。

「わわっ、真っ暗で何も見えませ―――イタっ」

 ミュークの背中でレムリアの声がひしゃげる。 目前で立ち止まった背中に顔面から突っ込んだようだ。

「うう、急に立ち止まらないでください」

 レムリアは赤らんだ鼻頭を押さえて抗議する。

「なんじゃ、ついて来たのか?」

「当たり前で―――ンガっ」

 憤然と返すレムリアの口調が悲鳴に変換される。 最後尾から追従したルムファムの頭突きを後頭部に受けたらしい。 けろりとしているルムファムと比べ、レムリアは頭を抱えて蹲るが、ミュークを非難した手前、文句は言えない。 ちなみに、被害者と加害者とを分けたのは頭の硬さだけである。

「まったく、騒がしくするなら外で待っておれ」

「うう、今更帰れませんよ」

 レムリアの言葉通り、大灯台の入り口は跡形も無く消え去っており、四方の全てが闇に覆われていた。 ミュークが足音を忍ばせて前方に進もうとした瞬間、黒く塗り潰された世界に、ぽつんと青白い光が浮かび上がる。 それは大灯台の内壁に沿って数を増やし、周囲の闇を切り取っていった。

「退屈凌ぎには丁度良い余興じゃな」

 その軽口とは裏腹に、ミュークの心は得体の知れぬ胸騒ぎに襲われていた。 その視界には灯台内部の様相が、滲むように浮き彫りになっていく。 そこは遮蔽物の無い広大な空間だった。 天井は葺きぬけになっており、内壁を這うように伸びる長大な螺旋階段が遥か上方へと続いている。

「ミュークさま、あそこっ!」

 レムリアの指差す先、広間の中央に設けられた祭壇らしき台座の上に目的の少女が横たわっていた。

「心配させおってからに……」

 周囲を警戒しつつ、ミュークは足早に祭壇へと歩み寄る。

「これは……」

 ミュークの表情に動揺の色彩が滲む。 プルミエールはまるで魂が抜け落ちたかのように、両眼を見開いたまま宙を睨んでいた。

「大丈夫ですか……?」

 レムリアが心配そうにミュークの肩越しから覗き込む。 我に返ったミュークがプルミエールの口元に手の甲を翳し、強張った表情を僅かに緩めた。

「息はしておるようじゃ。 もっとも、無事とは云い難い状態ではあるがの」

 目立った外傷は見受けられなかったが、抱き起こした少女の身体は、死んでいるのかと思えるほど冷たかった。

「ナニかいる」

 不意に横合いから発せられた声に、一瞬ドキリとするミューク。 目線を右に傾けると、ルムファムが傍らに佇んでいた。 この屍族の少女、所構わず気配を絶って行動する為、心臓に悪い。 おまけに、周囲の者を驚かせて楽しんでいる節があり、同行者にとっては極めて厄介であった。 もっとも今はルムファムの超感覚が察知した気配の元を探る方が先決であるのだろう。

「ルム、それは真かや?」

 ミュークの問い掛けに、ルムファムが無言で頷く。

「なにかってなんだよ」

 状況を把握できないレムリアが、動揺を隠し切れずに声を荒げた。

「ふたりとも、ワチキの側を離れぬなや」

 ミュークは緊張した面持ちで視線を周囲に巡らす。 首筋に突き刺さるような冷たい感触があった。 久しく忘れていた感情がふつふつと蘇る。 異様な感覚が足裏から突き抜けて、ミュークは抱き上げたプルミエールを抱えたまま背後へと飛び退る。
 今や虚無の空間は圧倒的な力場へと急速な変貌を遂げようとしていた。

「やはり、消失しておらなんだか……」

 ミュークの口唇から、歯軋りと共に唸り声が漏れる。

「あれはっ!?」

 這いつくばる様に後退したレムリアが驚きの声を発する。 祭壇上空に、巨大な二匹の獣を巻きつけた黄金の輪が現出していた。 最初からそこに在ることを定められていたように、膨大な質量が溢れ出して、闇と絡み合う。

「ベルムード三世も随分と面倒な置き土産を遺したものじゃな」

 ミュークたちの頭上で、ゆっくりと回転を始める円環。 その中心に、浮かび上がった黒い斑点が、膨張と伸縮を繰り返しながら、二十二の夜の一角を象っていく。

「悪魔……」

 レムリアがひどく抽象的な感想を漏らした。
 少年屍族の目に映るそれは、人型の頭部に黄金の冠をたたえ、漆黒の両翼と凶獣の身体を併せ持つ禍々しい姿を晒していた。

「器を失った夜の意志が、断片化した状態で物我に残留する判例は過去にも確認されておる。 じゃが、これほど完全なカタチで消失を免れるとは驚きを禁じえぬな」

 ミュークが喘ぐように口を開く。 両の手の平に冷たい汗が滲んでいた。
 血統アルカナは二十二家に連なる血族に呪縛された“力”である。 “運命の輪”の血統アルカナを使役するグリムデンの一族が滅び去った今、その力は本来、物質界に具現化する術を失っている筈であった。

「まさかアレって……」

 レムリアもミュークと同様の論理的帰結に到ったようである。

「察しの通りじゃよ。 あの化物は血統アルカナ“運命の輪”の屍霊じゃ」

 ミュークは半ば吐き捨てるように断言する。

 ―――フルフルフルフル……

 “運命の輪”の血統アルカナは、笑っているようにも、怒っているようにもとれる奇怪な響きを、口蓋の隙間から漏らしていた。

 ―――久しいな

 ミュークの頭蓋の内側に、静かではあるが圧倒的な存在感を伴った意識が接触する。

「くっ……」

 押し潰されそうな圧迫感にミュークは苦しげな息を漏らした。

「ミュークさま?」

 レムリアが気遣わしげにミュークを見上げている。 どうやら、夜の意志が発する思念は、対象―――ミュークの脳内に直接語らいでいるらしい。

 ―――貴女とこうして直に見えるのは、いつ以来であろうか……

 『お招きに預かり光栄―――と云いたいところだが、人違いじゃな。 ワチキはミューク・ウィズイッド。 ここには行き掛かり上、已む無く立ち寄っただけじゃ』

 ミュークは内心の動揺を糊塗するように、脳裏に然るべき言葉を思い描く。 そうすることで、声として発するまでもなく、相手には伝わっている筈であった。

 ―――我、汝であって汝であらぬ存在に語りかけている。 “彼女”を解放せよ女教皇の継承者よ

 『ワチキはそのような問答など求めておらぬ。 それより、この娘の心を元に戻すのじゃ。 この症状には見覚えがある。 恐らく“夜の意志”と接触したことに起因している筈じゃ』

 ミュークは腕に抱いたプルミエールの身体をレムリアに託すと、頭上を見上げて真偽を問う。

 ―――愚かなり。 汝、我らが理を知らぬとみえる

『理なら知っておるわ。 其方たち血統アルカナは、遠き過去、我ら二十二家と血の契約を結び、この地に呪縛されし屍霊の類であろう』

 圧し掛かる精神の重圧から、ミュークの額には多数の汗粒が染みだしていた。 そしてそれを拭う余裕さえ今は無い。

 ―――汝、真の資格者あらずや

『……なっ!?』

 その言葉は無慈悲なほどの冷徹さを以って、ミュークの脳裏から過去の幻影を抉りだす。

 ―――汝、真の資格者あらずや

『やめろ……やめるのじゃ……』


 ………あの娘は……逃げ出した


 ………不適合者………恥晒し………一族の汚点


 ………哀れみと蔑み


 心音が乱れミュークの視界がぐらりと揺らぐ。
 故意に、疑いも無く純粋な恐怖心故に―――拒絶した。

「知らぬ知らぬ知らぬ……。 ワチキは……」

 ミュークは不明瞭な叫びを上げつつ己の両肩を掻き抱く。 そして、うわ言のように否定の言葉を繰り返して、膝から崩折れてしまった。

「ミュークさま!?」

 レムリアが触れたミュークの身体は小刻みに震えていた。

「ミュークさま、いじめる……許さない」

 ルムファムが火を吹くような眼差しで、頭上に展開する血統アルカナ“運命の輪”を睨みつける。 常に無機質な碧眼に、はっきりとした敵愾心が宿っていた。 放っておけば、相手が誰であろうと飛び掛らん剣幕であった。

「待つのじゃ……」

 ミュークはレムリアに支えられて、よろよろと立ち上がる。 そして、覚束ない足取りで前方に進み出ると、

「“運命の輪”の血統アルカナよ。 先程の話し振りから察するに、其方はワチキの中に眠る存在に用件があるのじゃろう。 ならば、無関係な者を巻き込む謂れはあるまい」

 双子にも理解できるように思念ではなく、質量を伴った言葉を用いる。

 ―――我はグリムデンの血の契約から解き放たれた。 今や我が意志は“力を求める者”を拒まぬ。 その娘の心は力を欲していた。 故に、我はそれに応じたにすぎない。 我が試練に打ち勝てば自ずと意識をとり戻すだろう

「この娘は二十二家どころか、屍族ですらないただの人間じゃぞ。 到底、試練になど打ち勝てる筈が無い。 そもそも、仮に継承者として認められても、“其方”を受け入れる器がない。 結果がどうあれ命を落とすことになるじゃろう。 それでは、幾らなんでも本末転倒であろうが」

 ミュークはともすれば竦みかける心を必死に奮い立たせて反論する。
 血統アルカナは古き盟約に連なる血の絆によって、二十二家の血脈の中に脈々と受け継がれてきた契約の証である。 無論、それを受け入れる資質さえあれば、二十二家以外の者でも力を手にすることは可能だ。 だが、古き血の加護を享かる二十二家の大屍族でさえ、“渇きの継承”と畏怖される契約の試練を克服することは、容易ではなかった。

 ―――然もありなん。 だが、その娘が死すべき定めであるのなら、それを打ち破ってこそ、我が試練なり

「この安本丹め。 それが無理だとわからぬのかやっ!」

 元来、捻くれ者で一癖も二癖もあるミュークである。 他者の心を読み取り、それを戯弄することには慣れているが、この無機質な問答者相手では随分と勝手が違うようであった。 だが、幸か不幸か、ぐつぐつと煮え滾った苛立ちが恐怖を上回り、いつもの調子を取り戻しつつあった。

 ―――我、真理を語るのみ

「もう少し、融通を利かせろと言っておる」

 事実のみでは意志の疎通を図ることは叶わない。 なにより、そこには最も妥当的な未来しか成立しない。 ミュークが求めているのはもっと別の可能性であった。

 ―――我が司るは運命ぞ。 そこに融通を利かせては元も子もなかろう

 “運命の輪”の血統アルカナの意思に僅かな色彩が宿る。

「ワチキはワチキなりの遣り方で、この娘の運命を変えようとしているだけじゃ。 それを拒絶することは其方の真理に背くことになるのではないか?」

 然りとてミュークも、この手の問答は己が領分であった。 半ばこじ付け紛いの訴えに、水を打ったような沈黙がその場を支配する。

 ・
 ・
 ・

 ―――よもや我ら夜の意志に説教を垂れる者が現れようとは……

 暫し間を置き、呆れたような声がミュークの脳内に響く。 それは先ほどまでは存在しなかった明らかな感情の揺らぎであった。 同時に圧し掛かっていた重圧が次第に薄らいでいくのがミュークにもわかる。

 ―――屍族も変わったものよ。 このように口喧しい娘が二十二家の血族とは……。 我が知る古き屍族たちは己が感情を悟らせぬ術を心得ていたものだ

「黴臭い通念の押し売りなど糞喰らえじゃ」

「ミュ、ミュークさま……?」

 レムリアが素っ頓狂な声をだす。 如何せん、耳で聞き取れるミューク側の発言でしか状況を推察できない。 故にミュークの劇的な感情変化について行けずに、違和感を感じても仕方が無いところだろう。

 ―――だが、確かに、汝の言葉にも一理ある。 ならば、汝が、我が資格者となり、その娘に与えられた定めを不軌のものとすればよい

 ミュークの心臓が大きく鼓動を打つ。

「良い機会やも知れぬ……」

 ミュークは小さく独白すると、背後に佇む双子を招き寄せた。

「よいか、ワチキにもしもの事があったら、東大陸に渡るのじゃ。 彼の地は今も尚、屍族の支配が根強く残る故、お主達が身を隠すには最適じゃろう」

「そっ―――」

 開きかけたレムリアの口唇に指先を押し当て、ミュークは抗議の声を封じる。

「レムの言いたいことは理解(わか)っておる。 ワチキとて母上との再会が叶うまで、無駄死にするつもりはない。 あくまで、万が一の備えとして、今後の指針を授けただけじゃ」

「そんなこと了承できません」

 レムリアがミュークの腕にすがりつく。 ミュークを見つめる碧眼にみるみる光るものが湧き上がる。

「レム、状況は薄々わかっておろう。 これ以上ワチキを困らせるでない」

 ミュークはレムリアのいましめから腕を引き抜くと、嗜めるように語りかける。

「はい……」

 レムリアは僅かに視線を逸らすと心ならずも頷いた。 頭で理解していても、感情が思い通りにならないのだろう。

「問題はプルミエール・リュズレイのことじゃ。 もし、このまま目覚めの時は、クリスティーナ老公妃を頼るのじゃ。 ウィズイッドの家名をだせば、きっと力になってくれよう。 特にレム、お主は男子故、ふたりを護ってやらねばならぬ」

「でも、ボクなんかよりルムの方がずっと強いのですが……」

 どこか拗ねたような口振のレムリア。 ミュークは小さな額を軽く小突くと、

「強さとはなにも肉体的な力だけを指すものではない。 それがわからぬほど、レムは愚かではあるまい?」

「わかりました」

 二度目の了承は一度目より素直であった。

「いい子じゃ―――ん?」

 と、不意に衣服の袖口を強く引かれて、ミュークは半ば強制的にルムファムと向かい合う。 表面上は無表情だが、配意が公平に等分されていないことに、ご立腹のようだ。

「ルム、お主はレムが誤った道を選んだとき、それを正すことが役目じゃ」

 コクリと頷くルムファム。 行動原理に些かの疑問は残るが、決断力の高さは折り紙付きである。

 ―――話はすんだか屍族の娘よ?

「要らぬ気遣いをさせてしまったようじゃな。 はじめてもらって構わぬぞ」

 ミュークは“夜の意志”に他者を気遣う心があったことを素直に感謝する。

 ―――ならば、我が一端に触れ、試練に挑むがよい

 その言葉に導かれるように、ミュークは回転を続ける黄金の輪へと足を踏み出す。

「くっ……」

 凄まじい重圧により視界が濁り、五感の全てを閉ざされたような感覚に陥る。

「あの時と同じか……だが、今のワチキは以前のそれとは違う」

 ミュークは希薄になりつつある自我を保つ為に精神を集中させた。 そうすることにより、意識の喪失を免れたまま、実体化した“運命の輪”の足元にまで近づくことができた。

「“運命の輪”の血統アルカナ、何者にも縛られぬ古き夜の意志よ。 二十二家に連なりしウィズイッドの血名に懸けて、そのチカラ、ワチキのものにしてみせようぞ!」

 ミュークの右腕が前方に伸ばされる。 しなやかな指先は臆することなく、回転を続ける円環に到達して―――ミュークの世界は白光に包まれた。



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